エミリー・ディキンソン「100 年の月日が流れたら」 あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン
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あなたへ
こんにちは。今年の後ろ姿が少し見えてきましたが、「いや、まだ行かないで」と今年の袖を強く掴みたい毎日です。おかわりありませんか。
実は、あなたといつか一緒に行こうと話していたあの喫茶店が、久しぶりに行ってみたらなくなっていて…静かで鈍いショックから立ち直れずにいます。
空っぽになった店のドアに貼られた「閉店します」の張り紙には、常連さんたちの書き込みが沢山ありました。これまで何度も「最後と分かっていたら何と声をかけただろう」という思いをしてきたのに、私はまたその言葉を見つけることができませんでした。
最近、ちょっとした失敗や、うまくいかないことが続いています。あの喫茶店はそんな時に、こっそり心を整える場所だったので、これからはどうすればいいんだろうと戸惑っています。
あなたとも、いろいろ落ち着いたらあの店でなんて言いながら、ずっと先延ばしにしていたことを後悔しています。自分も、世界も、きっと何もかもが落ち着く日なんて来ないから、会いたくて会える人、行きたくて行ける場所には、降る雨の隙間をぬうように会いに行きたいと思いました。
何もかも落ち着かないまま、いつか、みんな、終わってしまうから。
そんな実感はなかなか持てないけれど、よいことも、よくないことも、…よくも悪くもないことも、その全てにいつかは終わりが来るということに、少しホッとしたい夜もあります。
それは、「ここではないどこかへ」行ってしまいたい夜。
今日は、そんな「どこか」へ連れて行ってくれる詩をおくります。
After a hundred years
Nobody knows the place,--
Agony that enacted there,
Motionless as peace.
Weeds triumphant ranged,
Strangers strolled and spelled
At the lone orthography
Of the elder dead.
Winds of summer fields
Recollect the way,--
Instinct picking up the key
Dropped by memory.
100年の月日が流れたら
ここで苦しみを抱え
立ち尽くしたことなど
もう誰も知らない
静けさだけが穏やかに佇んでいる
時は緑におおわれて
出会うことのない人々が行き交い
かつて生きた誰かの
石に刻まれた
ひそやかな跡をなぞるだけ
草原をゆく風が
この道を振り返り
ふいにひらめき
手にするだろう
思い出せずにいる
大切な何かを
---
この詩が書かれてからまさに100年の月日が流れた時を、今、こうして生きているんだと思うと、遥か遠くから投げられたボールを、うまくキャッチできたような気持ちになります。
人は過去から何かを受け取ると、今をより濃く感じ、少し前を向くことができるみたいです。100年前も、そして100年後も、私たちはいなくて。結局、私たちには「今」を知ることしかできないのだと。
あの喫茶店はなくなってしまったけれど、100年の月日を遠く思い、果てながら続いてゆく今を感じていたら、ちょっと元気になってきました。
あなたにも伝わるといいなと願いながら、また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
---
Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/yoriso/message
あなたへ
こんにちは。今年の後ろ姿が少し見えてきましたが、「いや、まだ行かないで」と今年の袖を強く掴みたい毎日です。おかわりありませんか。
実は、あなたといつか一緒に行こうと話していたあの喫茶店が、久しぶりに行ってみたらなくなっていて…静かで鈍いショックから立ち直れずにいます。
空っぽになった店のドアに貼られた「閉店します」の張り紙には、常連さんたちの書き込みが沢山ありました。これまで何度も「最後と分かっていたら何と声をかけただろう」という思いをしてきたのに、私はまたその言葉を見つけることができませんでした。
最近、ちょっとした失敗や、うまくいかないことが続いています。あの喫茶店はそんな時に、こっそり心を整える場所だったので、これからはどうすればいいんだろうと戸惑っています。
あなたとも、いろいろ落ち着いたらあの店でなんて言いながら、ずっと先延ばしにしていたことを後悔しています。自分も、世界も、きっと何もかもが落ち着く日なんて来ないから、会いたくて会える人、行きたくて行ける場所には、降る雨の隙間をぬうように会いに行きたいと思いました。
何もかも落ち着かないまま、いつか、みんな、終わってしまうから。
そんな実感はなかなか持てないけれど、よいことも、よくないことも、…よくも悪くもないことも、その全てにいつかは終わりが来るということに、少しホッとしたい夜もあります。
それは、「ここではないどこかへ」行ってしまいたい夜。
今日は、そんな「どこか」へ連れて行ってくれる詩をおくります。
After a hundred years
Nobody knows the place,--
Agony that enacted there,
Motionless as peace.
Weeds triumphant ranged,
Strangers strolled and spelled
At the lone orthography
Of the elder dead.
Winds of summer fields
Recollect the way,--
Instinct picking up the key
Dropped by memory.
100年の月日が流れたら
ここで苦しみを抱え
立ち尽くしたことなど
もう誰も知らない
静けさだけが穏やかに佇んでいる
時は緑におおわれて
出会うことのない人々が行き交い
かつて生きた誰かの
石に刻まれた
ひそやかな跡をなぞるだけ
草原をゆく風が
この道を振り返り
ふいにひらめき
手にするだろう
思い出せずにいる
大切な何かを
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この詩が書かれてからまさに100年の月日が流れた時を、今、こうして生きているんだと思うと、遥か遠くから投げられたボールを、うまくキャッチできたような気持ちになります。
人は過去から何かを受け取ると、今をより濃く感じ、少し前を向くことができるみたいです。100年前も、そして100年後も、私たちはいなくて。結局、私たちには「今」を知ることしかできないのだと。
あの喫茶店はなくなってしまったけれど、100年の月日を遠く思い、果てながら続いてゆく今を感じていたら、ちょっと元気になってきました。
あなたにも伝わるといいなと願いながら、また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
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