高千穂さんのご縁です。

【蓮如上人と大阪のご縁】 "大阪の名付け親"とも言われる蓮如上人について

🔶 蓮如上人とは

浄土真宗本願寺派の第8代門主で、「浄土真宗中興の祖」と称されます。

室町時代(1415年~)に生まれ、不遇の幼少期を経て、43歳で本願寺の門主となりました。

荒廃していた本願寺を復興し、門信徒を増やしながら教えを広めました。

🔶 教えの普及と工夫

当時、本願寺は天台宗の傘下で、仏具やご本尊も天台宗の様式でした。

蓮如上人はこれを改め、本願寺を浄土真宗の寺として確立されました。

民衆にも理解できるよう、教えを簡潔に綴った「御文章」や「名号(阿弥陀仏と書いた紙)」を多数配布しました。

読み書きができない人も多い時代に、視覚や口伝を通じて信仰が広まりました。

*本願寺派(西本願寺)では「御文章(ごぶんしょう)」、大谷派(東本願寺)では「御文(おふみ)」と呼ぶことが一般的です。

🔶 教団の広がりと対立

教えは近江(滋賀)を中心に、近畿・東海・北陸などへ急速に広がりました。

その影響力の大きさから、天台宗から敵視され、本願寺が焼き討ちに遭うという事件も起きました。

その後、越前・吉崎御坊へ移り、そこを拠点としてさらに信仰を拡大しました。

ただし、武力と結びついたことで「一向一揆」などの争いも起こり、蓮如上人は吉崎を去り、山科(京都)へ移られました。

🔶 大阪との関わり

山科本願寺の建立後、蓮如上人は晩年に現在の大阪にも拠点を移し、それが後の「石山本願寺」の基礎となりました。

石山本願寺は、のちに織田信長との戦いの舞台となり、退去後は豊臣秀吉によって大阪城が築かれたため、その場所は「大阪城の元になった」とされています。

当時「小坂」や「尾坂」などと呼ばれていたこの地に「大坂(のちの大阪)」という名を用いたのが蓮如上人だという説もあります。

そのため、蓮如上人は「大阪の名付け親」と称されることもあり、大阪と浄土真宗は今も深い縁で結ばれているのです。

🔶 熊本との関係

蓮如上人の布教活動により、熊本にも浄土真宗のお寺が多く建立されました。

熊本市中央区京町の仏嚴寺も、そうした歴史をもつお寺の一つです。

🔶 まとめ

蓮如上人は、荒廃した本願寺を再興し、民衆に向けた布教活動を展開された中興の祖です。

京都から北陸、そして大阪と、各地を巡って教えを広め、今の浄土真宗の礎を築かれました。

「大阪の名付け親」として、都市の成り立ちとも深く関わっています。

🔵来週のテーマは「物の見方」です。どうぞお楽しみに。

今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。 あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

では、また来週お会いしましょう。

出演

お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)

司会:丸井純子(まるい じゅんこ)