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不随意な身体のリアリテ‪ィ‬ 哲楽

    • 教育

(インタビュー◎2015年7月25日 ホテル&レジデンス六本木にて Music: Korehiko Kazama)

森岡正博さんは、早稲田大学で哲学を教えている。2015年の春、27年ぶりに関西から関東に戻ってきたばかりだ。7月最後の土曜、首都高速が頭上を走る通りに面した都内のホテルで開催された「現代哲学ラボ」で、話を伺った。

森岡さんの生まれ故郷は高知県。小学生のときに「死んだらどうなるんだろう」という問いに取り憑かれて以来、「強制的に哲学者にならされてしまった」という。その問いを抱えたまま、東京大学に進学。物理学や数学でこの問いの答えを見つけようとしたものの、期待していたものは得られず、哲学に転向した。大学院でヴィトゲンシュタインの分析哲学に出会ったときに「まさにこれだ」と感じてのめり込んだ。一方で、理系と文系の間を行き来したことから、科学技術の問題についても考えるようになり、「自分を棚上げしない」パラダイムを立ち上げようと奔走した。

時は1980年代。その頃に登場した生命倫理学という学問分野では、脳死の問題が扱われていたものの、自分たちが倫理の問題を生み出しているという意識が欠落していることに疑問を感じ、何か別の形が必要なのではないかと森岡さんは感じたのだ。1988年、その思いが最初の本『生命学への招待―バイオエシックスを超えて』に結実する。さらに京都で就職してから数年後の1994年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの論客たちとの対談本『電脳福祉論』を出版する。

あらゆる技術が身体障害者や高齢者と接続するに従って、そうした人々が文明の最先端に立つことになるのではないか。そんな見通しを、5人の論客たちにぶつけたのだ。最後に橋爪大三郎氏と対談したとき、森岡さんはある素朴な未来予想をぶつける。「これから先、人間と機械が接続されるようになると、複数の人々がひとつの大きな身体を共有するようになるのではないか」と。複数の人々が大きなクレーンを同時に操縦する思考実験で、この直観を表現してみたものの、橋爪氏は否定する。それは「随意運動」に対する「麻痺」が起こっている状況であり、「身体の共有」ではありえないと。

森岡さんはここでもまだ自分の直観を捨てきれず、複数の人々の身体が一台の車に接続され、エネルギーを供給しながら走る思考実験を出してみる。それに対しても橋爪氏は、それは「我々が太陽に依存しているのと同じで、身体の共有化ではない」と否定する。

森岡さんは、ある程度は自分の意志に従って動くクレーンを使っているうちに自分の脳に条件づけがほどこされるようになり、そうして複数の人間の身体像が形成されれば、身体が共有されたことになるはずだ、と最後まで粘った。

再び2015年7月。20年が経って改めて振り返ってみると、「随意運動―麻痺」という考え方は、身体のある一面しか捉えきれていないのではないかと思えた。身体の不随意な部分であっても、内臓感覚や、五感で感じる知覚なども、身体の別の側面として浮かび上がってくることに、当時から興味があった。しかしそれは個人的な興味を超えて、次の予測につながる。そうした不随意の側面をもった身体が機械を通して複数の人々と接続されると、自分の身体が拡張されるだけでなく、心も拡張され、ひいては他人の心が

(インタビュー◎2015年7月25日 ホテル&レジデンス六本木にて Music: Korehiko Kazama)

森岡正博さんは、早稲田大学で哲学を教えている。2015年の春、27年ぶりに関西から関東に戻ってきたばかりだ。7月最後の土曜、首都高速が頭上を走る通りに面した都内のホテルで開催された「現代哲学ラボ」で、話を伺った。

森岡さんの生まれ故郷は高知県。小学生のときに「死んだらどうなるんだろう」という問いに取り憑かれて以来、「強制的に哲学者にならされてしまった」という。その問いを抱えたまま、東京大学に進学。物理学や数学でこの問いの答えを見つけようとしたものの、期待していたものは得られず、哲学に転向した。大学院でヴィトゲンシュタインの分析哲学に出会ったときに「まさにこれだ」と感じてのめり込んだ。一方で、理系と文系の間を行き来したことから、科学技術の問題についても考えるようになり、「自分を棚上げしない」パラダイムを立ち上げようと奔走した。

時は1980年代。その頃に登場した生命倫理学という学問分野では、脳死の問題が扱われていたものの、自分たちが倫理の問題を生み出しているという意識が欠落していることに疑問を感じ、何か別の形が必要なのではないかと森岡さんは感じたのだ。1988年、その思いが最初の本『生命学への招待―バイオエシックスを超えて』に結実する。さらに京都で就職してから数年後の1994年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの論客たちとの対談本『電脳福祉論』を出版する。

あらゆる技術が身体障害者や高齢者と接続するに従って、そうした人々が文明の最先端に立つことになるのではないか。そんな見通しを、5人の論客たちにぶつけたのだ。最後に橋爪大三郎氏と対談したとき、森岡さんはある素朴な未来予想をぶつける。「これから先、人間と機械が接続されるようになると、複数の人々がひとつの大きな身体を共有するようになるのではないか」と。複数の人々が大きなクレーンを同時に操縦する思考実験で、この直観を表現してみたものの、橋爪氏は否定する。それは「随意運動」に対する「麻痺」が起こっている状況であり、「身体の共有」ではありえないと。

森岡さんはここでもまだ自分の直観を捨てきれず、複数の人々の身体が一台の車に接続され、エネルギーを供給しながら走る思考実験を出してみる。それに対しても橋爪氏は、それは「我々が太陽に依存しているのと同じで、身体の共有化ではない」と否定する。

森岡さんは、ある程度は自分の意志に従って動くクレーンを使っているうちに自分の脳に条件づけがほどこされるようになり、そうして複数の人間の身体像が形成されれば、身体が共有されたことになるはずだ、と最後まで粘った。

再び2015年7月。20年が経って改めて振り返ってみると、「随意運動―麻痺」という考え方は、身体のある一面しか捉えきれていないのではないかと思えた。身体の不随意な部分であっても、内臓感覚や、五感で感じる知覚なども、身体の別の側面として浮かび上がってくることに、当時から興味があった。しかしそれは個人的な興味を超えて、次の予測につながる。そうした不随意の側面をもった身体が機械を通して複数の人々と接続されると、自分の身体が拡張されるだけでなく、心も拡張され、ひいては他人の心が

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