人生fm kirimin
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- Technology
人生fmはきりみんちゃんの知り合いにゲストとして出演してもらい、主に生い立ちやエンジニアになった経緯、今後の人生について思っていることなどを自由に語ってもらうポッドキャストです。
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15.「そんなこんなでiOSアプリエンジニアになれました」
show note
自己紹介
iOSエンジニア
半生とか
学生
小学、中学
MSXというパソコンにはまる、雑誌に載っているゲームのプログラムを打ち込む
そのころはFDDがあったりなかったりしたのでテープに保存していた
高校
電気科、ポケコンでゲームを作る
FM-TOWNSという富士通のパソコンを買ってもらう
専門学校
ちょうどWindows 95が発売されて、インターネットが一般に普及した
Windows PC(Dos/V)を買ってもらう
社会人
新潟
新潟の独立系SIer
VCSがなかった話
雪の話
専門学校の途中から研修みたいに働いていた
1年半くらいで退職
東京
ゲーム制作会社、携帯コンテンツ
AD見習いで入社してディレクターになった
美少女ゲーム
いろいろつらい話あり
SIer(SES) 13年くらい
真面目な会社で働いていた話
そこで得られた経験、知識
そこからiOSアプリエンジニアに転向した話
ベンチャー
転職してベンチャーに入った話
After show
最近のモバイル開発について
未来のIT技術とキャリアについて
最近のエンジニアブームに関して
結婚と子供の話
年(40歳)をとってから感じること
今後の人生をどう生きていくか -
14.「パソコンをやってると人はだめになる」
show note
自己紹介
SNS: mookjp
半生とか
神奈川県出身
小学校
ホームページを自分でつくってみたかったが、親に反対されたためHTMLをメモ帳で編集して静的ファイルのみでホームページごっこをしていた
中学生
吹奏楽部だったけど、今思うと集団行動できててすごい。先輩後輩関係が厳しくて、先輩(知り合いじゃなくても)に挨拶しなかったり先輩の許可をもらわずに冬にコートを着るといじめられたりする学校だった
無料のホスティングサービスがあったので、そこで掲示板用のCSSを配布するサイトをつくっていた
飽きっぽかったのですぐやめた
高校生
パソコン関係のネタあんまりない
中学生のときの部活がしんどかったので部活は入らなかった
3年生で進学を考える
美術が好きだったので美大に行きたいなと思ったけど、制作費がたくさんかかりそうだということと、美大に進んでも美術やデザインの仕事ができるわけでもなさそうと思った
2番目に興味のあったコンピュータ関係の学部で、受験で受かりそうなところを受けた
大学生
グループワークと大教室が嫌すぎてよく授業を休んでいた。当然単位は落としまくった
サークルは広告研究会
Web広告をみんなで見たり、Flashで似たようなものを作ったりして遊んでた
なんでエンジニアに?
興味が美術系(デザインとか)からコンピュータ系に移ってきた
大学卒業当時、新卒エンジニア採用はかなり売り手市場感があって、作ったものをもっていって説明したら結構面接通った
いろいろWeb系の会社のエンジニア採用面接受けたけど、結局リクルートに入った
リクルートの担当人事は10回くらい個人面接設定してた
人生fmみたいな感じで人生を書き連ねていって、どんなことが好き、嫌い、得意、苦手、みたいなのを探す
何回も話してたら精神的に疲れてしまって、最初はそんなに乗り気じゃなかったんだけどとりあえず面接受けて終わりにしたいと思って最終的には入社してしまった
結果、新卒で入る会社としてはすごくよかったと思ってる
エンジニアになってからの話
リクルート
オフショア部署
教育系システムの開発
ドキュメントがExcelファイルやPowerpointのファイルで厳しかった
ベトナムに行って食中毒にあった
社内フレームワークとかライブラリをつくる部署
スキルがなさすぎて渡せる仕事がなにもないと言われた
教育系システムの開発
SubversionからGit切り替えのサポート
ベルリンのスタートアップでインターン
プッシュ配信システムの運用メンテ
チャットシステムの開発
人事系システムの開発
メルカリ
出品系機能のマイクロサービス
After show -
13.人生は楽しい
show note
自己紹介
フリーランスのAndroidエンジニア
きりみんちゃんのマネージメントとプロデュースとかやってます
生い立ち
埼玉生まれ
幼稚園の時に茨城に移住
幼稚園の時はひたすら絵描いたり自由だった気がする
運動好きで社交的でいろんなことをよく考える子供だった
小2の終わりくらいから学校行かなくなった
最初は家族もなんとしても学校行かせようとしててかなり争ったけど最終的に諦めてもらえた
自治体経営のフリースクールみたいなところに通ってた
特に勉強をさせられたりするわけではなく自由に遊んで過ごす幼稚園みたいな場所だった
義務教育時代
小学生で不登校は珍しかったので中学生に可愛がられたりしてた
中学生になっても不登校
中学の3年間はフリースクールで同世代の友達もいてかなり楽しく過ごしてた
勉強はまったくせずひたすらゲームばかりやり続けていた
ゲーム作ったりしたかったけど具体的に何勉強すればいいのか当時は情報も道具もなかったので何もできなかった
RPGツクールはめっちゃやり込んでた
中学卒業後はなんとなく通信制高校に進学した
10代後半ニート時代
定時制と迷ったけど治安が悪くて馴染めなそうな気がした
通信制高校は問題集のプリントを解いて数時間登校すれば単位がもらえるガバガバ環境だった
その代わり登校日とかは決まってなくて友達を作る方法がなかった
結局それも続かなくて中退した
中学卒業してからはネットが繋がって2ch廃人だった
コテ雑みたいなスレで慣れ合ったりしてた
この頃はやたら東京にあこがれていて、時々一人で秋葉原に行ったりしていた
2chにいい加減飽きてきてた頃にTwitterを知って始めた
この頃はまだTwitterユーザーが一つのコミュニティみたいな規模だった
Twitterで今までとは違うタイプの友達がたくさんできた
ニートは普通だと思ってたけど、同世代の友達が色々な活動したりプログラミング出来たり有名大学目指したりしてて衝撃を受けた
それまで自分の時間が進んでる感覚があんまりなかったけど、急に人生に焦り始めて劣等感などでメンタルが病みがちになる
バイトを始めようと思うもコンビニもドラッグストアもスーパーも面接で落ちる。そのくらい当時は駄目オーラ全開だった
メンタルが完全に限界になって何のプランもなく自転車で国道を北上する暴挙に出て深夜にパトカーに見つかって補導され早朝に連れ返される
この時が人生で一番底を見た時だったと思ってる
その後、近所の食品工場の派遣バイトに受かり働き始める。そこで意外と自分が要領よく仕事ができる方だったことと、漠然と恐ろしいものだと思っていた労働が数ヶ月続けられたことで少し自信を取り戻す
ちょうどその頃、高校で取ってた単位と高卒認定の科目合格で高卒の資格を手に入れられたので、進学を考え始めた
漠然と大学に行きたかったけど現実的に小3で学力が止まってる状態から大学受験の勉強ができるほど当時は努力できる性格じゃなかったので、専門学校に行こうと思った
Twitterで知り合った人にエンジニアの人が多かったのと、元々コンピュータ -
12.やりたいことをやるならリスクを取らないといけない
show note
自己紹介
エンジニアになった経緯
工学部の修士
いわゆる理系院生の就活
エンジニアになってからの話
ソニー
はじめは組み込み業界だった
やりたいことができなくて悶々としていた
naoyaさんのベンチャー指向プログラマを見て感銘を受けた
グリー
エンジニアとしての基礎を学んだ
印象的な上司とプロジェクトの話
プロジェクトマネジメントや組織マネジメントの重要性を意識した
スタートアップ2社
Androidだけじゃなくて色々やって、マネージャーになった
リモートワーク向いてない
情熱がないと続かない、創業者はすごい
年収とストックオプションの話
メルペイ
ベテラン経営者の下で働いてみたくなった
スタートアップとメガベンチャーのマネージャー業は違う
after show
これからのキャリアについて
マネージャー続けるか、エンジニアに戻るか
アーリーリタイアしたい
人生のお金の悩みを解決したい
育休取ってみた
エンジニアの給与相場と海外の話
マネジメントの話
マネージャー不要論について
マネージャーのやりがい伝えにくい問題
After showはpixivFANBOXで視聴できます。
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/13627594/post/477999 -
11.本当にアニメキャラクターになりたかった。
show note
自己紹介
アメリカで生まれた
幼稚園の時に中国に移住した
インターナショナルスクールに通う
韓国文化にハマる
日本文化にハマる
アニメキャラクターになりたかった
アメリカの大学で日本語を学ぶ
プログラミングの授業も取ってた
大学生活で鬱状態になってた話
オタク友達がたくさん出来て救われた
日本に来て就職した
日本のアニメーションスタジオでインターンした話
翻訳の仕事をしてる
イラストレーターになりたい
After show
イラストの話
小さい頃からイラスト描くのが好きだった
アニメっぽいイラストも子供の頃から描いてた
デフォルメイラストとフルプロポーションイラスト
ソーシャルでウケるイラスト
好きなことを仕事にしたい
支援してくれるファンを増やす戦略の話
Links
Instagram
https://www.instagram.com/creamsherryart/
Patreon
https://www.patreon.com/creamsherry
After showはpixivFANBOXで視聴できます。
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/13627594/post/418819 -
10.エンジニアリングってつらい仕事だなと思っていた。
show note
自己紹介
ころちゃんといいます。本名はつちやたかひろです。
岐阜でよめさんと二人で生活してます
リモートワーカーです
現在はキャスターでbosyuを作っています
エンジニアになった経緯
「エンジニアになる」とは?
最初にプログラムを書いたのは小5で ExcelVBAのMsgBox
親がやってみろというので
C言語をはじめるもWindowsプログラミングが難しすぎて挫折
猫でもわからない
インターネットが早々に開通していたのでインターネットの文化に触れだす
HTMLとCSSを書いてジオシティーズに公開し出す
ウルティマオンラインに中学で嵌ってネトゲ廃人気味になった
ウルティマオンラインは人生
家電屋で光って見えた
学校はちゃんと通ってた
大学は工学部の情報系・CSの学部に通っていた
同じ大学で大学院に進んで、音声認識を研究していた(遊んでいた)
大学時代は相変わらずネットゲームをやり続けていたので、そこまで研究に没頭してない
学校の勉強はできたけど、仕事が一切できなくて挫折するのはこのあとの話
エンジニアになってからの経歴とかやってること
お金を貰ってコードを書き始めたのは大学3年生のときにはじめたPHP、JSで開発のバイト
4年ぐらい働いていた
Flash全盛期、ActionScriptを使った、ちょっとリッチなWebアプリ
大学時代は異常なぐらい無気力だった気がする・・・
新卒で入ったデンソーはカーナビ開発のテストエンジニア
基本マネジメントばかり
楽しくなくてやめた
今は及川さんが技術顧問入ってたりして、変わろうとしてそう
次の職場はもともとバイトしてたところ
起業したい、独立したいって気持ちが強かったけど、コネもないし仕事を取れるきしなかった
会社なのに1人チームで、自分で営業して仕事とってきていた。研究受託とか
Webの受託、特に名古屋は使ってる技術もレガシーでお金もないしやめたほうがいい
残業多すぎて過労で倒れたりして、こんな働きに未来はないと思ってやめた
エンジニアってつらい仕事だなと思っていた
挫折!
本気で死のうと思った時期もありました
ブラック企業絶対ゆるさないマン
「苦労させてあげないといけないんだ!その機会がなくなった!」と騒いでる人
うるせえよ
別のアプローチの発明が必要
同じ苦労を同じようにしていたら前進していかないんですよ
Misoca
新しい技術ってこんなに楽しいんだ
チーム開発ってこんなに楽しいんだ
ベンチャー、スタートアップで働いたほうがQoL高いのでは?と思い始める
正しくはその時点のMisocaは買収されていたのでスタートアップではなかった
落ちるところまで落ちたのであとは登るだけだなって
エンジニア+採用サポート
自分はテンプレメールを貰うのが嫌だった
そんなん