ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について) yamamoyama
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- 宗教/スピリチュアル
ブログ安心問答(浄土真宗の信心について)の音声版です。浄土真宗の教え、信心、その他についていろいろと話をするpodcastです。
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#038「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか?
質問箱に頂いた質問について話しました。
Q「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか?
A「どう称えたか」によって、念仏それ自体が何か変わると思うのは疑っていることになります。それは、念仏を冷凍食品のように「レンジで解凍・あたため」をしないと食べられないもののように考えるからです。
質問箱の回答に加えて話をしました。
あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(行文類・P186)
番組の感想、質問は
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#037「阿弥陀様をたのむものを必ず助けるということですが、阿弥陀様に助けてくださいとお願いするのではなく、仰せをそのまま承るとはどのようなことなのでしょうか?」(頂いた質問
第36回目を聞かれての質問について話をしました。
質問「阿弥陀様をたのむものを必ず助けるということですが、阿弥陀様に助けてくださいとお願いするのではなく、仰せをそのまま承るとはどのようなことなのでしょうか?我にまかせよ、必ず助けるという仰せについて疑いのない状態、御本願をそのまま受け入れている状態を言うのでしょうか?」
話の中で出てきた御文
「「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。(一念多念証文 浄土真宗聖典註釈版P678)」
番組を聞いての質問は
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#036「蓮如様は、口に念仏申しただけでは助からぬと仰っていると思います。(略)今のままでは助からないのでしょうか?」(Peing-質問箱-に頂いた質問)
今回は、質問箱に頂いた内容について話をしました。
質問
「蓮如様は、口に念仏申しただけでは足すからぬと仰っていると思います。
一方で、阿弥陀様の御本願には、お念仏をとなえる衆生を必ず助けるとお誓いになられています。
蓮如様のお言葉をどう解釈したらよろしいでしょうか?
今私は助かりたい一心で、御本願を信じてお念仏をあげています。
今のままでは助からないのでしょうか?」
今回紹介した御文章。
答へていはく、まづ世間にいま流布してむねとすすむるところの念仏と申すは、ただなにの分別もなく南無阿弥陀仏とばかりとなふれば、みなたすかるべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなきことなり。(略)
他力の信心といふことを一つこころうべし。さて他力の信心といふ体はいかなるこころぞといふに、この南無阿弥陀仏の六字の名号の体は、阿弥陀仏のわれらをたすけたまへるいはれを、この南無阿弥陀仏の名号にあらはしましましたる御すがたぞとくはしくこころえわけたるをもつて、他力の信心をえたる人とはいふなり。この「南無」といふ二字は、衆生の阿弥陀仏を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもひて、余念なきこころを帰命とはいふなり。
つぎに「阿弥陀仏」といふ四つの字は、南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏のもらさずすくひたまふこころなり。このこころをすなはち摂取不捨とは申すなり(御文章3帖目5通)
番組を聞いての質問・感想は以下へよろしくお願い致します。
番組URL:https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2022/05/12/040544
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#035「阿弥陀様が、南無阿弥陀仏という名前になって私を救ってくださる。という理解でよろしいでしょうか?」(頂いた質問)
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安心問答ー浄土真宗の信心について-
話の中に出てくる御文
いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。(顕浄土真実行文類 - WikiArc・浄土真宗聖典註釈版P187)
(82)
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃 - WikiArc・浄土真宗聖典註釈版P571)
質問箱はこちら -
#034「南無阿弥陀仏を称える衆生を必ず助けるという御本願をそのままきくことができません。どうしたらよいでしょうか?」(頂いた質問)
ブログ安心問答ー浄土真宗の信心についての音声版として配信をしています。
今日の質問は質問箱のこちらからです。
話のなかで出てきた尊号真像銘文。
「「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。」 -
#033「この問題は阿弥陀様が勝手に解決してくれるまで待つしかないのでしょうか?」(頂いた質問)
質問の全文は、ブログ安心問答浄土真宗の信心についてをご覧ください。