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「あなたのいない夕暮れに」は、世界の名作と呼ばれる詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

あなたのいない夕暮れに -世界の名詩を新訳で yori.so publishing

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「あなたのいない夕暮れに」は、世界の名作と呼ばれる詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

    エミリー・ディキンソン「100 年の月日が流れたら」

    エミリー・ディキンソン「100 年の月日が流れたら」

    あなたへ  



    こんにちは。今年の後ろ姿が少し見えてきましたが、「いや、まだ行かないで」と今年の袖を強く掴みたい毎日です。おかわりありませんか。  



    実は、あなたといつか一緒に行こうと話していたあの喫茶店が、久しぶりに行ってみたらなくなっていて…静かで鈍いショックから立ち直れずにいます。  



    空っぽになった店のドアに貼られた「閉店します」の張り紙には、常連さんたちの書き込みが沢山ありました。これまで何度も「最後と分かっていたら何と声をかけただろう」という思いをしてきたのに、私はまたその言葉を見つけることができませんでした。  



    最近、ちょっとした失敗や、うまくいかないことが続いています。あの喫茶店はそんな時に、こっそり心を整える場所だったので、これからはどうすればいいんだろうと戸惑っています。



    あなたとも、いろいろ落ち着いたらあの店でなんて言いながら、ずっと先延ばしにしていたことを後悔しています。自分も、世界も、きっと何もかもが落ち着く日なんて来ないから、会いたくて会える人、行きたくて行ける場所には、降る雨の隙間をぬうように会いに行きたいと思いました。  



    何もかも落ち着かないまま、いつか、みんな、終わってしまうから。  



    そんな実感はなかなか持てないけれど、よいことも、よくないことも、…よくも悪くもないことも、その全てにいつかは終わりが来るということに、少しホッとしたい夜もあります。  



    それは、「ここではないどこかへ」行ってしまいたい夜。  



    今日は、そんな「どこか」へ連れて行ってくれる詩をおくります。  



     After a hundred years  

     Nobody knows the place,--  

     Agony that enacted there,  

     Motionless as peace.  

       

     Weeds triumphant ranged,  

     Strangers strolled and spelled  

     At the lone orthography  

     Of the elder dead.  

       

     Winds of summer fields  

     Recollect the way,--  

     Instinct picking up the key  

     Dropped by memory.  

       

     100年の月日が流れたら  

     ここで苦しみを抱え  

     立ち尽くしたことなど  

     もう誰も知らない  

     静けさだけが穏やかに佇んでいる  

       

     時は緑におおわれて  

     出会うことのない人々が行き交い  

     かつて生きた誰かの  

     石に刻まれた  

     ひそやかな跡をなぞるだけ  

       

     草原をゆく風が  

     この道を振り返り  

     ふいにひらめき  

     手にするだろう  

     思い出せずにいる  

     大切な何かを  



    ---



    この詩が書かれてからまさに100年の月日が流れた時を、今、こうして生きているんだと思うと、遥か遠くから投げられたボールを、うまくキャッチできたような気持ちになります。  



    人は過去から何かを受け取ると、今をより濃く感じ、少し前を向くことができるみたいです。100年前も、そして100年後も、私たちはいなくて。結局、私たちには「今」を知ることしかできないのだと。  



    あの喫茶店はなくなってしまったけれど、100年の月日を遠く思い、果てながら続いてゆく今を感じていたら、ちょっと元気になってきました。  

    あなたにも伝わるといいなと願いながら、また手紙を書きます。  



    あなたのいない夕暮れに。



    文:小谷ふみ  

    朗読:天野さえか  

    絵:黒坂麻衣  

    • 7分
    エミリー・ディキンソン「宝ものをにぎりしめて」

    エミリー・ディキンソン「宝ものをにぎりしめて」

    あなたへ  



    こんにちは。秋と冬がすれ違うかすかな風を、スカートの裾に感じる季節になってきました。おかわりありませんか。  



    季節の変わり目は、頭痛がする日があるのですが、その引き金となる失くし物をしてしまって、ちょっと困っています。眼鏡です。手元を見る時だけにかけるので、ちょっとどこかに置いたまま忘れてしまうことがしばしばで。  



    何かを失くすたび、これまで失くしてきたものたちのことも思い出しては、「ああ、あれは結局どこに行ってしまったんだろう」と、ちょっと胸がチクリとします。



    失くしものは、日用品だったり、思い出の品だったり。物じゃないないものもあります。  

    それは、途切れてしまったあの頃の夢や、あの時の目標や。大好きだったあの人との時間や。

    それから、自分の誕生日を迎えるあのワクワク感もどこに行ってしまったんだろうと思いましたが、それは失いながら別の感情が引き出されて来ました。  

    失くしものにも「その先」があるのですね。  



    失くしたものは、今もどこかにあって、遠くからこちらを見つめている。そんな風に感じることがあります。  



    「いま、君から何が見えますか?」  



    私から離れていったものたちから、私はどんな風に見えているんだろう。失くしたものから見える景色を手繰り寄せたら、再び巡り会えるような気もして。



    そんな後ろ髪を引かれながらも、今日は「失くしたものが残すもの」が、愛しくなるような詩をおくります。  



    I held a Jewel in my fingers —  

    And went to sleep —  

    The day was warm, and winds were prosy —  

    I said "'Twill keep" —  

       

     I woke — and chid my honest fingers,  

     The Gem was gone —  

     And now, an Amethyst remembrance  

     Is all I own —  

       

     宝ものをにぎりしめて  

     眠りについた  

     その日はあたたかく  

     吹く風はいつもと変わらなかった  

    「ずっとこのままで」そう思っていたのに  

       

     目が覚めたら  

     宝ものはどこかに消えていた  

     嘘のつけないこの指を責めたくなる  

     そして今、アメジストの透き通る記憶が  

     この手のひらに残されたすべて  



    私たちは、時間や若さや、あらゆるものを失い続け、その記憶にすっと背中を支えられ、そっと押されるように、生きていゆくのですね。  



    私の失くしものは頭が痛いですが、いつかあなたが失くしたものが、あなたを見守ってくれていますように。遠くで、いつも祈っています。  



    あなたのいない夕暮れに。



    文:小谷ふみ  

    朗読:天野さえか  

    絵:黒坂麻衣  

    • 6分
    エミリー・ディキンソン「草葉はそこに佇むだけで」

    エミリー・ディキンソン「草葉はそこに佇むだけで」

    あなたへ



    こんにちは。夏の入道雲を見送り、迎えた秋の高い空にやっとひと息つけるころになりまし

    た。おかわりありませんか。



    雨上がりの今日は、午前中に久しぶりの庭仕事をしたのですが、長い梅雨、そして暑い日々

    を乗り越えて、草木も少しホッとしているように感じました。



    午後から買い物や図書館に行くつもりだったのに、思いのほか草抜きに時間と体力を奪われ

    てしまい、ひとやすみしながら、土の匂いが立ちこめる庭で手紙を書いています。



    土と同じ目線になってみたら、3ミリくらいのバッタの赤ちゃんや、5ミリくらいの小型の

    ゲジゲジ虫、地球の素肌に生まれ育つ、幼い生きものたちに出会いました。



    私たちもミリの大きさから始まって、細胞分裂を繰り返し、この大きさになってきたわけで

    すが、ここまで大きく、そして増えてしまう間に、ちょっと複雑になりすぎてしまいました

    ね。



    土から目線を上げてみれば、そこに佇む木や花たちは、自分の命を育む分だけの光や水を求

    め、周りの生きものと支え合って生きていて。



    コンクリートの上では、「生きるためだけに、生きる」ただそれだけのことが、どんなに難

    しいことかとため息が出ます。



    今日は、そんな私たちの目線を、道路脇にふと逸らしてくれるようなエミリー・ディキンソ

    ンの英語の詩に、私なりの言葉を添えておくります。



    The Grass so little has to do̶

    A Sphere of simple Green̶

    With only Butterflies to brood,

    And Bees, to entertain̶



    And stir all day to pretty tunes

    The Breezes fetch along,

    And hold the Sunshine, in its lap

    And bow to everything,



    And thread the Dews, all night, like Pearl,

    And make itself so fine

    A Duchess were too common

    For such a noticing,



    And even when it die, to pass

    In Odors so divine̶

    As lowly spices, laid to sleep̶

    Or Spikenards perishing̶



    And then to dwell in Sovereign Barns,

    And dream the Days away,

    The Grass so little has to do,

    I wish I were a Hay̶



    草葉はそこに佇むだけで

    飾り気のない緑の広がりに

    蝶は我が子をあたため

    ミツバチは遊ぶ



    そよ風が運ぶ優しいメロディに

    一日中揺られながら

    ふところに日だまりを抱き

    あらゆることに深く頷いて



    そして

    一晩中、真珠のような夜露をつなぎ

    首飾りにして身にまとうから

    どんな華やかに着飾った者も霞んでしまう



    やがて生涯を終える時も

    自らの命の匂いに包まれながら

    味を失うスパイスのように

    香り消えゆくハーブのように横たわる



    それから雨風しのげる囲いの中で

    夢うつつの日々を過ごすだけ

    草葉はそこに佇むだけで

    私は次の扉が開くのを待ちながら

    横たわるだけの草になれたらいいのに



    昼を過ぎてから、風が少し強くなってきました。



    今日は、自宅から外に出ることなく、庭の草木の気持ちになりながら、親しい友人に手紙を

    書き、詩をひっそりと残す。まさに、ディキンソンの世界そのもののような午後を過ごしま

    した。

    自分自身を生きるのにちょっと疲れた時、誰かのように過ごしてみるのもいいなと思いまし

    た。



    草木の香りを抱いた安らかな風が、あなたの住む町に吹きますように。

    願いを込めて、また手紙を書きます。



    あなたのいない夕暮れに。

    • 7分

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