
“Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (22)
Part 22
鉛の室
いんきは赤し。――さいへ、見よ、室の腐蝕に
うちにじみ倦じつつゆくわがおもひ、
暮春の午後をそこはかと朱をば引けども。
油じむ末黒の文字のいくつらね
悲しともなく誦しゆけど、響らぐ声は
錆びてゆく鉛の悔、しかすがに、
強き薫のなやましさ、鉛の室は
くわとばかり火酒のごとき噎びして
壁の湿潤を玻璃に蒸す光の痛さ。
力なき活字ひろひの淫れ歌、
病める機械の羽たたきにあるは沁み来し
新らしき紙の刷られの香も消ゆる。
いんきや尽きむ。――はやもわがこころのそこに
聴くはただ饐えに饐えゆく匂のみ、――
はた、滓よどむ壺を見よ。つとこそ一人、
手を棚へ延すより早く、とくとくと、
赤き硝子のいんき罎傾むけそそぐ
一刹那、壺にあふるる火のゆらぎ。
さと燃えあがる間こそあれ、飜ると見れば
手に平む吸取紙の骸色
爛れぬ――あなや、血はしと、と卓に滴る。
四十年九月
真昼
日は真昼――野づかさの、寂寥の心の臓にか、
ただひとつ声もなく照りかへす硝子の破片。
そのほとり WHISKY の匂蒸す銀色の内、
声するは、密かにも露吸ひあぐる、
色赤き、色赤き花の吐息……
四十一年十二月
このさんたくるすは三百年まへより大江村の切支丹のうちに忍びかくして守りつたへたるたつときみくるすなり。これは野中に見いでたり。
天草島大江村天主堂秘蔵
天草雅歌
四十年八月、新詩社の諸友とともに遠く天草島に遊ぶ。こはその紀念作なり。
「四十年十月作」
天艸雅歌
角を吹け
わが佳耦よ、いざともに野にいでて
歌はまし、水牛の角を吹け。
視よ、すでに美果実あからみて
田にはまた足穂垂れ、風のまに
山鳩のこゑきこゆ、角を吹け。
いざさらば馬鈴薯の畑を越え
瓜哇びとが園に入り、かの岡に
鐘やみて蝋の火の消ゆるまで
の乳をすすり、ほのぼのと
歌はまし、汝が頸の角を吹け。
わが佳耦よ、鐘きこゆ、野に下りて
葡萄樹の汁滴る邑を過ぎ、
いざさらば、パアテルの黒き袈裟
はや朝の看経はて、しづしづと
見えがくれ棕櫚の葉に消ゆるまで、
無花果の乳をすすり、ほのぼのと
歌はまし、いざともに角を吹け、
わが佳耦よ、起き来れ、野にいでて
歌はまし、水牛の角を吹け。
Information
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- FrequencyMonthly
- Published11 July 2025 at 15:00 UTC
- Season6