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79,【後編】12月21日 月曜日 19時49分 河北潟放水‪路‬ オーディオドラマ「五の線」リメイク版

    • Drama

79.2.mp3

「お前、俺が政治の世界に入った理由、知ってるか。」
「そんなもん知らん。」

佐竹は村上に向かって歩き始めていた。
「お前の講釈なんか聞くつもりはない。俺はてめぇを許さん。」
「ははは。佐竹、お前怒ってるな。」
「うるせェ。この気狂いめ。」
「待て。言っただろ話し合いが重要だって。」
「話して何になる。」
「お前こそどうするつもりだよ。あん?」

村上は自分の車を指さした。

「山内がどうなってもいいのか。」

佐竹は歩みを止めた。そうだ、自分は山内を救うためにこの場所に来た。警察にはできるだけ遠巻きに村上と接するように言われていることを思い出した。

「まぁ落ち着いてそこで聞け。佐竹、鍋島のこと覚えているか。」
「鍋島?」
「ああ、鍋島。」
「あいつ卒業してからなにやっていたか知ってるか。」
「…しらん。」
「マフィアだよ。」
「マフィア?」
「東京の方でな。お前も聞いたことがあるだろう。残留孤児のマフィア化ってのをよ。」
「…鍋島が?」
「以前よりも残留孤児をめぐる環境は改善されつつあるが、相変わらず社会から取り残される奴は多い。日本語の問題とか、いじめの問題とかいろいろあるが、それは別に問題の本質じゃないんだよ。鍋島のような境遇の人間が一生抱える問題はただひとつ。」
「何だ。」
「アイデンティティだ。」
「アイデンティティ?」
「ああ。あいつの様な奴も歴史的に見ればれっきとした日本人。しかし、当の日本社会がそれを受け入れてくれない。その中で自身が何者なのか分からなくなる。」
「…。」
「残留孤児1世のあいつの爺さん婆さんは、この日本に帰ってきた。だが結局のところ、ろくに日本語も話ことができず、仕事もできず、年金ももらうことができず死んでいった。あいつの母ちゃんについては鍋島と自分の親を放り出して中国に戻っちまった。どうしてこんな事になるんだ。そう、寄って立つアイデンティティが欠如してしまっているからだ。」

佐竹は雄弁に語り出した村上を黙って見つめた。

「アイデンティティってもんは自分ひとりの力で醸成されるもんじゃない。他者との関係性で構築されていくもんなんだ。鍋島は北高に来るまではあっちこっちで随分な仕打ちを受けてきた。佐竹、あいつが北高の剣道部に来た時のこと覚えてるだろ。」

覚えている。当時の鍋島の日本語は片言だった。第三者が見れば明らかに普通の日本人じゃない雰囲気だった。先輩からは中国人と言われいじめの対象となっていた。

「俺も当時は、異質な人間が自分と同じ環境にいるということを受け容れられなくて、先輩のいじめに加担したこともあった。お前もそうだろう。」

佐竹は胸が苦しくなった。確かにそういう時代があった。

「それに敢然と立ち向かったのが、一色だった。」

一色は両親を不慮の事故で無くし、親戚の家に居候をする身であった。彼の家庭環境も決して良いものではなく、いつも居候先の家族の顔色を伺う毎日だった。両親が亡くなったことによる保険金がまとまって入っていたため、生活に困ることはなかったが、やはり血は繋がっていると言えども、人の家に居候するというのは気が休まることはない。そんな彼が拠り所とするのは家庭の束縛から解放される学校での時間だった。彼は常々周囲の人

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「お前、俺が政治の世界に入った理由、知ってるか。」
「そんなもん知らん。」

佐竹は村上に向かって歩き始めていた。
「お前の講釈なんか聞くつもりはない。俺はてめぇを許さん。」
「ははは。佐竹、お前怒ってるな。」
「うるせェ。この気狂いめ。」
「待て。言っただろ話し合いが重要だって。」
「話して何になる。」
「お前こそどうするつもりだよ。あん?」

村上は自分の車を指さした。

「山内がどうなってもいいのか。」

佐竹は歩みを止めた。そうだ、自分は山内を救うためにこの場所に来た。警察にはできるだけ遠巻きに村上と接するように言われていることを思い出した。

「まぁ落ち着いてそこで聞け。佐竹、鍋島のこと覚えているか。」
「鍋島?」
「ああ、鍋島。」
「あいつ卒業してからなにやっていたか知ってるか。」
「…しらん。」
「マフィアだよ。」
「マフィア?」
「東京の方でな。お前も聞いたことがあるだろう。残留孤児のマフィア化ってのをよ。」
「…鍋島が?」
「以前よりも残留孤児をめぐる環境は改善されつつあるが、相変わらず社会から取り残される奴は多い。日本語の問題とか、いじめの問題とかいろいろあるが、それは別に問題の本質じゃないんだよ。鍋島のような境遇の人間が一生抱える問題はただひとつ。」
「何だ。」
「アイデンティティだ。」
「アイデンティティ?」
「ああ。あいつの様な奴も歴史的に見ればれっきとした日本人。しかし、当の日本社会がそれを受け入れてくれない。その中で自身が何者なのか分からなくなる。」
「…。」
「残留孤児1世のあいつの爺さん婆さんは、この日本に帰ってきた。だが結局のところ、ろくに日本語も話ことができず、仕事もできず、年金ももらうことができず死んでいった。あいつの母ちゃんについては鍋島と自分の親を放り出して中国に戻っちまった。どうしてこんな事になるんだ。そう、寄って立つアイデンティティが欠如してしまっているからだ。」

佐竹は雄弁に語り出した村上を黙って見つめた。

「アイデンティティってもんは自分ひとりの力で醸成されるもんじゃない。他者との関係性で構築されていくもんなんだ。鍋島は北高に来るまではあっちこっちで随分な仕打ちを受けてきた。佐竹、あいつが北高の剣道部に来た時のこと覚えてるだろ。」

覚えている。当時の鍋島の日本語は片言だった。第三者が見れば明らかに普通の日本人じゃない雰囲気だった。先輩からは中国人と言われいじめの対象となっていた。

「俺も当時は、異質な人間が自分と同じ環境にいるということを受け容れられなくて、先輩のいじめに加担したこともあった。お前もそうだろう。」

佐竹は胸が苦しくなった。確かにそういう時代があった。

「それに敢然と立ち向かったのが、一色だった。」

一色は両親を不慮の事故で無くし、親戚の家に居候をする身であった。彼の家庭環境も決して良いものではなく、いつも居候先の家族の顔色を伺う毎日だった。両親が亡くなったことによる保険金がまとまって入っていたため、生活に困ることはなかったが、やはり血は繋がっていると言えども、人の家に居候するというのは気が休まることはない。そんな彼が拠り所とするのは家庭の束縛から解放される学校での時間だった。彼は常々周囲の人

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