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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

リジョイス聖書日課 RCJメディアミニストリー

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

    預言者のために(アモス書 7章)

    預言者のために(アモス書 7章)

    アマツヤはアモスに言った。
    「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。」
    (アモス書7章12節~13節)

    アモスには三つの幻が示されます。最初の二つの幻(いなごと審判の火)が示されたとき、彼はイスラエルのために執り成し、主は思い直してくださいました。しかし、三つ目の幻では、下げ振りという垂直を見るための道具を北王国イスラエルの真ん中に下ろす、と主はおっしゃいます。「もはや、見過ごしにすることはできない」、お前たちの道を真っ直ぐに正せ、と。
    そのことを告げるアモスを妨げて、北王国に仕えるベテルの祭司アマツヤは言います。「先見者よ、行け。ユダの国…で預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな」。人は、主の裁きの御言葉、悔い改めが求められる言葉は聞きたくありません。耳に痛い言葉を語る人を避けたがるものです。
    ですから、パウロは言います。「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け…ます。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(2テモテ4章3-5節)。

    破滅に心を痛めよ(アモス書 6章)

    破滅に心を痛めよ(アモス書 6章)

    お前たちは象牙の寝台に横たわり
    長いすに寝そべり

    竪琴の音に合わせて歌に興じ

    大杯でぶどう酒を飲み
    最高の香油を身に注ぐ。
    しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
    それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き
    寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。
    (アモス書6章4節~7節)

    6章は、「災いだ、シオンに安住し、サマリアの山で安逸をむさぼる者らは」と、災いを告げるメッセージで始まります。
    南ユダ王国の都エルサレムのシオンの丘、北王国の都サマリアの山は、それぞれ武力と繁栄を一定期間、誇っていました。そのおごり高ぶる様子が、「お前たちは象牙の寝台に横たわり…」と表現されます。人びとは宴を開いて大酒を飲み、国が滅びようとしても心を痛めることがありませんでした。
    これに対してアモスは主の言葉を告げます。「わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い、…わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す」(8節)。
    主イエスの母マリアは、主をほめたたえて歌っています。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし…」と(ルカ1章51、52節)。主なる神はおごり高ぶるものを戒め、小さな者、弱い者を憐れまれるお方です。
    アモスやマリアが言うとおり、ユダもイスラエルも、捕囚の列の先頭を行き、酒宴は終わりました。目を覚まして、主を畏れることを学びたいものです。

    主を求めて、生きよ(アモス書 5章)

    主を求めて、生きよ(アモス書 5章)

    まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
    わたしを求めよ、そして生きよ。
    しかし、ベテルに助けを求めるな
    ギルガルに行くな
    ベエル・シェバに赴くな。
    ギルガルは必ず捕らえ移され
    ベテルは無に帰するから。
    主を求めよ、そして生きよ。
    (アモス書5章4節~6節)

    主の懲らしめの中を苦しむ主の民に向かって、主はおなかが痛くなるような思いでおっしゃいます。「わたしを求めよ、そして生きよ」と。
    主を捨てて、主から離れ、別の神々を求めて、結果として主からの懲らしめを受けるイスラエルに対して、主なる神はいつも手を差し伸ばし続けておられます。
    「あなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。…あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである」(申4章29~31節)。
    たとえ懲らしめのただ中にあっても、主なる神の私たちへの憐れみは変わりません。神の民が、神を求め、神との命の交わりのうちに生きる。それが、失われた子たちを捜し求める父なる神の本心です。
    罪ある人間の親でも、自分のもとを去った家出息子、家出娘を待ち続けるものです。ましてや、私たちの父である神は、きょうも私たちが、神との交わりを求めることを待ち続けておられます。

    キリストの無限の赦し(マタイによる福音書 18章21-35節)

    キリストの無限の赦し(マタイによる福音書 18章21-35節)

    そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」
    (マタイによる福音書18章21~22節)

    イエス・キリストのもとには無限の罪の赦しがあります。キリストは、兄弟を赦すことにおいて、制限を設けられませんでした。
    ペトロは兄弟を7度まで赦すことができたなら、キリストの弟子として満点だと考えたようです。事実、「7回までですか」との発言自体、当時としては画期的な考え方でした。しかし、キリストは、「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」と言われました。ペトロが考えたのは、回数としての7でした。それに対してキリストが言われた7は、完全数としての7です。それだけでも完全な赦しを求められている。さらに、それを70倍と言われたのですから、これは無限の赦しを意味しています。
    私たちは時に、自分はあの人を赦してあげたと誇るかもしれません。しかし、実際には真実に誰かを赦すことのできない罪人です。
    キリストが無限に赦してくださっていることを忘れないようにしましょう。私たちはキリストに赦されている罪人です。感謝と謙遜さをもって歩む日々は、私たちにまたキリストの赦しの大きさに気づかせるでしょう。

    帰って来い(アモス書 4章)

    帰って来い(アモス書 4章)

    ベテルに行って罪を犯し
    ギルガルに行って罪を重ねよ。

    だから、わたしもお前たちのすべての町で
    歯を清く保たせ
    どの居住地でもパンを欠乏させた。
    しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと、主は言われる。
    (アモス書4章4節~6節)

    4章では、「しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと、主は言われる」と、5回も繰り返されます。
    「しかし、お前たちはわたしに帰らなかった」。これは、「わたしのもとに帰って来い」という、神の切実なメッセージです。
    帰って来させるために、神はパンを欠乏させ、日照りで渇きを与え、黒穂病、赤さび病、いなごを送り、疫病と剣を送り、ソドムとゴモラを滅ぼしたような破滅を送ったのでした(6~11節)。しかし、どんな苦難を送ってもイスラエルは神に帰らなかったのです。
    神のメッセージは明らかです。「苦難を通して目を覚まし、正気に返って、主なる神のもとに帰って来い」。これが神のメッセージです。
    今、あなたも何らかの苦難、困難の中にあるかもしれません。詩編の信仰者はこう言います。「苦しみに遭ったのは私には良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした」(聖書協会共同訳、詩119編71節)。
    神の民が、神の懐に立ち帰るために、神は何度も苦難を与えて、呼び戻そうとしてくださっています。神に立ち帰り、「神と出会う備え」(4章12節)をさせるためです。

    わたしがお前を選んだ(アモス書 3章)

    わたしがお前を選んだ(アモス書 3章)

    イスラエルの人々よ
    主がお前たちに告げられた言葉を聞け。
    ―わたしがエジプトの地から導き上った全部族に対して―
    地上の全部族の中からわたしが選んだのは
    お前たちだけだ。
    それゆえ、わたしはお前たちを
    すべての罪のゆえに罰する。
    (アモス書3章1節~2節)

    「地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ」と、主なる神はイスラエルに対しておっしゃいます。これも、何度も繰り返される表現です。
    「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた」(申7章6節)。
    主なる神が選び、御自身のものとされたのだから、「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」(レビ19章1節)。
    神がイスラエルを選ばれたのは、ただただ、神がイスラエルを愛されたからです。愛された者には責任も伴います。愛され、神の民として聖なる民として取り分けられたからです。
    神は愛のゆえに選び、イスラエルを御自分のものとされました。それゆえに、道から逸れれば罰します。けれども、それは罰するための罰ではありません。あるべき道へ戻すための愛の警告です。
    そのような主なる神の、イスラエルを御自身との愛の応答関係に連れ戻したい熱意が、アモスを突き動かします。「主なる神が語られる。誰が預言せずにいられようか」(8節)と。

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