よっしーの「今週のエッセイ」 森田義夫
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- レジャー
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自分が書いたエッセイに自分で、突っ込みを入れてます。過去の自分と今の自分、どんなんかな?
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今週のエッセイ/マルチワーク
8年前になる。
この時期はこんなに働いていたのかと驚愕!
今は、ブライダルの仕事とネットの配信作業と家事と趣味で
一週間が過ぎてしまう。やりたいことが多くて、一日がとても速い。
今週には、エッセイ集が完成しそうだ。
このエッセイは、2016年2月の作品です。
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「マルチワーク」
今年は、六十五歳になろうとしている。一昔前なら、鬼籍に入っているか、隠居の暮らしだろう。しかし、逆に仕事を増やしている。そんなにも働かなくてもという声も聞こえてきそうだが、こちらにも他人に言えない事情と言うものがある。私の人生には、安穏とした老後というイメージはない。体が続く限り働いて、ライフワークに取り組んで、人生を振り返る時間もなく、あっと言う間に、引き上げられたい。エノクのごとくに・・・。幸いなことに、天における私の住まいは、すでに備えられている。
一昨年の十一月に学校給食の仕事に就いた。私の担当は、春日北中学校である。春日市の給食は、弁当なので、赤い食器には、ごはん、黒い食器には、おかずが二品から三品。それに、マグカップには、味噌汁などが入る。それを学年ごと学級ごとに入れ、弁当保温カートに納め、九つのカートを二トン車に入れ、十一時四十五分までに学校に納めるのである。毎日が、時間との勝負なので、作業に対する段取りがすべてである。ちょっと段取りが狂うと納入時間が遅れ、学校から校長会、校長会から教育委員会、教育委員会から中村学園事業部へとクレームが入ってくる。異物混入もしかり、数量違いもしかり、交通事故もしかりである。だから、納入が完了するとほっとするものである。毎日が緊張の連続であるが、1日一日で完結するので、翌日に引きずることはない。それに、夏休み、冬休み、春休みがあるのがいい。収入はないが体の休養には最高である。
ほかに、ブライダルの仕事もかかえている。もう、十八年目、二千件を越えてしまった。こちらの方は、土・日・祝日の仕事がほとんどである。だから、休みがない。それに団地の入金事務もあるので、大変だ。数字が合わない時は、徹夜して、そのまま仕事に出かける時もあった。その他にも収入はないが、自社の経理、NPO法人の経理も見ている。
マルチワーク。現代ならではの働き方かも知れない。その先に何が待っているか分からないが、今は、楽しくこなしている。多分、何が起きようともそのまま受け入れてしまう。そういう生き方をしてきた。だから、悔いはないが、他人に薦める気はない。まぁ、そんな生き方は、御免蒙りたいという声が聞こえてきそうだが・・・。満足な人生、でも、高らかには叫べない。
注
エノク・・・創世記五章二十四節「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」
エノクだけが死んだという記述がなかったので、生きたまま引き上
げられたという人もいる。
天における私の住まい・・・「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く
のです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て
あなたがたをわたしのもとに迎えます」(ヨ -
今週のエッセイ/未来草稿
これは、確か、「余暇草」の巻頭言だったかな?
この時期は、比較的本を良く読んでいたようだ。
今は、ほとんど読まない、聖書以外は。
本屋の平積みが私を呼ばない。
だから、本屋にも寄らない。
コロナ以降、それが顕著である。
このエッセイは、2015年7月の作品です。
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未来草稿
草枕、文鳥、霧の城、鬼弾、悪党の戦旗、朝の霧、のぼうの城、忍びの国、
信長の血脈、剣と紅、三好長慶、前田慶次郎、崖っぷち侍、花の館、刀伊入寇、
沙門空海唐の国にて宴す、長曽我部最後の戦い、実朝の首、箱根の坂、光圀伝。
漱石を除いて時代小説あるいは歴史小説に類する本である。今年は、何だか歴史物を無性に読みたくなった。年間百冊を読破すると感嘆の声が聞こえそうだが、五十数冊では、中途半端な数である。しかし、これが僕の限界だ。
読むと書きたくもなる。書くと行き詰まる。またぞろ、読みたくなる。そして、ペンを執る。そこに成長した自分を見出すのは皆無に等しい。陳腐な文章でもマンネリズムな表現でも独りよがりな言葉でも、それはそれでいい。何を伝えたいかは、ない。読んだ人が何かを感じれば、それがメッセージだ。自分を分かって欲しいという気持ちは、ない。自分自身も分からないのに他人が分かるはずがない。でも、書きたい。残された未来に向けて、読破した本がそのまま私の草稿だ。
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いま、エッセイ集の編集作業中だ。
「手ほどの雲 その一」
書いたエッセイに、その時の心情、状況、環境等々を加筆している。
自分の生きた証しにもなるので、それはそれで面白い。
それも亦、愉しからずや」です。 -
今週のエッセイ/生まれた町の遺構が世界遺産へ
私が生まれた町が世界遺産へ
嬉しいことではあるが、無名の町である。
長崎に住んでいても、小菅という地名を知らない人は多かった。
世界遺産になったとしても、やはり無名のままである。
このエッセイは、平成27年7月の作品である。
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生まれた町の遺構が世界遺産へ
私が生まれた町は、長崎市小菅町7。今回世界遺産に登録されたひとつに小菅修船場跡があり、その住所は小菅町5です。長崎駅から野母半島へと続く道沿いにあります。実家の前は、その道があり、渡ると下の方に小菅修船場跡が見えます。通称、”ソロバンドック”です。
江戸末期から明治にかけて、長崎に出入りしていた船は中古船が多くて、たびたび故障していました。船を修理する設備が欲しいという声が多くあがり、薩摩藩士小松帯刀と五代才助、グラバーなどが協力して、長崎湾からすぐに船を引き上げやすくなっていた入り江小菅にそれを作ったのです。船を引き上げる為のレール上の滑り台が上から見るとソロバン状の形に見えたことから”ソロバンドック”と親しまれています。
子供の頃は、すでに民営となっており、小型船舶の修理場となっていました。夏になると、「第八山田丸」と書かれた船舶が引き上げられ、錆を落とす音がけたたましく聞こえ、夏の風物詩となっていました。実家の五軒ほど先に「梶山商店」という駄菓子屋があり、といっても駄菓子だけではなく、パンや牛乳などの飲み物、米、野菜、缶詰なども売っていましたが、そのご主人が面白いことをしていました。店の前の道路を渡り、木の幹にロープをかけ、それを下の”ソロバンドック”に引き上げられていた船の甲板に取り付けてもらい、小さな籠を取り付け、上から下へ、下から上へと移動できるようにしたのです。その籠には作業員の注文の品が書かれ、商品とお金が行ったりきたりしていました。昭和二十八年に閉鎖されたとありますが、私の記憶の中にあるということは、昭和三十年代まで稼動していたような気もします。
小学生時代の社会科の教科書の中には、日本最古の造船所として写真入りで”ソロバンドック”が載っていました。最近では、すっかりそのことも忘れていましたが、世界遺産の登録で俄かに脚光を浴びるようになりました。それは、私の中だけかもしれませんが。グラバー邸までは来るのでしょうが、その先歩いて二十分程の”ソロバンドック”まで足を伸ばす人はいないようです。よっぽど歴史に興味があるか、船の引き上げ方法に興味があるかしないと来ないと思われます。近くに駐車場があるわけではなく、お土産屋さんがあるわけではなく、風光明媚な場所でもなく、何のお薦め目玉もありません。実家には、今七十を過ぎた兄が一人で住んでいますが、世界遺産登録後の様子を聞いてみようと思っています。
子供の頃から親しんでいた場所が世界遺産に登録されたということは、驚きであり、また、誇りでもあります。長崎市内の人でも小菅という町を知らない人が多いのですが、これで、少しは世界にその名を知る人が増えたことと思います。今までは、小菅を知らない人に、
「戸町(バス終点か経由地でほとんどの -
今週のエッセイ/漱石風を気取って
このエッセイは、この時の状況を理解していないと何のことか分からないと
思うので、かいつまんで、お話すると、
この当時、私は団地の管理組合の会計担当をしていました。
管理組合費の滞納者へ督促へ行った時の話なのです。
団地の5階まで上って、ベルを押したが、誰も出てこず、
帰ろうとして階段を降りかけた時に、その人は出てきました。
昼の一時頃でしたが、酔っているようでした。
その時の様子を、漱石風にエッセイにしました。
感情を抑える為に。
その後、この人とは、「支払った」、「支払われていない」で、
ひと悶着があって、後味の悪いものとなりました。
私の仕事ですから、仕事を全うしただけなので、仕様がないのですが。
2014年11月の作品です。
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漱石風を気取って
団地の階段を踏みながら、自分はふと考えた。
「今歩く道が過去からの道なのか、未来へと継ぐ道なのか、今知らず、後に知るべし」
一陣の秋風が階段の斜に当たり、踊り場の病葉を吹き上げて、自分の目の前で挨拶をした。今、逢おうとしている人は、自分にとっては無益な存在である。しかし、返信が来ない以上、逢いに行かざるを得ない。人の気配がしない玄関扉を前にして、ベルを二度押す。気配がない。あらかじめ認めた覚書を新聞受けへ投じる。気配はないが、何だか中が明るい。少しの間の後に、階段を降り始めた。三段目を降りかけた刹那に玄関の扉が開く音、即、踵を返したら、その人が佇んでいた。少し目が虚ろ、裸足、足元がふらついている。昼の一時なのにと思いながら相好の微笑みで返した。初対面だと一触即発の場面だが、少しばかりの関係性を持っていたので、お互いの用件を理解することができた。人を知る、知らないで、斯様に違うものなのか。それぞれの用件を受け入れて降りていった。
そうして、家人に話す種が殖えたことを喜んだ。
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思えば、滞納者ともよく交渉をしてきました。
解決してもしなくても、すっきりした気持ちにはなれませんでした。
それも又、今では、楽しからずや です。 -
今週のエッセイ/町作り人作り
誰に向かってのエッセイだったのだろう
10年前のエッセイだが、もっともっと昔のような気がする
今は、人と何かを作り上げるということはない。
自分の世界で事足りている。
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町作り人作り
武田信玄の軍略をまとめた「甲陽軍鑑」の中に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と有名な言葉があります。攻撃手段としての或いは防衛手段としての城や石垣や堀の役割があります。しかし、これらはすべてただの道具に過ぎないのです。この道具を有効に最大限に活用するのは人の力です。有象無象の集まりでは、立派な道具が泣いてしまうのです。
私たちが推し進めているNPO法人小羊の里も二期目となりました。少しはその思想や事業が具体性を帯び、少しずつだが支援する人々も増えてきたようです。私たちの事業は安心安全な場所作りです。具体的には環境にやさしい化粧品、安心して食べられる野菜、無理なく健康を維持できる体操、この三点セットがお互いを幸せにする大事なポイントです。これが少しずつ形になってきました。そして、それを提供する場所も福岡市でオープンし、島根県吉賀町でもオープンする予定となっています。この場所がどういう風に発展するのかは今からの楽しみでもあります。
さて、この町作り、それは人作りでもあります。町を作るには、その狙いが必要です。構想、計画、行動も必要です。そのひとつひとつを実現するには人の力が必要となってきます。人がその狙いを理解し、それにそって構想を練り、計画し行動していくのです。その時にやっと町らしきものの一片が見えてくるのです。
私たちの小羊の里は、みんなが夢を持ち、それぞれに協力しながら、みんなの夢実現のために前に進んでおります。どうかこれからも応援の程よろしくお願い致します。
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ビジョン無き民は滅びると言われるが、
今は、自分のライフワークに取り組むだけである。
それも亦愉しからずやです。 -
今週のエッセイ/カモン!家紋
最近、家系図を造ろうかなと思った。
義父が天に召された時に、自分で相続登記をしたが、
その時に集めた資料を丹念に追うと少しは何かが分かる気がした。
でも、時間も体力も知力もないので、誰かに依頼するのが一番良いかなと。
そこで、ネットで検索すると、4系統で13万円で・・・。
これが一番妥当かな! でも、大丈夫かな?
それに、今年は提灯も和田家と森田家の家紋入りを造ろうかな。
子どもたちに残しておきたい。
そんなことを考えている時に、このエッセイが出てきました。
このエッセイは、平成26年2月の作品です。
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カモン!家紋
いきなり息子から携帯へ着信があった。いつもはメールの返事もないし、電話にも出ないのに、何だろうと思い携帯に出た。
「お父さん、和田家の紋は、菊水だったよね」
「あ~」
「凄いじゃん」
「何が?」
「今、ネットサーフィンしていたら、菊水の紋にいきついてね、確か、和田家はそうじゃなかったかなぁと思って」
「そう、楠正成の紋」
「楠正成の子孫ということ?」
「よくは分からないけど、もともと楠の前は橘姓を名乗っていたらしい。それから、正成は楠姓に変わり、弟は和田姓を名乗ったらしい」
「ふ~ん。その菊水の紋は残ってないの?」
「提灯とか着物の紋には使われていたけど、今は、うちには何も残ってないなぁ」
「どっかに残ってない?」
「兄貴の家には何かあるかもしれないけど。ちょっと気にかけとくね」
「何かあったら、お願いします」
「わかった」
突然呼び出された菊水の紋。私の姓も和田から森田へと変わったから、ほとんど思い出すこともなかったのに、菊が入っているので、天皇と関係があるのかなぁと思い調べてみると、後醍醐天皇が正成に下賜したが、恐れ多いということで、下半分を水の流れにしたということだった。何の役にも立たない知識が一つ増えた。
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と、いうことで、家系図と提灯、作ってみたくなりました。
今年中に何とかしたいものです。
それも亦愉しからずや です。