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「あなたのいない夕暮れに」は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。第一弾は、南北戦争の時代を生きたアメリカの詩人エミリー・ディキンソン。
彼女は生涯を自然の中の家の中で白いドレスを着て過ごし、ほとんど外にでることがなく、窓から差し込む光を頼りに詩作を続けました。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソ‪ン‬ yori.so gallery & label

    • アート
    • 5.0 • 7件の評価

「あなたのいない夕暮れに」は、世界の名詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。第一弾は、南北戦争の時代を生きたアメリカの詩人エミリー・ディキンソン。
彼女は生涯を自然の中の家の中で白いドレスを着て過ごし、ほとんど外にでることがなく、窓から差し込む光を頼りに詩作を続けました。

文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣

    【短編映画】あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン

    【短編映画】あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン

    メッセージ

    南北戦争の時代を生きたアメリカの詩人に、エミリー・ディキンソンという女性がいます。彼女は生涯を自然の中の家の中で白いドレスを着て過ごし、ほとんど外にでることなく、窓から差し込む光を頼りに詩作を続けました。

    わたしたちはその生き方から、自分の心の中にある壊れそうなものを現実世界の棘のようなものから守りたいという気持ちと、それでも創作を通じて現実世界と関わりたいという祈りのような気持ちの両方を感じます。

    その生き方から着想し、1つの映画と2つのドレスが生まれました。

    ディキンソンの詩を新訳したこの朗読短編映画「あなたのいない夕暮れに」。

    私達がforget me notそしてtouch me notと名付けたオートクチュールの技法をつかって作られた2つのドレス。

    現実と理想、幸と不幸が重なりあい揺れながら、世界を生きているあなたの心のよすがになりますように。


    出演

    天野さえか寺田ゆりか



    スタッフ

    衣装:田中美帆(May & June)ヘア&メイク:茂手山貴子撮影:帆志麻彩(yori.so gallery & label)音楽:横山起朗ジュエリー協力:Ryui英語字幕:天野さえか韓国語字幕:渡辺奈緒子脚本:小谷ふみ監督・編集:高崎健司(yori.so gallery & label)



    撮影協力


    gallery room yori.soシラハマ校舎秋谷・立石海岸長野県蓼科四季の森ホテル


    produced by yori.so gallery & labelwith love for Emily Dickinson


    ---

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    • 8分
    エミリー・ディキンソン「傷つく誰かの心を守れたなら」

    エミリー・ディキンソン「傷つく誰かの心を守れたなら」

    こんにちは。  

    強い日差しにカーッと照りつけられたり、急な雨にザーッと降られたり、あわただしく交互に使う日傘と雨傘を、晴雨兼用ひとつの傘にしたら、どんな空もさあ来いや、と思えるようになりました。  

    今月、私はまたひとつ年を取ります。半世紀近く生きても、心の中の日照りや大雨、どちらにも使える心の傘は、なかなか見つからないものですね。おかわりありませんか。  



    先日、数々の引越しとともに、我が家の食器棚にあり続けた、りんごの形の白いお皿を割ってしまいました。それから、あまり時間をたたず、家族が大切にしているお茶碗も......。  

    なかなか打ち明けることができず、お茶碗を使わずに済む、丼やカレー、麺ものなどを食卓に並べ続けましたが、2週間が限界でした。なんとか、修理したお茶碗を手に謝ることができ、「形ある ものは、いつか壊れるから」という言葉に、一瞬救われました。でも、見る度に傷跡は痛々しく、胸の内にもヒビが入ったように、ため息が漏れ出ます。  



    この感じは、持病が再発したり、いつもの道で大怪我をしたり、町で知らないおじさんに急に怒鳴られたり、親しくしていた人との関係が修復できなくなったり......目には見えない壊れたもの の破片で、心に傷がついた時の感覚によく似ています。  



    こんなことなら、ずっと使わず、棚の奥にしまっておけばよかったのか。そんなことも頭によぎります。あれがよくなったのか、これがよくなかったのかと、ぐるぐる考え、つまるところ、もう、物事に波風立たぬよう、自分の心が揺れないよう、どこにも行かず、誰にも会わず、ただじっとしていればいいのか、と。  



    形があるものは、いつか壊れる。形がなくても、傷つくし、元には戻せない状態になってしまうことがあります。でも、それを恐れて、ずっと棚の中に居たら、それでは生きていることにならない。物も、人も、この世界に降り立ったら、傷つきながら、壊れながら、何もせずにはいられないのだなと、半ば諦めのような、覚悟の決まらないヤセ我慢のような心境になりました。  



    どうにかくっついた傷を、「これは私の生きた印」なんて思えるようになるには、時間がかかります。それでも、お茶碗も、私も、まだ、がんばれそうです。  



    こんなこともあり、この夏は誕生日を前に、最近の私のテーマである、ちゃんと「使い切る」という意識がより強くなったように感じます。それは、エコ的な意味とはちょっと違うものです。昔から、気に入った布やシール、好みの便箋や葉書を集めては、ただ眺めるのが好きだったのですが、ある日、私がいなくなったら、これらは必要なくなったものとして処分されるのだと、せつない気持ちになりました。  

    ならば、自分でちゃんと使い切ろう、物がこの物であることを、まっとうさせてやろうと、真剣に、目の前の布の気持ちになったりして。  



    今は、彼らのベストな使われ方を考えるのが楽しいです。ミシンの登場も、手紙や葉書を出す頻度も、増えました。  



    同じように、私の拙い言葉を添え、あなたにおくってきた詩は、私の心が小さく集めてきたもの です。言葉が手紙の風に乗り、私のかわりに、あなたに会いに行ってくれていたわけですが、離れていても、便箋の四角い窓から

    • 11分
    エミリー・ディキンソン「夜明けがいつ来てもいいように」

    エミリー・ディキンソン「夜明けがいつ来てもいいように」

    こんにちは。  

    ひと晩で、舞台の背景セットが変わったように、雨雲が跡形もなく消え、夏の空が一気に広がりました。はしゃいで、一年ぶりにノースリーブのワンピースを着てみたら、二の腕が驚くほど太くなっていて、戸惑っています。冬の間に蓄えた脂肪が、夏の眩しすぎる光に、さらされています。  

    おかわりありませんか。   



    先日、この夏空のように、突然のお客さまを、我が家にお迎えしました。この機会を逃したら、今後、会えるか分からない。そんな奇跡的なタイミングは、ある日の夕方やって来ました。  

    それは、旅先から、我が家を経由して、帰路に着く計画。こちらは、予告ありの流れ星を受けとめるような、高揚感と緊張感。  



    でも、あと3時間で駅に着くとの連絡をもらった時、リビングには、まだしまっていない冬の暖房器具、梅雨前に洗いそびれたこたつカバー、既に登場している扇風機や風鈴、繕い途中の浴衣……ひと部屋に、春夏秋冬、全員集合している状態でした。くわえて、食材の買い出しと、食事の準備もせねばならない。  



    うちには、こんな時に頼りになる、小さな部屋があります。日ごろ「ゲストルーム」と呼んでいますが、ここにゲストを迎えたことは、いまだ一度もありません。  

    この部屋は、家族がインフルエンザになったら隔離・療養施設になり、筋トレに目覚めれば、違う自分に着替えられる魔法のクローゼットになります。そして、お客さまが来た時には、散らかったものを押し込む部屋になります。つまり、「ゲストが来た時、散らかりを隠すルーム」であるところの「ゲストルーム」なのです。  



    とにかく、リビングでくつろぐ四季たちを、この部屋に手際よく誘導したら、あとは、お客さまをお迎えすることに集中。おかげで、料理にも手をかけられ、ともに食卓を囲み、できる限りのおもてなしすることができました。  



    そして、電車を乗り継ぎ3時間以上かけてやって来た流れ星は、わずか1時間ちょっとの滞在ののち、最終の新幹線、時速300キロの風をつかまえ、帰ってゆきました。  



    「短い時間だったけど、いい時間を過ごしてもらえたかな」と、心地よい疲れと、余韻に浸る深夜。でも、トイレと隣り合う、ゲストルームのもうひとつの扉が全開で、中が丸見えだったことに気がついたのは、無事に帰宅したとのお礼の連絡を受けた後でした。  



    「会える」ということは、日ごろ、別々に流れている互いの時間が、重なること。  

    それは、前々からすり合わせられることもあれば、突然に互いの流れが合い出すこともあります。  



    「さあ、いつでもどうぞ」と、いつ誰が来ても準備万端、どこの扉が開いても大丈夫、そんな風に過ごせたら、どんなにいいだろうといつも思っています。でも実際は、なかなかそうはいきません。  



    今日は、いつやって来るか分からない、  

    出会いへのそなえを、はっと思い出させてくれる、  

    そんな詩を送ります。  



    > Not knowing when the Dawn will come  

    > I open every Door,  

    > Or has it Feathers, like a Bird,  

    > Or Billows, like a Shoreー  

    >   

    > 夜明けが いつ来てもいいように  

    > あらゆる扉を 開けておく  

    > 夜明けは  

    > 鳥のように 羽ばたいて  

    > 浜辺のように 波よせるから  



    薄紫に明けてゆく空を見つめる気持ち

    • 8分
    エミリー・ディキンソン「蜘蛛が銀の玉 ひとつ抱きかかえ」

    エミリー・ディキンソン「蜘蛛が銀の玉 ひとつ抱きかかえ」

    こんにちは。  

    灰色の空が広がり、お天気ぐずつく日が増えてきました。空のご機嫌に振り回されて、体調や気分が、すっきり晴れない日も多くあります。おかわりありませんか。  



    先日、雨あがりの遊歩道の植え込みに、十以上の小さな蜘蛛の巣ができていました。レースのような巣には一面、小さな雨の丸いしずくがくっついて、そのひとつひとつが、日の光にキラキラ輝いていました。まるで、銀色に光る、雨後のオセロ大会のようでした。  



    この時期は、雨の恵みを得て、草木が育ち、虫の活動も活発になってきますね。働くアリの数も増え、花から花へ舞う蝶や、クローバーに集まる小さなハチ、そして、できれば、家の中に入って来て欲しくない虫も……その対策も、そろそろ始めなくてはいけないころです。  



    数年前、家族がムカデにかまれたことがありました。玄関で靴を脱ぎ、スリッパをはいた瞬間、痛みに叫び出し、こちらは何が起こったか分からず、おろおろ。その瞬間、見たことのない大きなムカデが、マッハのスピードでリビングの奥へと走り去るのが見えました。  



    救急センターへ電話しながら、腫れあがる足を応急処置。幸い、大事には至りませんでしたが、その後、カーテンが揺れるだけで大騒ぎするほど、取り逃した大ムカデに、しばらく怯えて過ごしました。アナフィラキシー症候群の心配もあり、今もムカデを見ると過剰に反応してしまいます。  



    私の住む場所は、自然が豊かなのはいいのですが、いろんな虫が家の中に入ってきます。でも、考えてみれば、私たちの方が、後から引っ越して来たわけで、彼らの場所にお邪魔しているのは、こちらの方なのでは、と思うようになりました。  



    それからというもの、虫のみなさんになるべく迷惑をかけぬよう、家の周りに結界を張るがごとく、自衛を心がけるようになりました。具体的には、玄関に虫の好まないハーブを植えたり、窓を開けるたび、ハッカスプレーをシュッとひと吹きしたり。心なしか、思わぬ遭遇に悲鳴をあげることが減りました。家のなかに、爽やかな香りも広がり、一石二鳥です。  



    ハーブやハッカに、全くおかまいなしの様子なのは、蜘蛛です。家の中、外、かまわず、よく巣を作ります。でも、お互いに使わない空間を共有しているので、現役の巣は、そのままにしています。そして、空き家になったものは、もういいよねと取り去るようにしています。  



    どこにいようとも、自分の世界を、淡々と作り上げる蜘蛛。    

    今日は、銀の糸が織りなす、儚い宇宙を感じる詩をおくります。  



    > The Spider holds a Silver Ball  

    > In unperceived Hands ―  

    > And dancing softly to Himself  

    > His Yarn of Pearl ― unwinds ―  

    >   

    > He plies from nought to nought ―  

    > In unsubstantial Trade ―  

    > Supplants our Tapestries with His ―  

    > In half the period ―  

    >   

    > An Hour to rear supreme  

    > His Continents of Light ―  

    > Then dangle from the Housewife's Broom ―  

    > His Boundaries ― forgot ―  

    >   

    > 蜘蛛が 銀の玉 ひとつ 抱きかかえ  

    > 手のうち 見せぬまま  

    > ひとり 軽やかに おどりながら  

    > 真珠の糸を ほどいてゆく  

    >   

    > 何もないところから  

    > 何もないところへと  

    > 編みあげてゆく  

    > 命をつむぐ そのためだけに  

    > 気づけばもう  

    > 壁の飾りに 取

    • 10分
    エミリー・ディキンソン「草原をつくるなら クローバーとミツバチを」

    エミリー・ディキンソン「草原をつくるなら クローバーとミツバチを」

    こんにちは。
    日を追うごと、草木がぐんぐん育ち、うす緑色だった柔らかな葉っぱも、その濃さと力強さを増しています。見ているだけで、元気を分けてもらえそうですね。おかわりありませんか。命の息吹を、そこかしこに感じる5月、私はいくつかの記念日を迎えます。


    毎年、この時期になると、春の大掃除をしながら、棚の奥のホコリっぽくなった思い出ボックスを取り出します。そして、1年ぶりの思い出と再会し、また新たに、この1年に得た記憶を箱につめます。今年は、さらに手を伸ばし、棚のもっと奥に眠る、ボロボロの箱を開いてみました。
    そこには、学生時代の寄せ書きや、友達にもらった特別なお土産などが入っています。それは、沖縄の星の砂の入った小瓶、デンマークの街並みのスノードーム、アフリカの動物のキーホルダーなど、時代も、国も、さまざま。私のものではない、旅の思い出。私には、難しい病が眠っているので、大きな旅に出ることは叶いません。でも、沖縄の海がテレビに映れば、星の砂の感触が、本の舞台がデンマークの街ならば、スノードームに舞う雪が……遠い昔、そこにいたことがあるかのように、わずかな懐かしさが、胸に広がります。


    旅のかけらを集めた箱の中は、小さくても、私の世界そのものなのです。箱の奥をさらに掘り進めると、小さな金の大仏が10体、発掘されました。
    一瞬ギョッとしましたが、これらは、小学校の社会科見学の鎌倉で、自分が買ったものです。5センチほどの大きさながら、精巧にできたお姿に心惹かれ、自分と家族、塾の友達のお土産にと選んだのでした。


    でも、渡すタイミングを逃すこと、四半世紀以上。箱のフタを開くたび、ギョッとして、「このチョイスは……」と、過去の自分への言葉を飲み込みます。
    そして、心の中で、「ありがたく、ここまで歳を重ねております」と手を合わせ、秘密の仏殿の扉を、ふたたび閉じるのでした。他にも、もう会えない彼女がくれた、オレンジ色の花束のリボン、涙も笑いも共にしてきたのに、1つだけ欠けてしまったお揃いのマグカップ。どれも、誰かにとっては、ガラクタのようなもの。でもそれが、自分にとっては、思い出のものであったり、どうしても捨てられないもの、また、特別な思い入れがあるものなのです。「これは世界のかけら」また「これは思い出のしっぽ」と言って、ガラクタは増えてゆく一方。でも、いつか、ある時、たったひとつを残し、すべてを手放そうと思っています。さいごのさいごに、手にしていたいものは、何だろう。自分に問いながら、その「たったひとつ」とは、まだ出会えていないような、すでに持っているような。それが分かるまで、今しばらくは、小さなガラクタを集めてしまいそうです。果てのない想像の世界へと、
    はたまた、底のない深き思い出へと、
    連れ出してくれるのは、いつも「小さきもの」。今日は、そんな、
    小さなひとつから広がる世界の詩をおくります。



    To make a prairie it takes a clover and one bee,
    One clover, and a bee,
    And revery.
    The revery alone will do, If bees are few.

    草原をつくるなら クローバーとミツバチを
    クローバーひとつ ミツバチ1匹
    それから 思い描くこと
    ミツバチが いないなら


    思い描く それだけでうちの庭のクローバーも、タテに、ヨコに、もこも

    • 10分
    エミリー・ディキンソン「自分の居場所を決めるのは その心」

    エミリー・ディキンソン「自分の居場所を決めるのは その心」

    こんにちは。  

    日ごと気温が、急上昇したり急降下したり、何を着ればよいやら毎日悩んでいましたが、春のご機嫌はようやく落ち着いたようですね。クローゼットから出しては、しまってを繰り返していた冬の服も、やっとクリーニングに出しました。身にまとうものが薄くなると、気持ちも少し軽くなったような気がします。おかわりありませんか。  



    1年ぶりに、春ものの服を出し、ふと冷静に並べて眺めてみたところ、何だかどれも、似ている服ばかり。

    たまには気分を変え、ちょっと違うタイプの服を着てみたくなり、さっそく買いに出たのですが、いいかなと手に取る服は、またいつもと同じ感じの服……。ひとつ隣の店の「あの服」を選んだら、知らない自分が現れたりしてと妄想しながら、結局、何も買わずに帰ってきました。  



    「自分らしさ」というものは、いつも私の味方で、心地よくも心強い、一番落ち着く「居場所」です。それはきっと、これまで選んできたものの数々……着るもの、食べるもの、行くところ、話すことば……ひとつ、ひとつから出来上がっているのですよね。  

    知らず知らず、「自分ぽいもの」を選び続け、出来上がったのは、脆そうで実は簡単には崩れない「自分らしさ」。これに寄りかかって過ごすことは、とても楽ではありますが、たまに窮屈で、ちょっと味気なく感じることがあります。  

    「自分らしさ」の外にもある、「好きなもの」と出会わないまま、この一生を終えていいのかなと、思ったりもして。  

    私の友人で先輩でもある方が、60代で大型2輪の免許を取り、ご両親の介護を経て、70代直前で念願のハーレーに乗るようになりました。  

    日ごろは、晴れの日も雨の日も、着物がユニフォームのような彼女。身にまとうもの、一枚でも薄く少なくしたい酷暑の待ち合わせにも、凛とした着物姿で現れました。私が不躾に、「暑くないのですか」と尋ねても、「夏の着物は、見る方に涼を分けるものなのよ」と微笑む。その笑みに、真夏の風に揺れる、風鈴の気持ちを見たような気がしました。  



    そんな彼女が、着慣れた着物を脱ぎ、黒い革ジャンを着て、結い上げた髪をほどいてヘルメットをかぶる。

    白い足袋のかわりにレザーブーツを身につけて、自分の身体より大きなバイクにまたがり、風を切って走ります。  

    着物の裾にすら、わずかな風も起こさず歩く彼女が、ブルルン、ドロロン、ズドドドドと、地鳴りのようなエンジンを吹かし、爆音の彼方に、新たな自分を見つけて。  



    あふれかえるものの中、手に取れるものも、目に見えないものも、どれもいいけど、どれでもない。自分が欲しいもの、求めているものすら、分からなくなることがあります。「選ぶ」感性が、すっかり硬直しワンパターンに陥っている私にとって、彼女の激変は、とても眩しいものでした。  

    私たちが選べないのは、生まれおちる場所と、生きる時代。  



    でも、ある時、ある場所で、  

    自分の命を得たそのあとは、選択の連続です。  



    選んだもの、同時に、選ばなかったもの、  

    そのひとつ、ひとつで自分が作られ、  

    周りの世界は、彩られてゆきます。  



    自分らしさの中で、また、外で、  

    「ここに決めた」や「あなたに決めた」と、腹をくくる。  

    その瞬間、閉じな

    • 10分

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