27本のエピソード

ヨガのことばをアップデートしたら、ヨガがもっと好きになる

哲学からライフスタイルまで、ニュートラルでグローバルな視点から、現代を生きる私たちに役立つ「ヨガのことば」をご紹介します。

Season1 は、ヨガの経典『パタンジャリのヨガスートラ』を音読するところからスタート。なるサンスクリット語の発音ルールを大切にしながら、聴き取りやすい音声でお届けします。ヨガを学ぶうえで避けて通ることができないのが、パタンジャリのヨガスートラ。仏教用語で理解しようとして漢字でつまずいてしまったひともいるのではないでしょうか。

でも、原文のサンスクリット語に耳で親しんでおけば、インドに行かなくても、英語が話せなくても、仏教用語がわからなくても、ヨガ哲学がもっと身近に感じられるようになります。世界のヨギーと「ヨガのことば」でコミュニケーションできるようになります。ヨガスートラはニュートラルな視点からヨガを理解するヒントの宝庫です。この機会に一緒に始めてみませんか。             

Season1
・ヨガを伝えることばをアップデートしたいひと
・ヨガ哲学に興味があるひと
・ヨギーのライフスタイルに興味があるひと
・本場インドにヨガ留学してみたいひと

Navigator: Kanako Izawa
Music: Jason Shaw
Contact: kana@calmiia.com

ヨガを伝えることば | The Language of Yoga Kanako Izawa

    • 健康/フィットネス
    • 4.9 • 10件の評価

ヨガのことばをアップデートしたら、ヨガがもっと好きになる

哲学からライフスタイルまで、ニュートラルでグローバルな視点から、現代を生きる私たちに役立つ「ヨガのことば」をご紹介します。

Season1 は、ヨガの経典『パタンジャリのヨガスートラ』を音読するところからスタート。なるサンスクリット語の発音ルールを大切にしながら、聴き取りやすい音声でお届けします。ヨガを学ぶうえで避けて通ることができないのが、パタンジャリのヨガスートラ。仏教用語で理解しようとして漢字でつまずいてしまったひともいるのではないでしょうか。

でも、原文のサンスクリット語に耳で親しんでおけば、インドに行かなくても、英語が話せなくても、仏教用語がわからなくても、ヨガ哲学がもっと身近に感じられるようになります。世界のヨギーと「ヨガのことば」でコミュニケーションできるようになります。ヨガスートラはニュートラルな視点からヨガを理解するヒントの宝庫です。この機会に一緒に始めてみませんか。             

Season1
・ヨガを伝えることばをアップデートしたいひと
・ヨガ哲学に興味があるひと
・ヨギーのライフスタイルに興味があるひと
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    Yoga Sutra of Patanjali 1.25 | Īśvara 生命の根源とヨガの宇宙観

    Yoga Sutra of Patanjali 1.25 | Īśvara 生命の根源とヨガの宇宙観

    パタンジャリのヨガスートラ第2章で、八支則の第2項目二ヤマのひとつとして挙げられるイーシュヴァラ・プラ二ダーナ。

    他の二ヤマ同様、私たちが見ている現実や信念によってさまざまに解釈されます。第1章では、イーシュヴァラの定義を通して、ヨガにおける宇宙観を垣間見ることができます。
    第1章で、深い瞑想へと至るもうひとつの方法として紹介されるイーシュヴァラ・プラ二ダーナ。前回ご紹介した1章24節では、Īśvaraは一切のKarmaと無縁の存在だということが明らかになりました。つまり、私たち人間はĪśvaraの質を養うことはできても、Īśvaraとはイコールではないという現実があります。きょうご紹介する25節では、この点がもう少し詳しく述べられます。まずスートラを音読するところから始めていきましょう。
    25. Tatra niratiśayaṃ sarvajñabījam.
    tatra: in that これにおいて(イーシュヴァラ)
    niratiśayaṃ:incomparable 比較できないほど
    sarvajña:all knowledge 全能の
    bījam:source 種・根源
    イーシュヴァラは、知の根源を内包する全知全能の存在です。
    そのような意味を持つスートラです。
    「イーシュヴァラ」と聞いて何を心に描くかは人それぞれです。ですが、たとえばPurushaが意識の根源であるならば、Isvaraは生命の根源。同じ根源であっても、Isvaraは生命を生み出し維持する存在でありながら、生まれた生命の影響を受けることがありません。
    私たちは命をつなぎ、また生命を深く理解することができるけれど、宇宙をゼロからつくることはできない、人は生命の根源とつながることはできても、根源そのものではないという宇宙観です。というのも、人には個々の意識があり、その意識に映し出されるものを見ている存在でいることはできるし、その意識を純粋に保つ努力をすることもできる。それと同時に有限である命を「体験」をしている存在だからです。
    世界はどこから生まれ、私はどこから来たのか。そのようなヨガの世界観、宇宙観が垣間見られるスートラがもうすこし続きます。

    • 5分
    Yoga Sutra of Patanjali 1.24|Īśvara カルマと無縁な存在

    Yoga Sutra of Patanjali 1.24|Īśvara カルマと無縁な存在

    kleśa : affliction苦悩
    karma: action 行い
    vipāka: development, result 成熟、結果
    āśayair (āśayaiḥ) : accumulation of, intention 蓄積された、意図
    aparāmṛṣṭaḥ : untouched/unafflicted by 〜に影響を受けない、無縁の
    puruṣa viśeṣa (viśeṣaḥ) :sense of Self within 意識の根源
    Īśvaraḥ : イーシュヴァラ

    =======

    前回のエピソードには、Īśvaraという言葉が出てきました。パタンジャリのヨガスートラでは、Īśvaraが特定の神として描かれないかわりに、その性質がリスト化して紹介されます。今日ご紹介するパタンジャリのヨガスートラ第1章の24節では、Īśvaraの性質が定義されるともに、Īśvaraとpuruṣaの違いが明らかになります。まず音読するところから始めていきましょう。

    Īśvaraとは、kleśaクレーシャ、karmaカルマ、vipākaヴィパーカに一切の影響を受けない存在である。
    もっというと、そのĪśvaraとは外側に見いだされるものではなく、内なる意識の根源、puruṣaに宿るものであり、その内なる意識がクレーシャから自由であるとき、私たちはśvarapraṇidhānātが実践できているということになります。

    karmaは「苦悩」と訳され第2章で詳しく定義されますが、このスートラにおいてkarmaは、私たちを行動へと駆り立てるエネルギーのこと。どんな行動にもそれを触発するエネルギーがあります。

    エネルギーであるkleśaがkarmaを引き起こし、そのkarmaがvipāka(結果)をもたらし、それらが積み重なり習慣になります。本来の私、puruṣaは、kleśa、karma、vipākaから自由な存在であったはず。本来の自分からかけ離れた行動に出てしまったり、良くない習慣を続けてしまうのは、チッタ(意識)がkleśaの影響下にあるから。大切な人を傷つけるような事態に陥って、初めて自分が混乱していたのだと気づいたりします。

    karmaから自由であるpuruṣaと、karmaと一切無縁であるĪśvaraは、似て非なるものです。karmaを引き受けないことは、損得勘定で衝動的に行動しないことだったり、自分の失敗を教訓にして過ちを繰り返さないことかもしれません。それによって本当に大切なものを守る選択ができるからです。次のスートラでもひきつづき、Īśvaraの性質についての解説が続きます。

    • 6分
    Yoga Sutra of Patanjali 1.23 | Īśvarapraṇidhānāt わたしと生命の根源をつなぐもの

    Yoga Sutra of Patanjali 1.23 | Īśvarapraṇidhānāt わたしと生命の根源をつなぐもの

    23. Īśvarapraṇidhānādvā.

    Īśvara イーシュヴァラ
    praṇidhānād (praṇidhānāt) プラ二ダーナー
    vā  or あるいは

    または、イーシュヴァラプラ二ダーナによって(アサンプラッツジャータサマーディに近づくことができます)。

    ーーーー

    イーシュヴァラプラ二ダーナという言葉について

    イーシュ 自然を司るという動詞に、ヴァラ なになにする者という意味の接尾語がついて、創造を司るもの、自然の摂理などと解釈されます。「私」を軸に考えると、イーシュヴァラとは、例えば私という存在と生命の根とを繋げているもの、その繋がりを思い出させてくれるもの。謙虚さや信頼について思い出させてくれる現象のすべて。

    プラは完全なる、二は収められた、ダーナは捧げるという行為を意味します。Dhanaのdhaはsamadhiのdhiと同じ音であり、同じ意味を持つ音です。cittaを完全に一箇所に収めること、この場合はĪśvaraとそれが意味するものに収めること。

    イーシュヴァラは、自然の理にゆだねること、また「神」への献身と理解している人もいます。「神」という言葉を聞いたときに心に描く姿はそれぞれです。人と同じような姿をした神、山や川に宿るスピリットのようなエネルギーかもしれません。どのような姿かたちであっても、または姿かたちを持たなくても、イーシュヴァラは、「私」に生命の根源との繋がりを思い出させてくれるもの。

    イーシュヴァラプラニダーナを実践することは、自分の内側の世界に責任を持ち、外側で起こっていることや時間や数字、他人のせいにしないこと。例えば、良いことがあったときに成功を「私」が引き受けて有頂天になる代わりに、「私」が守られていることに気づき、感謝を持ち謙虚でいられること、または思い通りにならなかったときに周囲の人を攻めたり状況を嘆く代わりに、「私」には見えないところで大きな変化が起こっていることを理解し、流れに身を任せられるようになることです。また、他人の成功を目の当たりにした時、今は自分の順番ではないのだと理解し、精進できること。他人の成功を素直に喜べる態度のことかもしれません。意識の鏡に映る現象のすべてに対して、小さな「私」で引き受けないことです。

    なぜ「私」で引き受けないのかという点については、次のスートラで示されるイーシュヴァラの性質が明らかにしてくれます。

    • 6分
    Chanting of Yoga Sutra of Patanjali |Chapter 1 サマーディパーダ

    Chanting of Yoga Sutra of Patanjali |Chapter 1 サマーディパーダ

    パタンジャリのヨガスートラ 第1章サマーディパーダをチャンティングします。

    • 7分
    Yoga Sutra of Patanjali 1.22 | Self-Reflection 内省すること

    Yoga Sutra of Patanjali 1.22 | Self-Reflection 内省すること

    サマーディは、ヨガの手段、道であって最終目的地ではありません。

    パタンジャリのヨガスートラ第1章の20節、21節では、サマーディの道を歩むには、誠実さ、熱心さ、忘れずに戻ってくること、これらの努力によって集中力が増し、より深い瞑想状態、アサンプラッジャータサマーディに近づける、というものでした。

    当然のことだと思うかもしれませんが、これらのスートラは自らの問いかけとして受け取ることができます。今一度自分自身が立っている現在地を明らかすれば、例えばそこで不必要なものを削ぎ落とすことができる、それによって更に集中を深めることができる。このようにセルフリフレクションを促すスートラでした。

    きょうご紹介する22節では、Tīvra-saṃvegānām心を集中させてからもアサンプラッジャータサマーディに近づく速度は3つに分けることができる。そのように定義するスートラです。 



    22. Mṛdumadhyādhimātratvāttato'pi viśeṣaḥ. 

    Mṛdu-madhya-adhimātratvāt-tato (tataḥ)-api viśeṣaḥ. 

    mṛdu: mild(ness) マイルドに
    madhya: moderate(ness) ほどほどに
    adhimātratvāt: excessive(ness) 熱心に
    tato (tataḥ): from that それによって
    api: moreover, even 更に
    viśeṣaḥ: distinction 区別 



    更には(心を集中させてからも、アサンプラッジャータサマーディに近づく速度は)熱心さの度合いによって、ゆっくり、ほどほど、速くなる。そのような意味を持つスートラです。

    でも実際には、内側の成長のスピードを他人と比較することはできません。そして実のところ、過去の自分と比較したり自己評価したりすることもためになりません。心に理想を掲げた瞬間、「こんなにも」「これだけしか」と内側の現実と理想のギャップに苦しむことになります。そしてまた成長すればするほど、微細な側面に向き合えば向き合うほど、その過程はゆっくりスローに、より微細に感じられるものです。

    Tīvra-saṃvegānāmの取り組みの中にあっても、人はそこで繊細さを増し、深くあると思っていたものがマイルド集中であったと気付かされるような経験を経て、そこから瞑想の質を徐々に深めていきます。現在地を丁寧に振り返ったら自分の取り組み、気づきに対してシュラッダー親愛なる心を向け、心の静寂を養っていきましょう。

    • 5分
    Yoga Sutra of Patanjali 1.21 | Start where you are 現在地から始める

    Yoga Sutra of Patanjali 1.21 | Start where you are 現在地から始める

    21. Tīvrasaṃvegānāmāsannaḥ.

    ヨガスートラの第1章2節は、Yogaścittavṛttinirodhaḥ. 4節は、Vṛttisārūpyamitaratra でした。Vrittiが渦巻く意識の状態から、Vrittiと自分自身の間に少しずつ距離を取る術を学び、心の静寂Nirodhaを目指していくというもの。

    私たちは日常で、騒音と静寂のバランスを見出そうとします。でもヨギーであれば、自らの意思で、そこにある距離を縮めようと努力します。なんとか外向きに平静を保とうとするのでも、騒音を遮断してしまうのでもなく、ヨギーは騒音をつぶさに分析し事実と想像にふるい分け、また静寂についても同じように分析し理想を手放します。

    その過程で静寂の割合が少しずつ増し、穏かなマインドが定着するように、物事の繊細な側面に取り組んでいきます。

    その方法の1つとして、形あるものから、より繊細なものへ、経験していることをつぶさに観察し分析する瞑想、サンプラッツジャータサマーディ。そして分析を手放したところにあるより深い瞑想、アサンプラッツジャータサマーディが紹介されました。

    20節から22節に掛けては、では今、自分はどこにいるのだろう?自分の現在地について気づかせるようなスートラが続きます。

    Tīvra-saṃvegānām-āsannaḥ.

    tīvra: intense 集中
    saṃvegānām: force, velocity エネルギー、スピードを持って
    āsannaḥ: seated near 近づく

    心を集中させて取り組めば、(アサンプラッツジャータサマーディ)に近づくことができます。

    ヨーガスートラは「気づき」を促すものです。このスートラでは、人として生きている限り、心が散漫になるのは自然なことだけれども、現在地を明確して、今やるべきことに取り掛かろう、そしてやり続けよう、と気づきを促すことができます。

    あの人より私のほうが熱心だとか、もう少し時間ができたら集中できるのになどと、気休めを得るものではないということです。ヨギーは、どんな自問にもaction、abhyasaが伴うことを知っています。行動、実践なくして変化を起こすことはできないからです。

    • 4分

カスタマーレビュー

4.9/5
10件の評価

10件の評価

Yin Yoga Shinobu

わかりやすく心地よい声

わかりやすい解説とかなこさんの耳に心地よい声。
また次回が楽しみになります。

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