1 hr 10 min

芙蓉の花と存在の一義‪性‬ 哲楽

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(インタビュー◎2015年10月5日 慶応義塾大学にて Music: Korehiko Kazama)





 

 

 



 

 

 

山内志朗さんは、慶應義塾大学で哲学を教えている。生まれは山形県。奈良時代に始まったとされる山岳宗教に修験道があるが、その行者である山伏たちが修行した山々のふもとに育った。山中で厳しい修行を行う山伏は明治期に廃業を余儀なくされ、今では体験修行しかできないものの、山内さんの3代前の祖先までは山伏だったため、幼い頃からスピリチュアルなものに関心があったという。

催眠術や心理学にも関心を寄せていた山内少年は、中学時代に深夜のラジオ番組を通してキリスト教に触れる機会を得る。番組が提供していた通信講座で初めて聖書を手にして以来、ニーチェやキルケゴール、フロイト、さらにはカントまで書物の山々を渡り歩いた。そうして、東京大学文学部哲学科に進学することになる。

安保闘争時代、山内さんが東大に入学した76年はまだ学生運動も活発で、同級生たちはフーコーのブルジョア気質を皮肉り、哲学思想について熱弁をふるっていた。一方で、山形で聖書と近代哲学を行き来してきた山内青年は、ハイデガーの代表作の『存在と時間』を一字一句書き取りながら独学を開始する。当時すでに時代の寵児であった廣松渉の講義で、ようやくその哲学を理解することができたという。

さらにその後、恩師の坂部恵を通してライプニッツに出会い、その「謎めいた」魅力に取り憑かれ、ドイツ語からラテン語・ギリシャ語の古典語学習に時間を費やした。山内さんが35歳で出版した中世哲学の入門書『普遍論争』が文庫化されたときに、坂部はこんな解説を寄せている。

トマス・クーンやフーコーなどのパラダイム・思考図式の転換を説く断続史観を紹介し論ずるひとは多くても、そうした方法を哲学史・思想史に実地にまで応用する仕事は、わが国ではきわめてすくない。山内氏の仕事がそうした稀の事例のひとつであることをここで控えめな著者に代わって言い添えておくのも無駄ではないだろう。( 『普遍論争—近代の潮流としての』平凡社・2008年:p.321より)

一読しただけでは、師が教え子の本に寄せた文章とはわかない。まるで昔からの同志が捧げたような解説を携え、山内さんのデビュー作は文庫化された。

新潟大学での勤務を経て、2007年に山内さんは約20年ぶりに再び東京に戻ってきた。山内さんが働く慶應の三田キャンパスは、東京の真ん中にあるとは思えないほど、穏やかな空気が流れていて、インタビュー当日には、ふわりとした可憐な花びらが印象的な桃色の花が咲いていた。

撮影のためにこの花の前に立って頂くと、花の名が「芙蓉」であること、さだまさしがかつてこの花を歌詞にして歌っていたこと、「ふよう」という言葉の響きが花の印象に合っていることを、鼻歌まじりに語りながら、山内さんは笑っていた。実際には、女子校の校長先生でもあり、新しい倫理学の本が出版されたばかりで、笑えないほど忙しいはずなのに。

中世の哲学者スコトゥスが扱っていた「存在の一義性」という問題を「思い込み」で読み解こうと、山内さんは一人でまたもこの険しい迷宮に入り込んでいた。その思い込みとは、「小さいものの存在意義、個体性を重視するはずだと。それと神様との結

(インタビュー◎2015年10月5日 慶応義塾大学にて Music: Korehiko Kazama)





 

 

 



 

 

 

山内志朗さんは、慶應義塾大学で哲学を教えている。生まれは山形県。奈良時代に始まったとされる山岳宗教に修験道があるが、その行者である山伏たちが修行した山々のふもとに育った。山中で厳しい修行を行う山伏は明治期に廃業を余儀なくされ、今では体験修行しかできないものの、山内さんの3代前の祖先までは山伏だったため、幼い頃からスピリチュアルなものに関心があったという。

催眠術や心理学にも関心を寄せていた山内少年は、中学時代に深夜のラジオ番組を通してキリスト教に触れる機会を得る。番組が提供していた通信講座で初めて聖書を手にして以来、ニーチェやキルケゴール、フロイト、さらにはカントまで書物の山々を渡り歩いた。そうして、東京大学文学部哲学科に進学することになる。

安保闘争時代、山内さんが東大に入学した76年はまだ学生運動も活発で、同級生たちはフーコーのブルジョア気質を皮肉り、哲学思想について熱弁をふるっていた。一方で、山形で聖書と近代哲学を行き来してきた山内青年は、ハイデガーの代表作の『存在と時間』を一字一句書き取りながら独学を開始する。当時すでに時代の寵児であった廣松渉の講義で、ようやくその哲学を理解することができたという。

さらにその後、恩師の坂部恵を通してライプニッツに出会い、その「謎めいた」魅力に取り憑かれ、ドイツ語からラテン語・ギリシャ語の古典語学習に時間を費やした。山内さんが35歳で出版した中世哲学の入門書『普遍論争』が文庫化されたときに、坂部はこんな解説を寄せている。

トマス・クーンやフーコーなどのパラダイム・思考図式の転換を説く断続史観を紹介し論ずるひとは多くても、そうした方法を哲学史・思想史に実地にまで応用する仕事は、わが国ではきわめてすくない。山内氏の仕事がそうした稀の事例のひとつであることをここで控えめな著者に代わって言い添えておくのも無駄ではないだろう。( 『普遍論争—近代の潮流としての』平凡社・2008年:p.321より)

一読しただけでは、師が教え子の本に寄せた文章とはわかない。まるで昔からの同志が捧げたような解説を携え、山内さんのデビュー作は文庫化された。

新潟大学での勤務を経て、2007年に山内さんは約20年ぶりに再び東京に戻ってきた。山内さんが働く慶應の三田キャンパスは、東京の真ん中にあるとは思えないほど、穏やかな空気が流れていて、インタビュー当日には、ふわりとした可憐な花びらが印象的な桃色の花が咲いていた。

撮影のためにこの花の前に立って頂くと、花の名が「芙蓉」であること、さだまさしがかつてこの花を歌詞にして歌っていたこと、「ふよう」という言葉の響きが花の印象に合っていることを、鼻歌まじりに語りながら、山内さんは笑っていた。実際には、女子校の校長先生でもあり、新しい倫理学の本が出版されたばかりで、笑えないほど忙しいはずなのに。

中世の哲学者スコトゥスが扱っていた「存在の一義性」という問題を「思い込み」で読み解こうと、山内さんは一人でまたもこの険しい迷宮に入り込んでいた。その思い込みとは、「小さいものの存在意義、個体性を重視するはずだと。それと神様との結

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