5分

Yoga Sutra of Patanjali 1.23 | Īśvarapraṇidhānāt わたしと生命の根源をつなぐも‪の‬ ヨガを伝えることば | The Language of Yoga

    • メンタルヘルス

23. Īśvarapraṇidhānādvā.

Īśvara イーシュヴァラ
praṇidhānād (praṇidhānāt) プラ二ダーナー
vā  or あるいは

または、イーシュヴァラプラ二ダーナによって(アサンプラッツジャータサマーディに近づくことができます)。

ーーーー

イーシュヴァラプラ二ダーナという言葉について

イーシュ 自然を司るという動詞に、ヴァラ なになにする者という意味の接尾語がついて、創造を司るもの、自然の摂理などと解釈されます。「私」を軸に考えると、イーシュヴァラとは、例えば私という存在と生命の根とを繋げているもの、その繋がりを思い出させてくれるもの。謙虚さや信頼について思い出させてくれる現象のすべて。

プラは完全なる、二は収められた、ダーナは捧げるという行為を意味します。Dhanaのdhaはsamadhiのdhiと同じ音であり、同じ意味を持つ音です。cittaを完全に一箇所に収めること、この場合はĪśvaraとそれが意味するものに収めること。

イーシュヴァラは、自然の理にゆだねること、また「神」への献身と理解している人もいます。「神」という言葉を聞いたときに心に描く姿はそれぞれです。人と同じような姿をした神、山や川に宿るスピリットのようなエネルギーかもしれません。どのような姿かたちであっても、または姿かたちを持たなくても、イーシュヴァラは、「私」に生命の根源との繋がりを思い出させてくれるもの。

イーシュヴァラプラニダーナを実践することは、自分の内側の世界に責任を持ち、外側で起こっていることや時間や数字、他人のせいにしないこと。例えば、良いことがあったときに成功を「私」が引き受けて有頂天になる代わりに、「私」が守られていることに気づき、感謝を持ち謙虚でいられること、または思い通りにならなかったときに周囲の人を攻めたり状況を嘆く代わりに、「私」には見えないところで大きな変化が起こっていることを理解し、流れに身を任せられるようになることです。また、他人の成功を目の当たりにした時、今は自分の順番ではないのだと理解し、精進できること。他人の成功を素直に喜べる態度のことかもしれません。意識の鏡に映る現象のすべてに対して、小さな「私」で引き受けないことです。

なぜ「私」で引き受けないのかという点については、次のスートラで示されるイーシュヴァラの性質が明らかにしてくれます。

23. Īśvarapraṇidhānādvā.

Īśvara イーシュヴァラ
praṇidhānād (praṇidhānāt) プラ二ダーナー
vā  or あるいは

または、イーシュヴァラプラ二ダーナによって(アサンプラッツジャータサマーディに近づくことができます)。

ーーーー

イーシュヴァラプラ二ダーナという言葉について

イーシュ 自然を司るという動詞に、ヴァラ なになにする者という意味の接尾語がついて、創造を司るもの、自然の摂理などと解釈されます。「私」を軸に考えると、イーシュヴァラとは、例えば私という存在と生命の根とを繋げているもの、その繋がりを思い出させてくれるもの。謙虚さや信頼について思い出させてくれる現象のすべて。

プラは完全なる、二は収められた、ダーナは捧げるという行為を意味します。Dhanaのdhaはsamadhiのdhiと同じ音であり、同じ意味を持つ音です。cittaを完全に一箇所に収めること、この場合はĪśvaraとそれが意味するものに収めること。

イーシュヴァラは、自然の理にゆだねること、また「神」への献身と理解している人もいます。「神」という言葉を聞いたときに心に描く姿はそれぞれです。人と同じような姿をした神、山や川に宿るスピリットのようなエネルギーかもしれません。どのような姿かたちであっても、または姿かたちを持たなくても、イーシュヴァラは、「私」に生命の根源との繋がりを思い出させてくれるもの。

イーシュヴァラプラニダーナを実践することは、自分の内側の世界に責任を持ち、外側で起こっていることや時間や数字、他人のせいにしないこと。例えば、良いことがあったときに成功を「私」が引き受けて有頂天になる代わりに、「私」が守られていることに気づき、感謝を持ち謙虚でいられること、または思い通りにならなかったときに周囲の人を攻めたり状況を嘆く代わりに、「私」には見えないところで大きな変化が起こっていることを理解し、流れに身を任せられるようになることです。また、他人の成功を目の当たりにした時、今は自分の順番ではないのだと理解し、精進できること。他人の成功を素直に喜べる態度のことかもしれません。意識の鏡に映る現象のすべてに対して、小さな「私」で引き受けないことです。

なぜ「私」で引き受けないのかという点については、次のスートラで示されるイーシュヴァラの性質が明らかにしてくれます。

5分