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#2 「魔法の一滴」 山本一‪力‬ 聴くおいしい記憶

    • フード

キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

今回は、第2回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「魔法の一滴」をお届けします。

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「魔法の一滴」 山本一力

初めての米国西海岸単独の添乗は、1972(昭和47年)9月だった。訪れるのはサンフランシスコ、バンクーバー、ラスベガス、ロサンゼルス、ホノルル。空港のあらまし。訪問地の観光名所。ホテル周辺の食事場所。さらにはチップの渡し方と額まで、丸一日かけて特訓を受けた。出発便は午後四時半の羽田発。当時はまだ成田は開港していなかった。旅立ちの朝、午前九時に出社したら先輩に手招きされた。「話は通しておいたから」上野の弁当業者・ハツネさんに行けという。いつも団体旅行の弁当調理をお願いしていたが、今回は国内ではなく米国西海岸行きだ。「行けば分かる」納得できる理由を先輩から聞かされぬまま、上野に出向いた。「これを渡すようにと頼まれていますから」差し出されたのは弁当に添える、魚の形をした容器に詰まった醤油だった。一個は小さいが、なんと五十個。割り箸が二十膳。紙袋がぶわっと膨らんでいた。「受け取ってきましたけど、どうするんですか、こんなモノを」ふくれっ面で問いかけるわたしを見て、先輩は目元をゆるめた。「二日目の朝には、これらが役に立つ」謎めいた言葉を背中に受けて、わたしは羽田から飛び立った。旅はサンフランシスコ二泊から始まった。時差の関係で、出発同日の午前中に到着した。一泊を過ごした翌朝、ホテルで朝飯を摂った。目玉焼きにカリカリ焼きのベーコンとポテトが添えられていた。口に広がったベーコンの塩味を、薄いコーヒーで洗い流して喉を滑らせた。目玉焼きの黄身は大きく、ぷっくりと盛り上がっている。しかし慣れないフォークでは食べにくいこと、おびただしい。それでも米国初の朝食を全員で楽しんだ。翌朝もまた同じ献立である。「うまそうな目玉焼きだけど、塩で食うのは味気ない」「こんなとき、醤油があればなあ」お客様の不満のつぶやきを聞くなり、わたしは部屋へ走った。そしてあの醤油と割り箸を手にして駆け戻った。お客様の顔がいきなり明るくなった。「あんた、若いのに気が利くなあ」醤油と割り箸で、朝食の雰囲気が劇的に変わった。若造のわたしは当時二十四だった。その後は朝食に限らず、食事のたびに魚容器から醤油をひと垂らしした。そしてナイフ・フォークの代わりに割り箸を使った。まだ醤油も割り箸も、西海岸では市民権を得られてない時代である。レストラン・スタッフは不思議そうに客の振舞いを見ていた。六十三のいまも、目玉焼きには醤油を垂らす。ひと垂らしが魔法のごとく美味さを引き出してくれた、あの旅の朝が忘れられなくて。

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「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。

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今回は、第2回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「魔法の一滴」をお届けします。

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「魔法の一滴」 山本一力

初めての米国西海岸単独の添乗は、1972(昭和47年)9月だった。訪れるのはサンフランシスコ、バンクーバー、ラスベガス、ロサンゼルス、ホノルル。空港のあらまし。訪問地の観光名所。ホテル周辺の食事場所。さらにはチップの渡し方と額まで、丸一日かけて特訓を受けた。出発便は午後四時半の羽田発。当時はまだ成田は開港していなかった。旅立ちの朝、午前九時に出社したら先輩に手招きされた。「話は通しておいたから」上野の弁当業者・ハツネさんに行けという。いつも団体旅行の弁当調理をお願いしていたが、今回は国内ではなく米国西海岸行きだ。「行けば分かる」納得できる理由を先輩から聞かされぬまま、上野に出向いた。「これを渡すようにと頼まれていますから」差し出されたのは弁当に添える、魚の形をした容器に詰まった醤油だった。一個は小さいが、なんと五十個。割り箸が二十膳。紙袋がぶわっと膨らんでいた。「受け取ってきましたけど、どうするんですか、こんなモノを」ふくれっ面で問いかけるわたしを見て、先輩は目元をゆるめた。「二日目の朝には、これらが役に立つ」謎めいた言葉を背中に受けて、わたしは羽田から飛び立った。旅はサンフランシスコ二泊から始まった。時差の関係で、出発同日の午前中に到着した。一泊を過ごした翌朝、ホテルで朝飯を摂った。目玉焼きにカリカリ焼きのベーコンとポテトが添えられていた。口に広がったベーコンの塩味を、薄いコーヒーで洗い流して喉を滑らせた。目玉焼きの黄身は大きく、ぷっくりと盛り上がっている。しかし慣れないフォークでは食べにくいこと、おびただしい。それでも米国初の朝食を全員で楽しんだ。翌朝もまた同じ献立である。「うまそうな目玉焼きだけど、塩で食うのは味気ない」「こんなとき、醤油があればなあ」お客様の不満のつぶやきを聞くなり、わたしは部屋へ走った。そしてあの醤油と割り箸を手にして駆け戻った。お客様の顔がいきなり明るくなった。「あんた、若いのに気が利くなあ」醤油と割り箸で、朝食の雰囲気が劇的に変わった。若造のわたしは当時二十四だった。その後は朝食に限らず、食事のたびに魚容器から醤油をひと垂らしした。そしてナイフ・フォークの代わりに割り箸を使った。まだ醤油も割り箸も、西海岸では市民権を得られてない時代である。レストラン・スタッフは不思議そうに客の振舞いを見ていた。六十三のいまも、目玉焼きには醤油を垂らす。ひと垂らしが魔法のごとく美味さを引き出してくれた、あの旅の朝が忘れられなくて。

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「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。

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