ホッとする仏教のおはなし Hiroki.daiju
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「みんな何かを背負いながら生きている🏃♂️」。営業職時代の挫折や身近な人の抱える困難を契機に、私が学び大切にしている考えです。そんな世界に、ホッとできる一時を提供できたら、ちょっとした気づきのキッカケをお届けできたら。そんな気持ちでお送りしております。皆様の日常に、少しでもやわらかな瞬間が訪れますように✨
プロフィール
藤井大樹
1984年生まれ。関西外国語大学卒(英米語学科)。 音楽療法カウンセラー。浄土真宗本願寺派 教雲寺 住職。営業職時代の挫折や身近な人の抱える困難を契機に、仏教の説く「苦」や「不条理」に焦点をあてながら僧侶として歩む。「みんな何かを背負いながら生きている」ことを大切にしながら、傾聴活動や配信業務など様々な分野に挑戦中。
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頭の回転を止めると、よく見える!六窓一猿の喩え
一般には、「頭の回転が速い=物事がよく見えている」ように思われている傾向があるように思います。
私も頭の回転が速い方を見ると羨ましく感じます。
一方で仏教では、頭を含めた色々な感覚を、静かに止めることで「物事がよく観える」のだと説きます(これを止観といいます)。
その喩えとして「六窓一猿」を今回はご紹介いたします。 -
体験の重要性。指月の喩えとラーメン屋さん。
私たちは、情報を聞いただけで、分かったような気になってしまうことがあるようです。やはり百聞は一見に如かず。実際に体験することで、聞いた情報が「本当だった」と納得できる形が最も良いように思いますし、そうすることが情報を本当の意味で活かすことになります。
今回は、仏教の「指月の喩え」と「ラーメン屋さんの喩え」をお話しして、そのあたりを味わってみたいと思います。
指月(しげつ・しがつ)の喩え
「われは指を以て月を指し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は如何指を看て、月を視ざる」
(『大智度論』)
佛が涅槃に入られるとき、諸の比丘に語られた
今日より法に依って人に依ってはならない
義に依って語に依るべきではない
智に依って識に依ってはならない -
やりすぎは逆効果。ほどほどのススメ。
身体や心によい影響を及ぼす事や物が、私たちの周りには溢れています。ただ、それらも度を超すと、逆効果になってしまうことがよくあります。
仏教は【中道】を勧めます。極端な端っこではなく、真ん中の道を通りましょうということですが、今は「ほどほど」を勧める言葉として受け取ってみたいと思います。
ご紹介するのは、やり過ぎを戒めるお話し。どうぞお聴きください。 -
音楽の力。「あなたは一人じゃない」という境界の消失。
仏教の魅力のひとつに、「不安を和らげる力がある」という点が挙げられます。それは何か宗教的な境地などの類ではなくて、ちょっとホッとするような、些細だけれどあると嬉しいようなものにすぎませんが。
私は音楽療法士としての活動もしていますが、音楽にもそういった力があると感じています。
今回はその点をお話ししてみたいと思います。 -
因果の法則と囚人のジレンマ
私たちの周りの人間関係は、複雑で、ややこしくて、どうしたら良いか分からなくなることもある、そんな悩ましいものだと思います。
「こうしておけば大丈夫」という単純明快な答えはありませんが、良い人間関係を築くためのヒントが仏教にはあります。因果の法則からそれを考えてみたいと思います。 -
あなたの居場所は存在する。仏教は気づきの教え。
仏教は智慧の宗教と言われます。智慧というと少し難しいので、私は「気づき」と言い換えて受け止めています。気づきにも色々とありますが、仏教の気づきとして【自分の居場所】に気づいていくという点が挙げられ、そこがとても大事なのではと思うのです。
今回は仏弟子のお話を通してそのあたりを窺ってみたいと思います。