闇を浮遊する視点から物語を紡ぐ 哲楽
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- 教育
(インタビュー◎2020年8月5日テレビ会議にて Music: Korehiko Kazama)
清水将吾さんは、大学講師として働く傍ら、東京を中心とした様々な場所で哲学カフェの進行役を務めている。「傍ら…」といっても、清水さんの場合、一方が本業で一方が副業というわけではなさそうだ。「哲学的な謎について人と対話する」ことを中心に据えて、国や分野の境を越えて学びの場を選び、仕事や依頼を受け続けてきた。そして今年の夏、一冊の哲学ファンタジーが上梓された。タイトルは『大いなる夜の物語』。41の謎で構成され、新社会人の登場人物の視点を借りて展開する。清水さんが20代の頃に考え始めた謎も含まれるが、数年前に一冊の物語にしようと決めてからは、「神話の力を借りてスルスルと書き進めることができた」という。
この物語は一風変わっている。一般的な物語では、主人公や書き手の視点という一定の場所から、様々な時空間で起きたことを理解して読み進めることができる。一方『大いなる夜の物語』では、この視点が動くのだ。動くのは時間や空間だけではない。主人公から登場人物へ、その登場人物から書き手へ、さらに地球から宇宙へ、オリオン座の裏側に行ったかと思うとまた物語の主人公の視点に戻ってきたりもする。
幼少期の清水少年は、シンガポールやアメリカや日本を行き来しつつ、『少年ジャンプ』で日本の漫画文化に慣れ親しんで育った。その後、日本の大学院を修了してからはイギリスに渡り、そのまま哲学の学位を取得する。人生の3分の1は日本語圏外の国で暮らしてきたことになる。清水少年の視点は、空間的に大きく移動してきたが、清水将吾という一人の人としての視点は変わらない。このことが物語の中心的な哲学的な謎にも繋がっている。視点という「儚い点」が存在すること、そしてそれが今日も明日も持続していること、これは一体、どういうことなのか。
清水さんの哲学者としての原点となるこの謎は、物語の中で視点の動きとして現れている。縦横無尽に動くその描写で、軽い目眩すら覚えるほど。
こうした描写と既存の文学的・物語的表現の共通性を探るため、川端康成の『雪国』冒頭の英訳や、隕石落下について国立科学博物館が伝えるプレスリリースを清水さんに朗読して頂いた。
任意の動く点を名もない誰かの視点として物語を始められる日本語表現に対して、英語表現は、ユークリッド空間上で “I” や “You” や “the train”として人や物の位置を指差しながら展開する箱のようでもある。『雪国』や隕石落下を伝える日本語表現は、実に巧妙に、しかし極めて自然に、任意の視点を世界の開けとして導入して、動かすことができる。その誰かの視点を通して、変わる風景や、移動する列車、隕石の形や色を、私の目の前にあるものとして感じることができる。
ひょっとしたら清水さんの哲学的な謎は、清水さんが様々な境界を移動する過程で託された、隕石の破片でもあるのかもしれない。その正体の解明は、物語の執筆を通して、読者とともに進められている。
インタビュー
誰かの視点を借りて体験する
田中:改めまして田中です。本日は最近本を出された『大いなる夜の物語』という本を出された清水将吾さんをお迎えしております。この哲楽ラジオですけど
(インタビュー◎2020年8月5日テレビ会議にて Music: Korehiko Kazama)
清水将吾さんは、大学講師として働く傍ら、東京を中心とした様々な場所で哲学カフェの進行役を務めている。「傍ら…」といっても、清水さんの場合、一方が本業で一方が副業というわけではなさそうだ。「哲学的な謎について人と対話する」ことを中心に据えて、国や分野の境を越えて学びの場を選び、仕事や依頼を受け続けてきた。そして今年の夏、一冊の哲学ファンタジーが上梓された。タイトルは『大いなる夜の物語』。41の謎で構成され、新社会人の登場人物の視点を借りて展開する。清水さんが20代の頃に考え始めた謎も含まれるが、数年前に一冊の物語にしようと決めてからは、「神話の力を借りてスルスルと書き進めることができた」という。
この物語は一風変わっている。一般的な物語では、主人公や書き手の視点という一定の場所から、様々な時空間で起きたことを理解して読み進めることができる。一方『大いなる夜の物語』では、この視点が動くのだ。動くのは時間や空間だけではない。主人公から登場人物へ、その登場人物から書き手へ、さらに地球から宇宙へ、オリオン座の裏側に行ったかと思うとまた物語の主人公の視点に戻ってきたりもする。
幼少期の清水少年は、シンガポールやアメリカや日本を行き来しつつ、『少年ジャンプ』で日本の漫画文化に慣れ親しんで育った。その後、日本の大学院を修了してからはイギリスに渡り、そのまま哲学の学位を取得する。人生の3分の1は日本語圏外の国で暮らしてきたことになる。清水少年の視点は、空間的に大きく移動してきたが、清水将吾という一人の人としての視点は変わらない。このことが物語の中心的な哲学的な謎にも繋がっている。視点という「儚い点」が存在すること、そしてそれが今日も明日も持続していること、これは一体、どういうことなのか。
清水さんの哲学者としての原点となるこの謎は、物語の中で視点の動きとして現れている。縦横無尽に動くその描写で、軽い目眩すら覚えるほど。
こうした描写と既存の文学的・物語的表現の共通性を探るため、川端康成の『雪国』冒頭の英訳や、隕石落下について国立科学博物館が伝えるプレスリリースを清水さんに朗読して頂いた。
任意の動く点を名もない誰かの視点として物語を始められる日本語表現に対して、英語表現は、ユークリッド空間上で “I” や “You” や “the train”として人や物の位置を指差しながら展開する箱のようでもある。『雪国』や隕石落下を伝える日本語表現は、実に巧妙に、しかし極めて自然に、任意の視点を世界の開けとして導入して、動かすことができる。その誰かの視点を通して、変わる風景や、移動する列車、隕石の形や色を、私の目の前にあるものとして感じることができる。
ひょっとしたら清水さんの哲学的な謎は、清水さんが様々な境界を移動する過程で託された、隕石の破片でもあるのかもしれない。その正体の解明は、物語の執筆を通して、読者とともに進められている。
インタビュー
誰かの視点を借りて体験する
田中:改めまして田中です。本日は最近本を出された『大いなる夜の物語』という本を出された清水将吾さんをお迎えしております。この哲楽ラジオですけど
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