古代の福岡を歩く RKB毎日放送
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- History
古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。
出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター)
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ST-A 安曇族の足跡を探るの8回目も塩の道を探ります。
塩の道を青木湖、木崎湖と二つの湖を通って信濃大町に入ってきました。
ここにあるのが若一王子八幡宮。
ここには、神様と仏様が同居するという神仏集合がそのまま残っています。
正面の右の方の手前に三重の塔が、そして正面に観音堂が、左側に本殿があります。
本殿手前の方には赤い鳥居があるという、今では余り見られなくなった神仏習合の姿がここでは見られるのです。
そして、びっくりすのは本殿と本堂が廊下でつながっているのです。
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ST-A 安曇族の足跡を探るの7回目も塩の道です。
安曇族の足跡を追って塩の道を辿っています。白馬村を少し入ったところに飯森神社がありました。
水神様を祀った神社だそうです。
この辺は水が涸れることはないけれど、水があふれて洪水にしばしば襲われる場所だそうです。
この神社の裏には広大な土地が広がり、遠くに山が見えます。
神社の拝殿、本殿を結んだ先にあるのが八方岳、そしてそこには八方池があり、神社の奥宮があって、例年、洪水にならぬよう地元の方はそこでお祀りをするのだとか。
案内人の田中さんの家も、以前は毎年頭ほどの大きさの岩を堤防の材料にするため川へ運んだのだそうです。
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ST-A 安曇族の足跡を探るの6回目は塩の道を訪ねます。
塩の道に精通していらっしゃる白馬小谷研究社の田中元二さんの案内で、塩の道を糸魚川から少し入った南小谷から松本方面へと向かっています。
大変景色のすばらしい場所へ出ました。白馬村倉下という場所です。
松川という青く澄んだ水が大きな橋の下を流れています。
田中さんの話では塩の道のすばらしい点は、季節によって景色の色が変化することだそうで、上が白銀、下が桜のピンクだったり、新緑の緑だったり、変化に富むのが
すばらしいんだそうです。
確かに青みがかった川のずっと上には白銀のアルプスの山々がありました。
塩の道も、糸魚川から入ると、食文化、言葉、住まいなど「わずかな距離で変化していくのが面白い」ということでした。
※写真は白馬村倉下からの景色
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ST-A 安曇族の足跡を探るの5回目は信州へ
今週から安曇族の足跡を訪ねて信州へ向かいました。
安曇族は、日本海を北上し、信州安曇野へ入っていって住みついたのだ、という説があります。
では、一体どこから信州へ入って行ったのか。
有力な説の一つとして新潟県糸魚川から塩の道、千国街道を通っていったのだ、という説です。
この説を検証するために塩の道を通ってみることにしました。
出発地は、糸魚川からちょっと入ったJR南小谷駅付近から。
案内を頼んだのは、塩の道に精通していらっしゃる白馬小谷研究社の田中元二さん。
田中さんが運転する車で通ってみることにしました。
距離的には、糸魚川から松本までは120キロの旅になります。
早速、百体の観音様が出迎えてくれました。
※写真は百体観音
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ST-A 「安曇族の足跡を探る」の4回目は潮満つ玉、潮干る玉の話
安曇族の足跡を探るのに玉の話があります。
志賀海神社の歩射祭の時、射手士が勝間詣の沖津島に渡って行う神事で、海中に潜り海藻のガラモをとってくるという神事があります。
このガラモをとることが玉~潮満つ玉、潮干る玉をとってくる神事を表している、という見方をなさっているのが「神功皇后伝説を歩く」の著者、綾杉るなさん。
神功皇后の足跡を探っていますと、この玉の話がいろんな話しにでてきます。
神事としては北九州市の和布刈神社にも今に伝えられています。
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ST-A 「安曇族の足跡を探る」の3回目は海人族と神功皇后
安曇族の本拠地だったといわれる志賀海神社には数多くの神功皇后の話が伝えられています。
そこで、今週は神功皇后とは一体どんな人物なのか、海人族とのつながりを探っていきます。
話は「神功皇后の謎を解く」の著者で歴史家の河村哲夫さんに聞きます。
河村さんの話では、神功皇后は4世紀の終わり頃に活躍した人物で息長帯比売(おきながたらしひめ)という人物。琵琶湖の近くで産まれ育った人で釣りや海に潜水するのが好きだったのでは、ということです。
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