ぶれない軸を作る 経営者の寺子屋実践塾 徳道実践塾 塾長 齋藤誠司
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- Zaken en persoonlijke financiën
経営者として正しい「在り方」を示す経営塾
会社の成長はもとより、従業員との信頼関係、職場の一体感そして大切な家族のしあわせ・・・
多くの悩みや課題を抱えながら舵取りをし、奮闘する経営者の方に素早い決断力、勇気と実行力、小事に動じない精神力、上昇志向の人脈構築の術とヒントをお伝えします。
自分を変える近道は「徳道」にあります。
人間が本来、持っている「徳」を明らかにして自分自身が正しい道を生きることから始まります。
自分を磨き、大切な家族や社員を物心共に幸福を導く「ブレない経営者」になるための経営者寺子屋「徳道実践塾」で学び合い、共に切磋琢磨して参りましょう。
斎藤 誠司 (Seiji Saito)
リーダーシップ・ブレインズ株式会社 代表取締役
徳道実践塾 塾長
〒107-0052 東京都港区赤坂4丁目13-5 赤坂オフィスハイツ1F
Mobile: 080-6502ー0332
E-mail: tokudo@leadership-brains.co.jp
HP: http://leadership-brains.co.jp/
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=snHysc5rUa0
PDF: https://tokudou.koelab.info/wp-content/uploads/tokudou.pdf
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024.「学問の本質とは 三学より」
「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず( 佐藤一斎 言志四緑 三学)」
このように、本当の学問には、終わりがない。
事業経営者や組織のリーダーにとって、日々の熟考と実践が学習の連続であり、死ぬまで学問を志し、勉強することが人物を創る。その中に、人を動かす要諦やビジネスの機会と成功の種が視えてくる。そして、トップとしての「決断と実行」を遂行するためにも、己を磨き、心の鏡を私欲で曇らせてはいけない(明鏡論)
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023.「学問の本質とは(荀子より)」
「それ学は通の為にあらざるなり、窮して困しまず、憂えて心衰えざるが為なり、禍福終始を知って惑わざるが為なり」とは、
荀子(中国戦国時代末の思想家・儒学者)の言葉である。
「学問と勉強の違い」 「何の為に学問をするのか?」 の本質が分かります。
学問するということは、単なる知識や技術を習得することではない。
物事に対して正しい価値判断ができる見識を養い、それを実践することである。
本当の学問というものは、どんなに窮しても(困難な局面や、貧しい状況においても)苦しまない。
どんな心配事があっても、へこたれない。神経衰弱にならない。心が衰えない、エネルギーを落とさないためである。
*荀子は人間の性を「悪」すなわち利己的存在と認め、君子は本性を「偽」すなわち後天的努力(すなわち学問を修めること)によって修正して善へと向かい、統治者となるべきことを勧めた。
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022.塾生リーダー舘野 和洋氏との対談
今回は、徳道実践塾の創設時からの塾生メンバーの舘野和洋さん(株式会社カーチス 江戸川店 副店長)との対談です。
舘野さんは、塾生の中で、最も熱心に学び、自分を変えて結果・成果を出されたリーダーです。
徳道実践塾へ入塾された動機、気づきや変化、ビジネス活動の結果、そして今後の展望など、具体的に熱く語って頂いております。
乞うご期待下さい!!
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021.批判できる人の要件
人の批判をしている割には、自分が相手から批判されるとキレる人がいる。
特に、経営者や組織のリーダーは、側近や部下から意見や直言、批判される場面は少ないが、人の意見や考えを受け入れることができる人間になって、はじめて人を批判できる。そういう人からの批判なら誰もが受け入れるはずだ。
人の考えや意見を聞かない人に、人を批判する資格はない。そういう人からの批判は、誰も聞かないだろう。
経営者や組織のリーダーは肝に銘じるべきである。
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020.過ぎたるは猶及ばざるが如し(論語)
物事はなんでもやり過ぎたものは、表面上は盛大に見えるけれども、とくに評価するほどのものでもない。
「目標に到達しない」のと同じようなものである。
よく遣り手だと言われて鼻高々の人がいるが、遣りすぎると必ずその陰に、無理があったり、人を傷つけたり、
隙が出来て、破綻の原因となる。
やり足りない(到達不足)のも困ったものだが、やり過ぎるのも、それと評価は同じ程度である。
何事も中庸、バランスのとれているのがいいのである。
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019.六中観(人生をより豊かにする事が出来る6つの観点)
日頃から以下の6つの観を留意するならば、どんな困難なことがあろうとも神経衰弱にはならずに、精神的に参ることはない。そして、心の平安と安定、張りのある生活が保て、人生をより豊かにすることが出来るであろう。
【死中有活】
死のような絶体絶命の場に至った時こそ、生きる道が開けてくる。死んだ気で頑張れば、開けない道はない。
【苦中有楽】
苦しみと楽しみは、表裏一体。何かを成し遂げようと苦しむ中に実は、楽しみはある。苦しんでいるその事が実は楽しみである。
【忙中有閑】
忙しい時のわずかな暇な時間に、日頃やりたいと思っていた事をやると集中した充実した時間が持てる。多忙で何かをやる暇など全くないというのは、言い訳である。
【壷中有天】
人知れず、独自の別世界を現実の中に持つこと(趣味とか信仰など)
【意中有人】
何かをする時、何か起こった時、すぐに浮かんでくる友人や知人がいる。
いつもつながりのある人物を心の中に持っていることは、人生の幸せである。
【腹中有書】
いつも読みたい本があり、また教訓を引き出せる自分を導くための書、手本というものを、自分の中に備えている。つまり、常に学ぼうとする心構えがある。そういう人はどこまでも向上していくことができる。
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