7分

エミリー・ディキンソン「降り積もる歳月は‪」‬ あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン

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あなたへ

こんにちは。新たな年を迎えた鐘の音も遠くなり、日常の鼓動が戻ってきました。寒さも一段と深まりましたが、いかがお過ごしですか。

年賀状や寒中見舞いのやり取りがひと段落すると、私のお正月気分もようやく終わります。数年前までは、年賀状をその年ごと輪ゴムでまとめていたのですが、今は下さった方ごと小さなファイルに収めています。

旅する景色の写真ばかりだった大学時代の友人が、ある年、伴侶を得て、景色に彼らも映るようになりました。毎年の年賀状を続けて見ると、ひとりがふたりになった旅の写真集のようになります。

また、5人家族の恩師の年賀状では、「独立しました」とサッカー少年だった長男次男が次々と年賀状からいなくなり、数年経つと長女も思春期を迎え、写真に写らなくなりました。そして去年は「もう写りたくない」と奥様も……。「とうとう一人になりました」の直筆メッセージとともに、ひとり照れた笑顔が届きました。今年が心配です。

途切れながら何年も続いている年賀状には、選りすぐりの場面や、やがて来る「人生の少し先」があります。ファイルをする時はいつも、新たな便りを重ねられる嬉しさを感じます。
一方で、「あの人からの便りはもう来ない」ということにふと気がつき、続くことのない現実に痛みを感じます。遠ざかっていたかなしみが流れ込んできて、

塩キャンディを口にしたような気持ちになります。これから先、出会いの数だけ味わってゆきますが、それを含めファイルが厚さを増してゆくことを愛しく思います。

今日はそんな、歳月の積み重ねと、その向こうにいる誰かの存在を感じたくなる詩をおくります。



The Pile of Years is not so high

As when you came before

But it is rising every Day

From recollection's Floor

And while by standing on my Heart

I still can reach the top

Efface the mountain with your face

And catch me ere I drop



降り積もる歳月は

あなたと最後に会ってから

それほど高くなってはいない

でも横たわる記憶の上に積もりながら

日を追うごとに高さを増してゆく

この心を足がかりにして

伸ばした手が一番上に届くうちに

あなたが顔を見せてくれたなら

積みあがった歳月は消えてなくなるから

ここから足を滑らす前に

私をどうか受けとめて



私たちが重ねる歳月は様々なものに姿を変えて、こうしている今も積みあがっているのですね。

それは、途切れ途切れの年賀状や、整理のつかない写真や秘密の日記、描きかけの絵、読みかけのままの本、思い出せないメモや、捨ててしまった手紙にさえも。

私たちの暮らしの中に、降りそそぐ雪のように、ゆっくりと深く積もってゆきます。

いつの日か、歳月が宿るものすべてを消し去る時が来たら、その中のたったひとつを、この世界に残せたらいいなと思っています。

ディキンソンがこの世を去る時に、書簡は処分して欲しいと願ったように、

そして、箱の中に大切に残した詩が、今もこの世界に咲き続けているように。

そんな、忘れて欲しいこと、忘れたくないこと、その狭間で揺れながら、

またあなたの元に文を重ねます。

あなたのいない夕暮れに。



追伸



恩師から遅れて寒中見舞いが届きました。

今年からは、小さな柴犬の成長の様子が届くようです。

ひとつの写真集が完結し、新たなアルバム

あなたへ

こんにちは。新たな年を迎えた鐘の音も遠くなり、日常の鼓動が戻ってきました。寒さも一段と深まりましたが、いかがお過ごしですか。

年賀状や寒中見舞いのやり取りがひと段落すると、私のお正月気分もようやく終わります。数年前までは、年賀状をその年ごと輪ゴムでまとめていたのですが、今は下さった方ごと小さなファイルに収めています。

旅する景色の写真ばかりだった大学時代の友人が、ある年、伴侶を得て、景色に彼らも映るようになりました。毎年の年賀状を続けて見ると、ひとりがふたりになった旅の写真集のようになります。

また、5人家族の恩師の年賀状では、「独立しました」とサッカー少年だった長男次男が次々と年賀状からいなくなり、数年経つと長女も思春期を迎え、写真に写らなくなりました。そして去年は「もう写りたくない」と奥様も……。「とうとう一人になりました」の直筆メッセージとともに、ひとり照れた笑顔が届きました。今年が心配です。

途切れながら何年も続いている年賀状には、選りすぐりの場面や、やがて来る「人生の少し先」があります。ファイルをする時はいつも、新たな便りを重ねられる嬉しさを感じます。
一方で、「あの人からの便りはもう来ない」ということにふと気がつき、続くことのない現実に痛みを感じます。遠ざかっていたかなしみが流れ込んできて、

塩キャンディを口にしたような気持ちになります。これから先、出会いの数だけ味わってゆきますが、それを含めファイルが厚さを増してゆくことを愛しく思います。

今日はそんな、歳月の積み重ねと、その向こうにいる誰かの存在を感じたくなる詩をおくります。



The Pile of Years is not so high

As when you came before

But it is rising every Day

From recollection's Floor

And while by standing on my Heart

I still can reach the top

Efface the mountain with your face

And catch me ere I drop



降り積もる歳月は

あなたと最後に会ってから

それほど高くなってはいない

でも横たわる記憶の上に積もりながら

日を追うごとに高さを増してゆく

この心を足がかりにして

伸ばした手が一番上に届くうちに

あなたが顔を見せてくれたなら

積みあがった歳月は消えてなくなるから

ここから足を滑らす前に

私をどうか受けとめて



私たちが重ねる歳月は様々なものに姿を変えて、こうしている今も積みあがっているのですね。

それは、途切れ途切れの年賀状や、整理のつかない写真や秘密の日記、描きかけの絵、読みかけのままの本、思い出せないメモや、捨ててしまった手紙にさえも。

私たちの暮らしの中に、降りそそぐ雪のように、ゆっくりと深く積もってゆきます。

いつの日か、歳月が宿るものすべてを消し去る時が来たら、その中のたったひとつを、この世界に残せたらいいなと思っています。

ディキンソンがこの世を去る時に、書簡は処分して欲しいと願ったように、

そして、箱の中に大切に残した詩が、今もこの世界に咲き続けているように。

そんな、忘れて欲しいこと、忘れたくないこと、その狭間で揺れながら、

またあなたの元に文を重ねます。

あなたのいない夕暮れに。



追伸



恩師から遅れて寒中見舞いが届きました。

今年からは、小さな柴犬の成長の様子が届くようです。

ひとつの写真集が完結し、新たなアルバム

7分