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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

リジョイス聖書日‪課‬ RCJメディアミニストリー

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

    心の目が開かれることを祈り求めて(マタイによる福音書 8-9章)

    心の目が開かれることを祈り求めて(マタイによる福音書 8-9章)

    二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。
    (マタイによる福音書9章27節)

    8章から9章にかけては、主イエスがなさった奇跡と対話を通して、主イエスの救い主としての御力が明らかにされています。主イエスは私たちの苦しみと悩みを背負ってくださる救い主です(8章17節)。すべてを捨てて「わたしに従いなさい」とお求めになります(8章22節)が、従うならば、たとえどんな人生の嵐であっても、いつも共にいて、必ず守ってくださいます(8章26節)。そして、私たちの中にどんなに大きな罪の力が入り込んでいても、そのすべてを解決できるお方なのです(9章2節)。
    主イエスが、そのようなさまざまな奇跡や対話を通してご自分を明らかになさったとき、人びとはどういう反応を示したでしょうか。一つの反応は、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」という群衆の素直な反応でした(9章33節)。しかし、もう一つの反応は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」というファリサイ派の人びとの反応です(9章34節)。彼らは聖書を非常によく勉強していました。けれども、主イエスのことは分からなかったのです。心の目が開かれて(9章30節)、主イエスを救い主として受け入れることができるよう、祈り求めて歩みましょう。

    【祈り】
    主イエスこそわたしの救い主と素直に受け入れることができるように、私たちの心の目を開いてください。

    山上の説教感謝の生活の手引き(マタイによる福音書 5-7章)

    山上の説教感謝の生活の手引き(マタイによる福音書 5-7章)

    「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」
    (マタイによる福音書7章24節)

    山上の説教には「敵を愛しなさい」に代表されるような理想的な教えが幾つも語られています。しかし、ただ教えるだけならば、これまでにも多くの偉人たちが同じような教えを繰り返し語ってきました。問題は、教えた人が、それを実践へと導く力をもっているかどうかです。主イエスは、ただ教えるだけではなく、実際に人をそのように造り変えてくださいます。私たちを十字架の愛に絶えず浸し、少しずつ造り変えてくださるのです。
    私たちは、完全な愛に生きることができません。その自らの弱さや罪に私たちはしばしば打ちひしがれます。しかし私たちは、主イエスの十字架によって赦していただきながら、何度失敗しても、悔い改めつつ、また立ち上がっていくのです。
    きょうの箇所の、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う」とは、この主イエスの十字架の赦しのもとで諦めずにこの愛に向かって生き続ける、ということでしょう。そこに私たちの感謝の生活があります。そして、この山上の説教が指し示す生き方を追い求めていくときに、きっと主イエスが責任をもって私たちを造り変えてくださいます。山上の説教は、主イエスが私たちに与えてくださった、感謝の生活の手引きなのです。

    【祈り】
    私たちを造り変えてくださる主の御手を信じ、主の言葉を正しく受け止めることができますように。

    占星術の学者たちの礼拝(マタイによる福音書 2章1-12節)

    占星術の学者たちの礼拝(マタイによる福音書 2章1-12節)

    「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
    (マタイによる福音書2章2節)

    きょうの箇所には、東の国の占星術の学者たちが、星に導かれて、幼子の主イエスを礼拝したという物語が記されています。彼らは、最初からまことの神を礼拝する信仰をもって旅に出かけたわけではありません。最初、彼らは、星占いによって旅立つことを決心したのです。神は、星占いの道が間違っていることをよくご存じでした。しかも、彼らが外国人で、他の宗教を信じている異教徒であることもよくご存じでした。その上で神は、彼らを少しずつ整え、ついに幼子主イエスの前にひれ伏すときには、まことの神を礼拝する者へと造り変えてくださったのです。
    罪を犯したアダムが神によって追放されたのが東方でしたから(創3章24節参照)、東方とは罪の暗闇を暗示するのかもしれません。ここでは、その東方からやって来た占星術の学者たちが救われたのです。これは、イエス・キリストがどのようなお方であり、何のためにこの世においでになったのかを見事に言い表した物語ではないかと思います。
    今、さまざまな問題を抱え、不安や孤独を覚えながら、暗闇の中でうずくまっておられる方々、そういうあなたの暗闇を照らし、あなたを救うために、イエス・キリストはこの世にお生まれになったのです。

    【祈り】
    占星術の学者たちを導かれた神よ、暗闇の中でさまよう私たちに、明けの明星を仰がせてください。

    インマヌエル神は我々と共におられる(マタイによる福音書 1章18-25節)

    インマヌエル神は我々と共におられる(マタイによる福音書 1章18-25節)

    「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
    (マタイによる福音書1章23節)

    人間は、古代から現代に至るまで数多くの苦悩を背負い続けてきました。しかし、聖書は、そのような目の前に横たわっているさまざまな苦悩ではなく、その背後にある根本的な悲惨を見つめています。
    では、その根本的な悲惨とは何でしょうか。それは、神を失っているという悲惨です。そもそも私たち人間は、神と共に生きる存在として造られたわけで、その神から離れて生き始めるときに、その人生が空しくなるのは当然です。これは私たち人間の責任であり、聖書は、それを「罪」と言っているのです。それゆえに、私たちに本当に必要なのは、神との交わりを妨げている、この罪の問題の解決でした。
    私たちは、「イエス」と名付けられたお方によって罪から救われました。神と和解することができたのです。そして、きょうの箇所では、このイエスというお方が「インマヌエル」と呼ばれる、と言われています。ここに、私たちの罪の問題を解く鍵があります。罪赦されたときに初めて、神が共におられることが喜びとなり、力となり、希望となるのです。もはや私たちは、神から身を隠す必要はありません。神がいつも共にいてくださることを、心の底から喜ぶことができるのです。

    【祈り】
    神様、厳しい苦難の中にあっても、主が共にいてくださることを信じ、希望をもって歩ませてください。

    矢ではなく御顔に心を向ける(詩編 11編)

    矢ではなく御顔に心を向ける(詩編 11編)

    「世の秩序が覆っているのに
    主に従う人に何ができようか。」
    (詩編11編3節)

    いつの時代も人の世は同じかもしれません。「世の秩序が覆っている」。そのような時、痛感させられることがあります。自分に「何ができようか」。しかし、その自分が「主に従う人」であるならば、何をすべきでしょうか。何も出来ることはないと思われるかもしれません。
    人々は主に従う人に言います。「鳥のように山へ逃れよ」(1節)、と。「見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ、闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている」(2節)から、と。つまり、矢を逃れるには山に逃れるよりほかないのだ、と。
    詩人は答えます。逃れる必要はありません。神が天から誰も逃れられないまなざしを向け、誰も逃れられない裁きを行ってくださるからです。
    詩人は知っています。主に逆らう者は心のまっすぐな人を射ようとする。しかし、神は、「御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる」(7節)。私たちは、自分に向けられた矢に心を向ける必要はありません。自分に向けられた御顔にこそ、まっすぐに心を向けるべきなのです。その時、「主を、わたしは避けどころとしている」という御言葉が、私たちの言葉になります(1節)。

    【祈り】
    神様、あなたが私たちの避けどころとなってください。矢ではなく、あなたの御顔にまっすぐに私たちの心を向けさせてください。

    ヨセフ物語(3)地上の幸福ではなく(創世記 49-50章)

    ヨセフ物語(3)地上の幸福ではなく(創世記 49-50章)

    「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
    (創世記50章25節)

    死んだと思っていた息子ヨセフとの再会を果たしたヤコブは、家族と共にエジプトで暮らし、穏やかな日々を過ごして世を去ります。ヨセフと兄たちも和解して、すべては丸く収まり、ハッピーエンドです。しかし、それが創世記の目的ではありません。
    死を前にしたヤコブは、自分の遺体を必ずカナンにある先祖代々の墓に葬るようにと繰り返し命じます。ヨセフもまた、神が子孫を約束の土地に導かれる時には、自分の骨を携え上るようにと指示するのです。
    人間の堕落の故に、罪と悲惨の世界がもたらされました。今や人間が築き上げた最高の文明であるエジプトでの栄光を手にしながら、神の民のゴールはそこではないと、『創世記』は示します。こうして約束の物語は、次へと続いて行くのです。
    「わたしが示す地に行きなさい」と言われた主の言葉をひたすら信じて、地上では旅人として生きること。たとい約束されたものを手に入れられなくとも、はるかにそれを望み見て喜んで生きること。
    これこそが『創世記』が物語る族長たちの生き様です。そして、聖書の神は、彼らの神と呼ばれることを決して恥とはされませんでした(ヘブ11章16節)。

    【祈り】
    神様。地上での幸福に安住することなく、絶えず天の都を望み見て歩めるように強めてください。

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