ダム渇水で倉敷集落の豚小屋遺構が露出 方言ニュース
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2024年4月15日(月)放送分
担当は上地和夫さんです。
琉球新報の記事から紹介します。
沖縄市、うるま市にまたがる
県管理の倉敷ダムの渇水により、
湖底から昔の倉敷集落の豚小屋の遺構が姿を現しました。
水不足を機に、かつて営まれた暮らしの面影が
湖底から思わず顔を出しましたが、
ダム構内の自然ふれあい広場近くに現れた
豚小屋は、一部に独特のアーチ状の造形が見てとれます。
倉敷地区は1894年ごろ、困窮した首里や那覇の旧士族らが入植した
「屋取」集落と言われており、
困難だった原野の開墾を経て、
緑豊かでかやぶき屋根の家が点在する農村となりました。
1961年にアメリカ民政府が利水専用に瑞慶山ダムを建設して、
倉敷集落は水底に消えました。
軍用地の返還後、瑞慶山ダムから置き換わった倉敷ダムが1996年に完成し、
昔の集落の様子は、ダム管理所に模型として残されています。
一方、倉敷ダムの貯水率は去年8月の94・7%を直近のピークに、
9月以降の少雨の影響で下がり続け、ダム管理所の島尻主幹は
「まだまだ水不足は厳しいので、
引き続き節水に協力してほしい」と呼びかけています。
2024年4月15日(月)放送分
担当は上地和夫さんです。
琉球新報の記事から紹介します。
沖縄市、うるま市にまたがる
県管理の倉敷ダムの渇水により、
湖底から昔の倉敷集落の豚小屋の遺構が姿を現しました。
水不足を機に、かつて営まれた暮らしの面影が
湖底から思わず顔を出しましたが、
ダム構内の自然ふれあい広場近くに現れた
豚小屋は、一部に独特のアーチ状の造形が見てとれます。
倉敷地区は1894年ごろ、困窮した首里や那覇の旧士族らが入植した
「屋取」集落と言われており、
困難だった原野の開墾を経て、
緑豊かでかやぶき屋根の家が点在する農村となりました。
1961年にアメリカ民政府が利水専用に瑞慶山ダムを建設して、
倉敷集落は水底に消えました。
軍用地の返還後、瑞慶山ダムから置き換わった倉敷ダムが1996年に完成し、
昔の集落の様子は、ダム管理所に模型として残されています。
一方、倉敷ダムの貯水率は去年8月の94・7%を直近のピークに、
9月以降の少雨の影響で下がり続け、ダム管理所の島尻主幹は
「まだまだ水不足は厳しいので、
引き続き節水に協力してほしい」と呼びかけています。
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