こころメンテナンス

425.無駄な時間こそ 心の栄養になる

効率や生産性ばかり求められる毎日。
でも、何もしていない“無駄な時間”が、実は心を癒し、栄養を与えてくれるもの。
今回のエピソードでは、無駄に見える時間の価値について語ります。

 
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ今日のテーマ、「無駄な時間こそ心の栄養になる」。

吉村:うんうん。

三上:何かこう、ニュアンス的に無駄な時間って、え?って思うんですけど、栄養?っていう。どういうことなんだろう。うん。

吉村:まあこれ、その何か無駄な時間ってどういう時間を無駄な時間って定義してるかっていうところが人によって違うと思うんで。

三上:そうですね、確かに。

吉村:だから多分今回のお題もチャットGPTに出してもらったわけなんですけど、ここで言ってる無駄な時間っていうのは何か生産性があるかどうかみたいな話で考えたときに、あんまり生産性につながらない時間だから無駄な時間って言ってるんじゃないかなって思うんですよ。

三上:うんうん、生産性ね、はい。

吉村:だから要は生産性だけを重視していった場合、自分の持ってる時間は基本的に全部何かを生産するために使うべきであるっていう前提があるじゃないですか。

三上:はい。

吉村:だからそこで何かを生産することにつながってない時間は無駄であるっていう、何かそういう定義なんだと思うんですよ。

三上:うんうんうん。

吉村:でも、例えば僕たちはご飯を食べてそれをエネルギーにして、それで体が動いて活動ができてるっていうわけですよね。

何かそれってインプットがあってそれに対して何かご飯を食べるってインプット、栄養とかカロリーをインプットして、それを燃料にして体を動かすっていうアウトプットにつなげてるわけですよね。

三上:うんうんうん。

吉村:だから生産性だけを重視するってなったら、ご飯食べる時間がもったいないみたいな話と同じことを言ってるのと一緒なんじゃないかと思うんですよ。働いて体を動かして働いてる時に生産されていくわけじゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:例えば工事現場で働いてビルを建ててますとかってなったら、体を動かしてる時がビルがどんどん建ってくる時間だから、

ご飯を食べてる時間にはそのビルの建設が前に進んでないから、だからそれって無駄だろうっていう考え。これってご飯と労働って考えた時には、みんな多分いやそんなことないでしょって思うと思うんですよね。

三上:はい。

吉村:ご飯食べなきゃ体が動かなくなっちゃうから。

三上:うんうんうん。

吉村:ご飯を食べる時間をなくして働けとか、おかしいんじゃないって思うんだと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:うん。まぁでも、何かゼリー飲料だけとか、エナジードリンクだけ飲んで働く。

三上:いますよね、ウィダーインゼリーだけとかね。

吉村:そうそう、多分そういう発想の人たちと一緒なんじゃないかと思うんですよね。だからその心を豊かにすることって、

例えば何か芸術に触れるとかエンターテインメントを楽しむとか、趣味とか余暇を楽しむっていうことと、それから例えば仕事をするとか学ぶとかそういう生産性につながることって、

要は体が何かエネルギーを補給してそれで活動するっていうのと同じで、心も何かインプットがあってそれでそれがまた活動のエネルギーになったりするわけですよ、アウトプットになるんですね。

三上:うーん。

吉村:ただこれが何がその人にとっての心の栄養になるかっていうこれが人によって全然違うんですよね。これ、ここでちょっと多分齟齬(そご)が起きてるんだと思うんですよ。

栄養に関して言えば何かアレルギー体質とかちょっと特殊な例は一旦ここで置いておとくとして、まあ大体一人の人にとって栄養になるものっていうのは他の人にとっても栄養になるものだから、

ご飯食べる、食べてそれで体が動いて労働ができるっていうここに関しては、そんなにみんな同じだからあんまり認知に齟齬(そご)が出にくいんですよね。

だけど何がその人の心の栄養になるかっていうところは結構人によって全然違うわけですよ。

三上:違いますね。

吉村:だから多分、自分にとっての心の栄養にならないことをやってる人を見たときに、無駄なことをしてるように見えちゃうんですよね。

三上:そっか、自分が主で見ちゃうとそうですね。

吉村:僕は前、ちょっとそういう自己啓発的な本とかよく読んでて、とにかく自分を向上させないと今の状態から抜け出せないなみたいなね、底辺の生活をしてたときに

どうすればここから上がっていけるんだろうっていうのがやっぱり何かしらで自分のポテンシャルを上げなきゃいけないから、

そこで何をしたらいいんだろうというところで自己啓発系の本を読んだりとか、ネットでそういう情報とか結構集めてよく読んだりとか視聴したりしてた時期があったんですよ。

三上:はい。

吉村:すごく役に立ったこともいっぱいあったから、それによって僕も何か色々と自分の考え方とかあり方で、ここが上手く噛み合ってなかったから上手くいってなかったなってすごい氣づきを得られたっていうのですごく成長につながったっていうこともいっぱいあってよかったんですけど、

でも結構その中に一定数、どれだけ無駄を省いていくかっていうことが大事であるっていう論評の中に、「映画を見る時間とか無駄である。」って言ってる人がいて。

三上:えっ。

吉村:そうそう、その人は「映画評論家でも目指しているのでなければ映画を見てる時間は無駄だから、そういうのは先にやめたほうがいいことだ。」みたいな感じのことを言ってたんですね。

三上:えー。

吉村:その人の考え方で言うと、「映画評論家以外の人は映画を見るべきではない。」って言ってるのと一緒なんですよ。映画評論家を目指している人以外は映画を見るべきではないって。

三上:それは。

吉村:そうするとその産業自体が衰退しちゃうし、実際そういうジャンルが存在してるってことはそれだけニーズがあるっていうことなんですよね。

だから別に映画評論家を目指してるわけじゃないけど映画好きでよく見てるって人たちはいるわけですよ。その人たちが全員無駄な時間を過ごしている、生産性のない人たちなのかっていったら多分そんなことはないんですよね。

三上:うん。

吉村:映画評論家ではなくて、例えば経営者ですごく何十億も売り上げてるような経営者の人が、映画も大好きでよく見てるみたいな人たちって探せば多分いくらでもいるんですよね。

三上:見ますね。

吉村:だからその人たちが時間を無駄にしてるんだとしたら、多分そんなビジネスで大成功とかもしてないわけじゃないですか。

三上:うん。

吉村:ということはその人たちにとってはプラスの働きをしてるんだと思うんですよね、映画を見るっていうことは。

三上:うんうんうん。

吉村:それが、ある人は小説を読むことなのかもしれないし、ある人はテニスをすることなのかもしれないし、ある人にとっては格闘技の観戦に行くことなのかもしれないし、クラシック音楽を聴くことなのかもしれないし。

何かしらその人がいい氣分になるとかご機嫌になるっていうような作用がある何かっていうのをインプットすることで、その人はそれを活力に変えてそれがその人の生産的な面に反映されてるわけです