秋は旅に出たくなる季節です。なかでも京都(きょうと)は、今も昔も人びとを惹きつけます。
観光地としての賑わいの陰には、「寺院参拝」と「鉄道の発展」が織りなした歴史の流れがありました。
今回は、旅の視点から本願寺と京都の関係をたどります。
🔶一生に一度の「本山参り」でした
江戸時代、多くの庶民にとって移動手段は“徒歩のみ”でした。
藩をまたぐ移動も容易ではなく、本願寺への参拝は「一生に一度」の大行事でした。
やっとの思いでたどり着き、本堂の畳に頬ずりして喜んだ——そんな記録が各地に残ります。
参拝は、信仰の確かめと人生の節目を刻む「旅」でもありました。
🔶西本願寺(にしほんがんじ)という「目的地」が育てた旅
京都にある西本願寺は、天正19年(1591)に現在地・六条堀川(ろくじょう・ほりかわ)へ移転しました。
伽藍の中心は御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂(あみだどう)で、唐門(からもん)・飛雲閣(ひうんかく)などの国宝が建ち並びます。
平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。
“行き先としての魅力”が、遠路はるばるの参拝を後押ししてきました。
🔶鉄道の時代が参拝を変えました
明治以降、鉄道が全国に伸び、寺社参拝は「現実的な旅程」になりました。
寺院参拝は鉄道会社にとっても重要な旅客需要となり、観光旅行が広がります。
本願寺で営まれる大規模法要——たとえば宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき/概ね50年ごと)は、全国からの参拝者を呼び込みました。
「歩いて一生に一度」から「列車で計画的に」へ。参拝のかたちは、交通の発達とともに大きく変わりました。
🔶京都の観光基盤と門前の宿が支えました
鉄道網の整備は京都への人流を回復・加速させ、観光都市としての基盤づくりを後押ししました。
本願寺周辺には、参拝者を受け入れる門前旅館や講中宿(こうじゅうやど)※が発達。
今日ではシティホテルから歴史ある旅館まで選択肢が広がり、海外からの旅行者も伝統的な宿に滞在して文化に触れています。
「寺を目的に泊まる」という旅のかたちが、今も息づいています。
※講中宿=講(信徒の参拝グループ)を受け入れる宿。
🔶数字で見る“いま”の京都(要点)
近年の京都は国内外からの旅行者で活気づいています。
観光地・宿泊・交通の受け皿が整い、寺院参拝と観光の相乗効果が続いています。
かつての「団体参拝の列車旅」から、「個人がネットで計画する旅」へと多様化が進みました。
🔶今週のまとめ
旅が容易でなかった時代、本願寺参拝は人生を賭す「一度の旅」でした。
鉄道の発展は参拝文化を大きく変え、京都という都市の観光振興にも連動しました。
本願寺という確かな目的地が、信仰の道行きと旅の楽しみを結び、今に続く人の往来を育ててきたのです。
来週のテーマは「お手紙のお話」です。どうぞお楽しみに。
お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。
お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
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- FrequencyUpdated weekly
- Published29 October 2025 at 09:20 UTC
- Length9 min
- Season1
- RatingClean
