14本のエピソード

「聴くおいしい記憶」は、キッコーマンがお届けする番組です。
キッコーマングループのコーポレートスローガン「おいしい記憶をつくりたい。」にこめ
た想いを、音声でお届けします。

「おいしい記憶」は、食にまつわる体験を通じて積み重ねられます。
楽しさやうれしさといった食卓での時間や雰囲気。
こころもからだもすこやかになっていきます。
地球上のより多くの人がしあわせな記憶を積み重ね、
ゆたかな人生をおくれるようお手伝いをしていきたい、という想いをこめています。

■聴くおいしい記憶特設サイト
https://www.kikkoman.com/jp/memory/voice/index.html

■キッコーマン企業サイト ブランドページ
https://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html

■キッコーマン公式Twitter
https://twitter.com/kikkoman_desu

■キッコーマン公式Instagram
https://www.instagram.com/kikkoman.jp/

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https://www.youtube.com/user/KikkomanJP

聴くおいしい記‪憶‬ キッコーマン

    • アート
    • 3.4 • 7件の評価

「聴くおいしい記憶」は、キッコーマンがお届けする番組です。
キッコーマングループのコーポレートスローガン「おいしい記憶をつくりたい。」にこめ
た想いを、音声でお届けします。

「おいしい記憶」は、食にまつわる体験を通じて積み重ねられます。
楽しさやうれしさといった食卓での時間や雰囲気。
こころもからだもすこやかになっていきます。
地球上のより多くの人がしあわせな記憶を積み重ね、
ゆたかな人生をおくれるようお手伝いをしていきたい、という想いをこめています。

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    #1 「ジュウ、ジュウッ。」 山本一力

    #1 「ジュウ、ジュウッ。」 山本一力

    キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

    今回は、第1回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「ジュウ、ジュウッ。」をお届けします。

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    「ジュウ、ジュウッ。」 山本一力

    わたしのこども時分のおとなが、繰り返し言っていたことは……。「楽な金儲けはない。汗を流してカネを稼げ」「へとへとになるまで働いたあとなら、塩味だけの握り飯でもご馳走に思える」おとなの諭しに、こどもは深くうなずいた。町のどこにでもたっぷり残っていた原っぱで、身体を使って存分に遊んだ。空腹にまずいものなし、と言う。汗まみれになって遊んだあとは、麦飯混じりの握り飯でも美味かった。こども時代のご馳走はと訊かれれば、わたしは迷わずスキヤキを挙げる。母親の稼ぎでこどもふたりを養う母子家庭では、滅多なことでお肉は口に入らなかった。昭和三十年代初期の高知は、一般家庭にガスは配管されてなかった。焚き付けと消し炭を使っての炭火熾しはこどもの役目だ。火熾しなしでは湯も沸かない。いつもは面倒に感じたこの仕事も、スキヤキのときはうちわをあおぐ手の動きも軽やかだった。竹皮に包まれた牛肉には、白い塊のヘットが添えられていた。菜箸でヘットを掴んだ母は、熱くなった鉄鍋の上を走らせた。ジュウ、ジュウと音を立てて脂が溶ける。その香りをかいだだけで、こどもはゴクンッと生唾を呑み込んだ。脂を敷いたあとは、鍋の黒さが見えなくなるまで砂糖を散らした。「お砂糖をけちったら、せっかくのスキヤキがおいしゅうのうなるき」砂糖が高価だった時代だが、鍋を砂糖で埋めて、その上に牛肉を敷いた。そして間をおかずに醤油をかけた。母の手つきはぶっかける、だった。砂糖と醤油をまとった牛肉は、ひときわ大きな音を立てて焼かれた。頃合いよしと見定めると牛肉を隅に寄せて、東京ネギを加えた。高知でネギといえば分葱をさす。太いネギは東京ネギと呼んでいた。牛肉の旨味を吸ってネギが色づけば、スキヤキの仕上がりである。「もう食べてもえいきに」母の許しを得たこどもは、真っ先に牛肉に箸を伸ばした。東京ネギ。焼き豆腐。糸ごんにゃく。水で戻した麩。これらが常連で、あとの野菜は季節によって顔ぶれが変わった。「水は野菜から出るき、足したらいかん」煮詰まり気味になると、野菜を加えた。そしてその都度、砂糖と醤油で味を調えた。母が没して、はや二十九年。我が家のスキヤキ当番は、わたしの役目となった。砂糖も醤油も目見当でたっぷり使うのは、おふくろ譲りの流儀。長男がこの息遣いを会得しつつあり、当番交代も遠くはない。汗を流してカネを稼いだのは昔。当節では、カネを払って汗を流すひとの姿もめずらしくはない。そんな時代にあっても、砂糖と醤油だけで味つけするスキヤキの美味さは変わらない。

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    「おいしい記憶」が、明日への力になり

    • 6分
    #2 「魔法の一滴」 山本一力

    #2 「魔法の一滴」 山本一力

    キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

    今回は、第2回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「魔法の一滴」をお届けします。

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    「魔法の一滴」 山本一力

    初めての米国西海岸単独の添乗は、1972(昭和47年)9月だった。訪れるのはサンフランシスコ、バンクーバー、ラスベガス、ロサンゼルス、ホノルル。空港のあらまし。訪問地の観光名所。ホテル周辺の食事場所。さらにはチップの渡し方と額まで、丸一日かけて特訓を受けた。出発便は午後四時半の羽田発。当時はまだ成田は開港していなかった。旅立ちの朝、午前九時に出社したら先輩に手招きされた。「話は通しておいたから」上野の弁当業者・ハツネさんに行けという。いつも団体旅行の弁当調理をお願いしていたが、今回は国内ではなく米国西海岸行きだ。「行けば分かる」納得できる理由を先輩から聞かされぬまま、上野に出向いた。「これを渡すようにと頼まれていますから」差し出されたのは弁当に添える、魚の形をした容器に詰まった醤油だった。一個は小さいが、なんと五十個。割り箸が二十膳。紙袋がぶわっと膨らんでいた。「受け取ってきましたけど、どうするんですか、こんなモノを」ふくれっ面で問いかけるわたしを見て、先輩は目元をゆるめた。「二日目の朝には、これらが役に立つ」謎めいた言葉を背中に受けて、わたしは羽田から飛び立った。旅はサンフランシスコ二泊から始まった。時差の関係で、出発同日の午前中に到着した。一泊を過ごした翌朝、ホテルで朝飯を摂った。目玉焼きにカリカリ焼きのベーコンとポテトが添えられていた。口に広がったベーコンの塩味を、薄いコーヒーで洗い流して喉を滑らせた。目玉焼きの黄身は大きく、ぷっくりと盛り上がっている。しかし慣れないフォークでは食べにくいこと、おびただしい。それでも米国初の朝食を全員で楽しんだ。翌朝もまた同じ献立である。「うまそうな目玉焼きだけど、塩で食うのは味気ない」「こんなとき、醤油があればなあ」お客様の不満のつぶやきを聞くなり、わたしは部屋へ走った。そしてあの醤油と割り箸を手にして駆け戻った。お客様の顔がいきなり明るくなった。「あんた、若いのに気が利くなあ」醤油と割り箸で、朝食の雰囲気が劇的に変わった。若造のわたしは当時二十四だった。その後は朝食に限らず、食事のたびに魚容器から醤油をひと垂らしした。そしてナイフ・フォークの代わりに割り箸を使った。まだ醤油も割り箸も、西海岸では市民権を得られてない時代である。レストラン・スタッフは不思議そうに客の振舞いを見ていた。六十三のいまも、目玉焼きには醤油を垂らす。ひと垂らしが魔法のごとく美味さを引き出してくれた、あの旅の朝が忘れられなくて。

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    「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。

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    • 5分
    #3 「おおきに!」 山本一力

    #3 「おおきに!」 山本一力

    キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

    今回は、第3回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「おおきに!」をお届けします。

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    「おおきに!」 山本一力

    「おいしいステーキなら、ブルックリンに行くのが一番です」キタオカさんは標準語で言い切った。日本航空を退職後も、そのまま彼の地に残り、いまに至るほどのニューヨーク好き。彼女の博識と人柄のよさと英語力を評価したメトロポリタン美術館は、ボランティアの案内役に任じていると他のひとにうかがった。兵庫県に生まれ育った彼女は、就職を機に東京に移った。が、言葉遣いは変えずに。「ボランティアで日本語も教えています」生徒はみんな関西弁ですわ……彼女の明るい笑い声まで関西弁に聞こえた。「ニューヨークでステーキを食べるなら、どこがお薦めですか?」2011年の春。雑談のなかで問うたら、即座に冒頭の答えが返ってきた。「地下鉄でも行けますが、昼間に限ります」理由のひとつは治安を考えてである。安全な街だが、夜は暗い。 旅人は昼の方がいいと。「ディナーの予約は、とるのが大変やから」歴代大統領もひいきにしており、夜の予約は至難だというのが理由その二だった。そんな次第で、彼女・カミさん・小生の三人で正午に出向いた。もちろん彼女が事前予約をいれた日の正午に、である。注文したのはトマト、ベーコン、ステーキの三種だ。トマトは直径10センチを超える大型。皿に輪切りを並べたシンプルな一品だが、岩塩との相性が見事。酸味と塩の調和を堪能した。ベーコンは5ミリの分厚さ。注文時に「何切れ?」と問われた意味がよく分かった。そして主役、ステーキの登場である。注文したのは『ステーキ・フォー・ツー』。 三人なら、これで充分だと彼女。ウエイターとやり取りする英語は、流暢なこと至極だ。オーダーを終えた彼女は「醤油はありますか?」と尋ねた。「ノー!」ウエイターは即答した。彼女は得心顔でうなずいた。ピーター・ルーガーは自家製のステーキ・ソースが評判で、販売もしているほどだ。客にはそのソースが供されていた。ウエイターが下がったとき、彼女はバッグをまさぐり、クリーム色の丸大豆しょうゆミニパックを取り出した。「ここのソースもおいしいけど、やっぱりこれが一番ですねん」ウエイターの目に触れぬように、ナプキンの下に袋の山を隠した。運ばれてきたステーキは骨付きで、焼き加減も見事。研ぎのいいナイフで切り分けたウエイターは、三人それぞれにサーブした。ステーキ・ソースの注がれた器と一緒に、彼は同じ形をしたカラの器をキタオカさんの前に置いた。ウエイターの目が、ナプキンの膨らみの下に注がれていた。「おおきに!」キタオカさんの正調関西弁が弾けた。

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    忘れられない味、一緒に食卓を囲んだ人、その時の会話……そんな「おいしい記憶」を思い出

    • 5分
    #4 「身体がぬくもるきに」 山本一力

    #4 「身体がぬくもるきに」 山本一力

    キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

    今回は、第4回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「身体がぬくもるきに」をお届けします。

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    「身体がぬくもるきに」 山本一力

    減塩意識の高まりという、時代の流れに逆行することにもなりそうだが······。興りは半世紀以上の昔にさかのぼる。「ええ塩加減が美味い粕汁を作るコツやきに」亡母は出刃包丁で叩き切ったブリのあらに、気前よく塩をまぶした。「だいこん・ニンジン・コンニャク・油揚げを、あんたが好きなばあ、短冊に刻んでいれたらええきに」それじゃあ、味の決め手となる酒粕は?「灘やら伏見やらと面倒なことは言わんと、酒粕やったらなんでもかまわんがやき」量はどうするのかと問うたら。「あんたが好きなばあ溶かしたらええ」ばあとは「ぐらいに」を意味する土佐弁だ。真新しいブリのあらにまぶす塩以外のことは、酒粕までもすべてばあで片付けていた。鍋の内で煮えたぎっている湯に、ブリをドサドサッ。一気に鎮まった湯が再び沸騰したら、表面に浮いたアクを取り除く。そのあと短冊に刻んだ具をドサドサッ。鍋にふたをかぶせて、ブリと具がほどよく煮えるのを待つ。湯気が立ち始めたらふたを取り、味噌漉しでたっぷりの酒粕を溶かす。「粕の甘みとブリの塩とが、うまいこと混ざりおうてくれるように、あとはいらんことせんと、煮えるがを待つがぞね」頃合いを見て味見をする。「ちょっと味が足らんかなと思うたら、それが一番ええ出来になっちゅうときやきに」おたまに落とした少量の醤油を足して、ゆっくりとかき回せば出来上がりだ。粕汁は上品な椀ではなく、無骨な肉厚のどんぶりによそう。あらが盛り上がるばあに。そしてどんぶりよりもさらに大きな器を、ガラ入れとして使う。「粕汁は出来立てが値打ちやきにねえ。よそわれたら親の仇に会うたと思うて、ものも言わんと食べないかん」親の教えに従い、わたしはハフハフ言いつつ、夢中で食べた。おふくろの味だと思い込んでいた粕汁。なんと親父が母に伝授した一品だったと知ったのは、成人したあとだった。わたしがまだ四歳のとき、両親は協議離婚した。別れた真の理由がなにだったのかは、両親ともに鬼籍に入って久しいいまでは、知る手立てもないのだが……。別れた亭主に教わった粕汁を、おふくろは我が子に伝えていた。大事な一品として。ブリの塩加減が美味さを決めるコツ。思えばこれを言うときの母は、伝授してくれた男に思いを馳せるような表情をしていた。                   *                   いまではうちのカミさんの得意料理だ。ブリを鍋に入れたあとには、亡母よろしく短冊に切った具をドサドサッと。出来上がりはどんぶりで、ものも言わずに。食すれば身体が芯からぬくもるのは、酒粕の効能のみにあらずだ。

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    • 5分
    #5 「半カレー」 山本一力

    #5 「半カレー」 山本一力

    キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

    今回は、第5回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「半カレー」をお届けします。

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    「半カレー」 山本一力

    還暦を過ぎて久しい今。食べたい気は充ち満ちているのに、量を食べられなくなってきた。販促企画の売り込みに汗を流していた三十代は、昼飯になにを食うか、どこで食べるかが大きな楽しみだった。ごはんにケチャップが、これでもかとまとわりついたチキンライス。刻みキャベツを下敷きにしたポテトコロッケ。付け合わせはトマト味のマカロニだ。醤油の利いたスープが、どんぶりから溢れ出しそうだったワンタン。定食屋さんのなかには、和洋中なんでもごされの味自慢が何軒もあった。そんな店を昼飯には渡り歩いた。「オムライスにハムカツ」だの「チャーハンにレバ炒め、それにギョウザ」だのと二品、三品を注文する日々だった。いまだ気持ちは、あれもこれも食いたいのに、身体が量を拒んでしまう。半分ずつ、二品を食わせてもらえないものか……こんな切なる願いをかなえてくれる店が、東京にある。『実用洋食』なる耳慣れぬ語が看板に描かれた、江東区白河の「七福」だ。通い始めて20年を超えるが、味はまったく変わらない。美味さが保たれているのだ。お気に入り一番は『半カレー』。通常のカレーの半分の意だが、見た目には充分に一人前がありそうだ。特筆したいのはカレーの色と味。当節はチョコレート色が主流だが、七福は黄色に近い。昔ながらのカレーパウダーと小麦粉の合作だからこそ出せる色と香りだろう。ジャガイモなどの野菜と肉を炒め、スープストックを加えて煮る。そこに、くだんのカレー粉を溶かし、味を調えて仕上がりだ。形の残ったジャガイモの塊と、カレーとを一緒に食べれば、口一杯に至福感が広がる。香りは強いが、味は穏やかだ。その場で、絶妙な加減に煮込まれた野菜と肉が、カレー粉と旨味と香りを出し合った成果に違いない。こども時分のご馳走はと問われれば、迷うことなくカレーと答える。七福のカレーは、遠い昔、親が作ってくれた懐かしい味だ。若い世代には、黄色いカレーは初めて口にする新鮮な味覚かもしれない。半カレーなら、ごはんの量のほどがいい。白いごはんの隅には、真っ赤な福神漬。黄色いカレーには、強くて鮮やかな色の福神漬がお似合いだ。七福のカレーは、卓上醤油の一滴垂らすことで美味さが際立ってくる気がする。白いのれんの下がった普通の定食屋さんだが、七福は時代の先端を行っている。ほとんどのメニューに「半○○」「半々△△」で応じてくれるからだ。おいしい記憶は、食べ物がほどよき量であってこそ胸にも舌にも刻まれる。

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    食べると、ふと、こどもの頃を思い出す、そんな懐かしい味。あなたの「おいしい記憶」が、今日の食べるよろこびとなり、明日への力に

    • 5分
    #6 「おぬくとおこげ」 山本一力

    #6 「おぬくとおこげ」 山本一力

    キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。

    今回は、第6回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「おぬくとおこげ」をお届けします。

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    「おぬくとおこげ」 山本一力

    細い稼ぎで妹とわたしを養育していた母は、朝食を大事にした。こどもを学校に送り出すと、自分も仕事に出た。検番(芸者周旋所)の帳場という仕事柄、帰宅は深夜だ。しかも一年を通じて休みは数日だけである。こどもと一緒は朝食だけだ。ゆえに母は毎朝釜でごはんを炊き、おぬく(炊きたて)を一緒に食べた。釜の周りや底にへばりついていた焦げ飯は、おひつにうつしたごはんの上に載っていた。学校から帰ったあとは塩を散らした小さな手で、焦げ飯を握った。毎日の小遣いが5円だった子には、おこげの握り飯はもっとも身近なおやつだった。電気釜(炊飯器)新発売時、家電メーカーは「もうおこげの心配は無用です」と謳った。釜で炊くごはんは、気を抜けばたちまち焦げた。電気釜は家庭からおこげを追い払った。釜にできた焦げ飯の塩おにぎりをもう一度と、願う気を募らせていたら……2014年の年の瀬。3泊した福島県磐梯熱海の宿で、願いがかなった。初日の夕食で、釜炊きのおぬくだと分かった。大きな釜に、ずっしり重たい木のふた。大きさは違うが、こども時分に炊きたてをおひつにうつした、あの釜と同じに見えた。ならばおこげもあるはずだと思い、宿のおねえさんに問うた。「ほかのお客様がよそわれたあとなら、できています」まさにその通りだった。釜の周りや底には、あのおこげがくっついていた。しゃもじで剥がしてくれたおねえさんの手は、水仕事で荒れていた。山の水は飛び切り美味い。そして冷たい。おいしいごはんを供するために、指先が凍えそうになるあの水で、毎日何升もの米を研ぐに違いない。素敵な笑顔は作り物ではないことを、おねえさんの両手が教えてくれた。茶碗によそわれた、焦げ色まで美味そうなおこげ。昔を思い出しつつ、塩をパラパラッ。こどものころに味わえたあの美味さが、茶碗に凝縮されていた。その後は朝食でも夕食でも、塩を散らしたおこげばかりを食していた。様子を見ていたおねえさんが……「塩もいいですが、お醤油もおいしいですよ」言われた通りに醤油を垂らした。焦げたごはんと醤油が絡まり合っている。運んだ口のなかで、互いの美味さが溶け合ったのだろう。塩もいいが、醤油をまとったおこげは、呑み込むことまで惜しまれた。福島県は全国有数の米どころである。山間の温泉地は、雪国となって年を越す。その雪が解けてできた水は、石清水もかくやの美味さである。恵まれた素材の美味さを引き出すのは、宿泊客を大事に思う、おねえさんのあの両手だ。

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    食を通して、誰かを大切に想う気持ち、そして感謝の気持ち。そのすべてが積み重なって「おいしい記憶」へと、つながりま

    • 6分

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3.4/5
7件の評価

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