おやすみまえの癒しチャンネル

オフィス・るん/ヒューマンセラピー研究所

就寝前の数分、悩み事や心配事が少し軽くなって心地よい眠りにつける、生きるヒントをお話ししています。 語り手:心理療法家・セラピスト 古川貴子 オフィス・るん/ヒューマンセラピー研究所:https://www.office-lun.com/ オフィス・るんStores/jp店:https://office-lun.stores.jp/

  1. AUG 24

    Vol.030 本当の「正直さ」とは?――エゴを手放し、心を軽くする

    「正直さ」をどう使う? 「自分に正直である」ということは、幸せに生きるために不可欠なことです。なぜなら、自分の本当の気持ちを無視すると、心のなかにある違和感に気づくことができなくなり、軌道修正のチャンスを失ってしまうからです。 正直であることは、自分の心に耳を澄まし、余計なものを手放し、本来の自分として軽やかに生きるための道具です。 しかし、多くの人が「正直さ」を誤解しがちです。     「正直さ」とは、思ったことをズバズバ言うこと? あるクライエントのA子さんは、「思ったことをすぐ口にすることが正直さだ」と信じていました。 「私は本音で生きたいから、遠慮せずに何でも言う」と考えていたのです。 確かに、自分の感情を押し殺してしまうのは苦しいものです。けれど、感じたことをそのまま口にすれば、それが「正直な生き方」になるのでしょうか? 実際には、そうした態度が人間関係の摩擦を生み、「私って正直なのに、なぜか人間関係がうまくいかない」と悩むことも少なくありません。 なぜなら、「正直さ」とは「思ったことをそのまま外にぶつけること」ではないからです。むしろ、自分の心の内側を正直に見つめることが、本当の意味での「正直さ」なのです。     「正直さ」を使って自分のエゴを見抜く たとえば、誰かの言葉に傷ついたとき。「今のひと言、すごく嫌だった!」そんな気持ちがわきあがったとします。 このとき、正直になるとは「相手に怒りをぶつける」ことではありません。「あなたのせいで傷ついた!」と責めるのは、一見「素直な反応」のように思えますが、実は「自分の傷を相手のせいにする行為」になってしまいます。 そうではなく、正直さを自分の心のために使うなら、こうなります。「なぜ、私は今のひと言でこんなに傷ついたのだろう?」「もしかすると、私は『価値のない人間だ』と思われるを怖れているのかもしれない」「その怖れの根源はどこにあるのだろう?」 「私は小さい頃から、自分が尊重されていないように感じてきたため、自分には価値がないと信じ込んできた」 「しかし、価値がないと信じたのは自分だ・・・」 このように、自分の心を深く掘り下げていくと、過去の経験や思い込みに行き着きます。そして、気づいたとき、すでに心の癒しは始まっています。     「正直さ」は武器ではなく、癒しのために使う 誰かに対して文句を言いたくなったときも、同じことが言えます。「なんであの人はこうなの?」「もっと○○してくれればいいのに!」 こうした不満が湧いてきたときこそ、まずは自分の心に目を向けてみましょう。 「私はなぜ、これにこんなに反応しているのだろう?」「この人が変われば、私は本当に心地よくなれるの?」 私たちはつい、「この人さえ変われば、私は楽になる」と信じてしまいます。けれど、心の奥にある「自分の不安や怖れ」を見ないままでは、たとえ環境が変わっても、また同じような問題に直面することになるのです。 つまり、「正直さ」とは、外側に向けて発するものではなく、まずは自分の内側を見つめるためのもの。そこに気づいたとき、自分の心も、そして人間関係も自然と穏やかになっていきます。     正直に向き合うことで、安らぎの扉が開く 心は、つい「外側の世界」に向かおうとします。「あの人が悪い」「あの状況さえなければ」と、目の前のものをどうにかしようとします。 でも、その手には乗らず、まずは「自分の心の中」に戻ってきましょう。そこにある思い込みやエゴに気づいたとき、世界や人を裁くことをやめ、また戦いからも自由になることができ、平和で穏やかな気持ちになれるからです。 どんなときも、自分の心に正直でいること。それが、安らぎへの鍵であり、本当の幸せへとつながる扉なのです。

    9 min
  2. JUN 22

    Vol.029 感情の波を怖がらないで ー その先に広がる自由

    感情を手放すことは本来の自分に戻る旅 私たちの心は、本来の自己へと向かう旅の途中にあります。その旅路で私たちは、さまざまな経験を通して「自分ではないもの」を少しずつ手放しながら、ありのままの自分を取り戻していきます。     痛みは「ニセモノの自分」からのサイン 本来の自己を解放するためには、まず「自分ではないもの」に気づくことが大切です。特に、心の痛みや違和感は大切なサインと言えます。痛みは、「まだ手放せていないものがここにあるよ」と教えてくれる合図。怖れや怒り、罪悪感などの感情が浮上するとき、それはまさに解放のチャンスなのです。 しかし、私たちはつい「こんな感情を持ってはいけない」と思い込み、それを無視したり、抑え込もうとしてしまいます。けれど、感情を抑圧すればするほど、心の奥深くにたまり、やがてコントロールできない形で表面化してしまうのです。     映画やドラマを活用する 人生の中で体験できる出来事は限られていますが、映画やドラマを通じて、私たちはさまざまな感情を疑似体験することができます。登場人物に共感しながら、自分の中にある未解決の感情を浮上させることができるのです。 その未解決な感情は、いつのまにか自分の目にする世界をぼやけさせたり、モノトーンのような色褪せたものにしていたかもしれません。 感情を感じること自体を「良くないこと」と思っていると、せっかくの解放の機会を逃してしまいます。大切なのは、感情が湧き上がることを怖れず、ただそれを眺めて流してあげることです。     感情を手放すコツ 感情は本来、ただ「さらさらと流れていくもの」です。しかし、感情を怖れると、まるでスポンジのようにすべて吸収し、自分自身がその感情に支配されてしまいます。 では、感情をためこまずに流すにはどうすればいいのでしょうか? 1. 判断しない:感情に「良い・悪い」のラベルを貼らず、ただそこに現れているエネルギーとして感じ、受け入れる。 2. ストーリーを作らない:感情が湧いたとき、「これは過去のせい」「誰々のせい」とストーリーに逃げ込まず、そのままの状態で見つめる。 3. 呼吸を意識する:深呼吸しながら、感情が体の中を通り抜けていくのをイメージする。 4. 身体の感覚に注意を向ける:感情が湧いたとき、胸のあたりが締めつけられる感じがするなら、その感覚にやさしく寄り添いながらリラックスする。 このシンプルなステップを繰り返すことで、感情は自然と解放され、心は軽くなっていきます。     感情を解放すると世界が変わる 感情を押し戻さず、あるがままに感じて流すことができるようになると、自然と心の静けさ、安らぎが訪れます。そして、心が穏やかであればあるほど、目に映る世界も優しく安らかなものになっていくのです。 さらに、世界が鮮やかにいきいきと感じられるようになり、心の余裕が生まれることで今の自分にふさわしい新しい出会いやチャンスが増えていきます。思いがけない幸運が舞い込んだり、シンクロニシティが起こったり、直感が冴えることもあるでしょう。 あなたの中にあるネガティブな感情を、怖れずに感じ、手放してみましょう。きっと、今よりもっと自由で軽やかで、ワクワクするような世界が広がっていくはずです。

    9 min
  3. MAY 7

    Vol.028 安らぎの心で世界を変える ~与え、受け取る力~

    「誰かに優しくしたとき、思わぬ形で優しさが返ってきた」という経験をしたことはありませんか?   「自分が与えるものこそが、自分が受け取るもの」という言葉を、耳にしたことがあるかもしれません。 一見シンプルですが、人間関係や日常の出来事でもこの法則はよく見られるもので、実はとても深い真理を含んでいます。今回は、この言葉が意味するものと、そこから生まれる気づきについてお話しします。   自分が与えるものこそが、受け取るもの この言葉は、私たちの生きる世界で働いている不動の法則を表しています。つまり、自分が与えたものしか受け取ることができないということです。あるいは、与えてしまったのなら、それを受け取らざるを得ないということでもあります(それが苦痛や痛みであっても、です)。   これを聞いて「じゃあ、たくさんモノを与えれば、さらにたくさん戻ってくるのか!」と考えがちですが、実はそう単純な話ではありません。     動機が結果をつくる ここで言う「与えるもの」とは、個体のモノではなく、それを与える「こころの姿勢や動機」を指しています。   例えば、たくさんのプレゼントを友人に贈ったとしても、その背景に「相手の注意をひきたい」という気持ちがあると、逆に不安な気持ちが増してしまうことがあります。   一方、「笑顔であいさつをする」というような小さな行動でも、その背後に感謝の気持ちや優しさがあると、相手からも自然と笑顔がかえってきたりします。すべてはひとつで、つながっているからこそ、自分で自分に与えていることになるのです。   欠乏感を受け入れて解放する  欠乏感や怖れ、罪悪感を抱えたままでは、いくら外側に与えても、その気持ちを強める体験を引き寄せてしまいます。   こうした感情があるときには、忙しく外側の行動に走るよりも、まず「自分の内側に目を向ける」ことが大切です。自分の中にある欠乏感や怖れを、避けたり無視したりせず、正面から向き合い、「この感情を感じても大丈夫」と優しく声をかけ、無条件に受け入れてみましょう。そうすることで、その感情は少しずつほぐれていきます。   安らぎの心が世界を変える 欠乏感や不安をやわらげたら、次は「自分のこころの中にある安らぎ」を意識してみるようにしましょう。心を凪のように静かに穏やかに落ち着かせることで、安らぎの視点から世界を見ることができるようになります。   安らぎの心は、すべての源である内なる平和とひとつであることを思い出させてくれます。その状態で世界に向き合うことで、自分が世界から受け取るものもそのような安らぎに満ちたものになることでしょう。     実践の提案  3分間、自分の心の声に耳を傾ける時間を作ってみましょう。どんな感情も否定せずに、胸に手を当てて、深呼吸を3回しながら、自分の中の小さなこどもに寄り添うようなイメージで、ただ静かに感じてみましょう。   そのまま受け入れることで、その感情はしだいに治まっていきます。そして、心を静かにすることに意識を向けてみましょう。そうすることで、豊かな与える存在になる第一歩を踏み出すことができるでしょう。   ♪ まとめ ♪  安らぎの心を持つことは、与えたものが豊かに返ってくる鍵となります。「自分が与えるものこそが、自分に戻ってくる」という法則を思い出し、安らかなこころで自分の目にする世界を変えていきましょう。それは、あなた自身への最高の贈り物でもあるのです。   安らぎの心を持つことで、あなたの世界は自然と豊かさに満ちていきます。あなたの日々が、少しづつ変化していくことを感じとってみましょう。

    9 min
  4. APR 13

    Vol.027 こころのおしゃべりをスルーする

    1. 朝から始まる心のおしゃべり 目覚めた瞬間から、心のなかはおしゃべりでいっぱいです。 「もう朝?二度寝しちゃった…私ってダメだな」 「鏡を見たら、なんだか冴えない顔色…」 「この服って、太って見えない?」 こんなふうに、自分にダメ出しのオンパレード。ひとつひとつに反応していると、気持ちがどんどん沈んでしまいます。 そこで提案したいのが、「心のおしゃべりをスルーする」習慣です。     2. 心のおしゃべりに振り回されるとき 私たちが問題に直面しているとき、それはたいてい心の声を真に受けているときです。 「そんなのダメでしょ?」 「失敗したらどうする?」 「恥ずかしいな、みんなに笑われるよ」 こんな声が聞こえてきたら、ちょっと立ち止まってみましょう。 この声、本当に正しいのでしょうか? よくよく吟味してみると、実はほとんどが思い込みだったり、ただの心のクセだったりします。 ところが、私たちは無意識にこの声を「真実」として受け入れてしまいがちです。その結果、 「どうしよう!大変なことになった!」 「早くなんとかしなきゃ!」 と焦り、どんどんネガティブなループに陥ってしまうのです。     3. 心の声をテレビのBGMのように流す 心のなかに、さまざまな不安やネガティブな思いが浮かんだとき、それをいちいち相手にしないようにしてみましょう。 たとえば、テレビやラジオがつけっぱなしになっているときのことを思い出してください。番組の音は聞こえていても、意識していなければ気になりません。 それと同じように、心のおしゃべりも「ただの雑音」として流してしまえばいいのです。 「またウソつきラジオが勝手にしゃべってるな~」と軽く流してみましょう。     4. 静けさのなかに、本当の自分がいる 心のおしゃべりが静まってくると、そこに現れるのは本当の自分です。 高い自己であるハイヤーセルフの声は、とても優しく、穏やかで、決して私たちを煽ったりしません。 リラックスして、心の静けさを感じることで、まるで霧が晴れたように目に映る世界がクリアになり、 ・「あれ?さっきまで悩んでいたことって、そんなに大したことじゃなかったかも?」と気持ちが軽くなる。  ・ ふと「これやってみよう!」と直感が湧いて、行動がスムーズに進み、前向きになる。  ・ 人の言葉に過剰に反応せず、穏やかに受け流せるようになり、人との関わりがラクになる。  ・ まるでピタッとタイミングがあうように、必要な情報や人との出会いが訪れる。 そんな変化が自然と起こります。 心のおしゃべりをスルーすることで、世界はもっと穏やかで、優しく、そしてワクワクするものに変わっていくのです。 【まとめ】 ✔️ 心の声は、たいてい思い込みやクセでできている ✔️ その声を「テレビのBGM」のように聞き流す ✔️ 静けさのなかに、本当の自分の声がある ✔️ 余計な心のおしゃべりがなくなると、人生がスムーズに流れ始める 心の声に振り回されることなく、軽やかに生きる習慣を始めてみましょう♪

    7 min
  5. MAR 23

    Vol.026 緊張からの解放 〜幸せのオセロゲームで勝利する〜

    ふだんの生活の中で、自分がどのような態度で世界や人々にかかわっているか、気にしたことはありますか? 私たちは、世界や人々に対して「優しく受け入れよう」とするよりも、無意識のうちに緊張を感じながら戦闘的な態度で向き合ってしまっているかもしれません。 それは、もし何か不都合なことがあれば、決して自分の不利にはならないように、損害を被ることがないように、ものごとを有利にすすめたいと警戒してるからです。 私たちにとって「この世界」は安全で安心な場所ではなく、気を緩めれば簡単にやられてしまう厳しい世界だと信じているからです。 誰もがリング上のファイターのようにファイティングポーズを緩めることができず、安らかにくつろぐことができないのです。     そんな世界の中で、幸せを感じる方法はあるのでしょうか? 安らぎを感じたいのであれば、「自分」と「世界」を切り離して考えるということをやめなければなりません。 「自分」と「世界」を二つのものだと捉えている限り、そこには摩擦が生まれ、対立することになってしまうのです。 世界とは自分の外側にあるように見えますが、それは自分の心が映し出されている映像であり、まさに自分の心そのものなのです。 心が変わればその映像は変わるので、心とともに目にしている世界は変化します。 しかし、自分の心が変わらなければ、見ている世界は変わることはありません。 つまり、自分を脅かしているのは世界や人々ではなく、自分の心のなかにある考えそのものなのです。 心が裁きや罪の思いを握りしめていることにより、つねに裁きや罪という出来事に出くわすことになります。 裁きや罪の思いを手放せば、世界も人々も安らかに知覚されるようになり、自分が脅かされているように感じることはなくなります。 世界と自分のこころが連動しているという、このメカニズムに気づくことが大切です。     自分にとって不都合なことを目にする原因は、心の中に同様のものを抱えこんでいるからです。 それは、世界や人々にに対する不信感や罪を信じる思いかもしれません。 外の世界に見える不快なものごとはまさに自分の心の中に存在し、こころはそれを抱えこみつづけることに耐えかねて、外へ外へと投棄するということが起こります。 しかし、いくら投棄をくりかえしても、またふたたび元の場所に戻ってきてしまうのです。まるでソンビのごとく再生し、また心の中に存在しているのです。 それは心のなかで消滅させない限り、消え去ることができないからです。 不快なものを外へと投棄することは、内側においても外側においても不快なものを体験することになり、むしろ問題を増やしてしまうだけなのです。     この悪循環から解放されるためには、自分が外へと不法投棄した問題を、クロからシロへと変えることです。 それは、「これは間違っている、罪があるというクロ」から、「これでOK、何も罪がないというシロ」へと認識を変える、ということです。 自分が投棄したものに対して大騒ぎするのではなく、何を目にしても「ただシロを見よう!」、何も問題がない、これで大丈夫なのだと決める、ということです。 そして、「一度見ようと心に決めれば、それを必ず目にできる」というのも心の素晴らしい力なのです。 「シロを見よう!」と心に決めることは、まさに「私はシロです!」、「これで大丈夫、何も問題がない」と言っているのと同じことです。 なぜなら、私たちは常に心の中にあるものを外に見ているからです。「もしシロが見えるのならは、自分もシロであるに違いない」ということになります。 自分が外に投棄したすべてに対して、もれなく「シロにしてしまう」「シロだけを見ようとする」というゲームを始めることです。 「自分が与えたものは、自分が受け取る」ことになるので、世界や人々に対してシロを与える、何も問題がなく罪がないことを与えることとは、自分ももれなくシロを受け取ることになるのです。 このゲームは、オセロのコマを返すようにどんどんシロを増やして、最後には勝利をおさめることができます。 シロであることは、何も問題がなく、罪がないこと。罪がないのなら、自分がどんなリスクや危険、苦しみからも無縁で、自分で自分を防御する必要がなくなるのです。 守る必要がなければ、そこは安全な場所のはずです。リラックスできるはずです。 シロを増やしてゆくことで、世界も自分も安らかに鎮ってゆくのです。 そして、この世界で闘いつづける必要ななく、愛し愛される世界の中で安心してくつろいでいる自分に気づくことができることでしょう。

    12 min
  6. FEB 16

    Vol.025 あれこれ考えてしまうとき 〜思考の音量をさげてみる〜

    「人の反応や外側のことが気になり、あれこれ考えては疲れてしまう」というA子さん。   私たちが「あれこれ考えてしまう」とき、「外側の状況に悩まされている」というよりは、「自分の空想に悩まされている」ということが起きています。   「これはひどいことだ」とか、「大変なことになる」とか、その状況に対して自分なりの意味づけや価値判断を下しており、その結果「きっとこんなことが起こるに違いない」と考えることで疲れてしまうのです。   しかし、それらは空想なのです。事実とは関係ありません。   それならば、まず空想をストップするためにアタマのおしゃべりを鎮めてみましょう。   出来事に対する、意味や意見、判断、解釈、ストーリーを停止してみます。   この空想さえなければ、ものごとの意味や解釈、価値判断もやんでくるのです。   ものごとはまっさらな状態になります。     私たちが動揺しているとき、「その出来事や状況そのものに混乱させられている」と感じがちですが、動揺の原因は「自分の考え」であり、空想にホンロウされている、ということなのです。   私たちは状況を目にしたとき、瞬時にそれが自分にとってどういう意味があるのか、ストーリーを決めつけてしまいます。   あまりに瞬時のことなので、自分で決めつけをしていることにさえ気づきません。   そして、それを何の疑いもなく信じこんでしまいます。   それらはたんに、「自分の勝手な空想だ」「でっちあげだ」ということがわかりません。   それは実際、事実とは違うイメージや予測であり、決してほんとうのことではないのです。   真実ではないことを信じることによって、自分で自分を苦しめてしまいます。     ものごとにはもともと、「意味」というものはついてはいません。「ただ、そのように起こっている」だけなのです。   「意味」とは誰かによって与えられるものであり、ものごとを解釈するモノサシとなります。   そのモノサシが悲惨であれば、ものごとは悲惨なものとなり、モノサシが楽観的であれば、楽観的なものとなるのです。   つまり、自分で自分を怯えさせることもできれば、自分を希望で満たすこともできるのです。   どちらを選ぶこともでき、自分のこころが取り入れた考えを私たちは目にすることになります。   それが、私たちのこころのパワーです。   それならば、見たいものだけを自分の判断として選ぶことです。     自分で自分を混乱させたり、怯えさせないための解決策は・・・つねに「こころを安らかに保っておくこと」です。   といっても、考えは良いものも悪いものも次から次へと勝手に浮かんでくることでしょう。   ただ、勝手に湧いてきては消えゆくものに対して、積極的に関わることはやめましょう。   考えが現れたことに気づいたら、即座に反応することはせず、ただほっておきます。それらを通りすぎさせてあげるのです。   「それは問題だ!」と大騒ぎしないかぎり、それは問題とはなりえないのです。   湧いてきた考えに反応せず、さらなる思考に巻きこまれることがなければ、それらはただ静かに消えて行きます。   あることをずっと考えつづけることの方が努力のいる作業であり、相当なエネルギーを消費するものなのです。   どうしても自分の思考が気になってしまうのなら、ラジオやテレビのボリュームを下げるように、イメージで思考の音量ツマミを回すか、あるいはリモコンのボタンを下げるなど、実際にその動作をしてみましょう。   自分がその「音」を調整していることを思い描くことで、実際に思考の音量を下げる感覚が得られます。     目のまえのものごとに対して、自分自身が川縁に立って、静かに流れを眺めているようなイメージをしてみるのもいいでしょう。   目の前の流れにただ身を任せるように、ものごとを受け入れ、過剰に反応しないこと。これによって、あなたのこころは次第に静けさを取り戻します。   自分が見ている画面から数歩後ろにさがるようなイメージをしてみます。古い映像を眺めているように、少し俯瞰して見るのです。   自分が出来事に積極的に関与し、右往左往するのではなく、ものごとが自然と流れゆき、いちばんよい落としどころにおさまってゆことをイメージし、信頼してみましょう。   それは、誰にとってもベストな落としどころなのです。   そして、こころに静けさをとりもどすことで、この静けさがものごとすべてに反映されます。そして、それらを正しく解決してくれることを信頼してみましょう。くつろいで成り行きにまかせるだけでよいのです。   かならずや、「これがいちばんよかった」という納得の結果を目にすることができるはずです。

    11 min
  7. JAN 26

    Vol.024 頑張って解決しようとしない ~注意のコンセントを抜きましょう~

    私たちの目にするすべて、体験するすべては、私たちのこころが紡ぎ出している映像の世界です。   私たちは自分のこころの中から投影された世界を生きているのです。   しかし、自分が生み出しているものを目にしているわりには、気に入らないものばかりだ・・・と感じてしまうかもしれません。   それは、こころのなかの癒されていない怖れや罪悪感を、外へと映し出してしまうからなのです。   さらに、その映し出されたものに対して自らが抵抗して闘ってしまうとき、私たちはそれらをさらにリアルでパワフルなものにしてしまいます。自分で自分を脅かすということが起こってしまうのです。   抵抗するということはまさに、抵抗している対象にエネルギーを注入することになるので、それは自分にとってまぎれもなく現実と感じられ、支配力があるように思われるのです。   その不快さから逃れるため、それらを変えようと頑張るとき、その好ましくない状況にさらに力を与えることになってしまいます。すると、その状況からなかなか脱することができなくなってしまうのです。   好ましくない状況に消え去って欲しいのであれば、取るべき行動はただひとつだけです。   それは、目のまえで扉をバタンと閉めてしまうこと。それとかかわらないこと。無視してしまうことなのです。   無視することで、それらをリアルにしていた抵抗のエネルギーが断ち切られ、エネルギーを失ったものは目のまえから消えてゆくことになります。   私たちはついつい、気に入らないものに対して闘ってどうにかするという姿勢をとりがちです。コントロールこそが解決策だと信じているからです。   ほんとうの解決策は、それを存在させている注意というエネルギーのコンセントをただ抜いてしまうことなのです。   気に入らないものに対して、ドアをぴしゃりと閉めてかかわらないこと、反応しないこと、注意を向けないことが大切です。     赤ちゃんがなかなか泣きやまないとき、くるくる回る玩具やヘンな音が出るもので気をひくと、赤ちゃんの注意は即座にそれらにクギづけになり、ピタリと泣きやむということが起こります。   注意は、中途半端に分散しておくことができないのです。向けられる先は、ひとつだけなのです。   大人でも、体に痛みを感じているとき、思わず引きこまれるような映画を観たり、美味しいものを口にしたりすると、痛みのことはすっかり忘れてしまったりします。   自分が望まないものは、抵抗や闘いによってどうにかしようとするのではなく、ただこのような注意の転換を使うことがポイントになります。   望まないことに対する注意を遮断すべく、ただ注意のコンセントを抜いて無反応状態を作り出しましょう。すると、それらはしだいに消えてゆくことができるのです。     ふだんの生活のなかでも、目のまえにあらわれるものごとに対して次から次へと反応するのではなく、少し身を引いて画面全体をふんわりとながめることが大切です。   世界や出来事に対していちいち意見をしたりジャッジしたりしないで、無反応を作り出します。   それは、穏やかで安らかな無関心の状態です。ひとつを掴むことなく、全体をふんわりと見ているだけです。   自分というエゴが世界に反応して、抵抗したり、コントロールしようとしなければ、人生にはある流れが存在していることに気がつくかもしれません。   それは、もともとそこにある法則であり、宇宙の秩序そのものです。   その法則は、自分ひとりで頑張る必要はなく、すべてのことにおいて面倒を見てくれる愛そのものなのです。   どんなふうに面倒を見てもらえるかは、それを体験してみないことにはわかりません。必ずやその答えやそのなりゆきに、ちょっとびっくりしながらも、満足することになるでしょう。   私たちが何かに反応して、それを掴んだり取っ組み合ったりしなければ、その愛の法則が現れて、解決に向かって穏やかにリードしてくれます。   私たちがするべきことは、ただ安心してリラックスしてながら画面の後ろに下がり、「いったいこれはどのように解決されるのだろう?」と面白がりながら、静かに見守っていることです。   毎回示されるその結果そのものが、ゆるぎない流れへの信頼を培ってくれることでしょう。

    10 min
  8. JAN 12

    Vol.023 不足、欠乏という錯覚 ~しまわれていた贈りもの~

    ちょっとオシャレをしてお出かけしたいとき、ふだん開けることのないアクセサリーの引き出しをゴソゴソします。   すると、「こんなの持っていたのね!あんなのも!」と、お蔵入りしてすっかり忘れ去られていたアクセサリーの数々に出会います。   「こういうの、買おうと思っていた♪」「これも使えるし、あれも使える♡」」と、引き出しを開けるまでは「無かった」はずのものに驚かされ、豊かさを感じることができます。   しまっておくと目につかなくなり、目につかなければ無きものとなります。それらを「もっていない人」になってしまうのです。   しまっておいて使わないことは、それらを失うことと同じなのです。   これは、私たちのこころのなかにある「贈りもの」の引き出しについても言えることです。   私たちはこころのなかに、すでに十分な「贈りもの」が与えられています。贈りものはそこに存在しているのです。   しかし、取り出して使うことがなければ、それは「まったく存在しないもの」になってしまうのです。   実際、私たちの人生における宝探し、それは豊かさであったり、才能であったり、幸せであったり、愛であったりさまざまですが、つねに外の世界へと取りに向かいます。   引き出しのなかにあるものを忘れて「足りない、足りない!」とお店へ走るのと同じように、私たちはつねに「不足」の思いを抱えて外へと調達に走るのです。   しかし、「足りない」と大騒ぎをするまえに、まずはいちばん身近なところ、それは自分自身のこころそのものなのですが、そこをオープンにすることが最善策である、ということを忘れています。忘れているというよりは、知らないのです。   自分のこころの深いところにある引き出しは、自分が望むすべてで満たされ、輝き出すのを待っています。   それらは宇宙とひとつなので無尽蔵です。 自分が望むあれこれについて、つい外へ外へと走り出す衝動をおさえてみましょう。そして、それがすでに自分の内側に存在していることを信頼してみましょう。   そこにはあらゆる「贈りもの」が眠っていて、それらは引っ張り出せば出すほど無限に供給されるのです。   しかし、自分で気づかなければ、それを「無きもの」にすることもできます。   その引き出しの存在に気づき、中身をひっぱり出すこと、つまり「表現する」ことによって、自分でもはじめて「私にはある!」という体験、「私はすでに大丈夫だ!」という気づきをえることができます。   それらを表現することは、すでに持っていることを知る作業なのです。   「私にはない」と決めてしまえば、自分のその決断によって「ない」私になることもできます。あるいは、「ある」という確信とともにそれを表現すれば、「ほんとうにあった!」と実感することもできるのです。 「いつか、こんな私になりたい!」とこころに決めるとき、それはポジティブな決意のように聞こえますが、足りないという自分から出発するため、どこまでいっても足りない自分から脱することができません。   また、未来に期待しているので、すべてを解決することができる「今」のちからをないがしろにしています。   「今はないけれど、頑張っていつかは手にする」という考えは、たった今、自分のこころのなかに存在している宝ものをなきものにしてしまう考えなのです。自分が「ない」と決めたものは、どこまでいっても「ない」からです。   それならば、「それらはすでにある!」と信じて(実際そうなのですから)、そうなった自分を表現し、そうなった自分から周りに与えてみましょう。   愛がほしいなら、自分が愛になってみる。優しさがほしいなら、自分が優しさになってみる。豊かさがほしいなら、自分が豊かさの源であるように表現してみる。   そうしているときに、即座に自分がそうであることを実感することができます。   私たちは引き出しにしまいこんだものはやすやすと忘れ去り、欲しいものを求めて外へとまっしぐらに走りだします。それが欲しいものを得るためのたった一つの方法だと信じているからです。   そして、自分の引き出しのことは一生思い出さないのです。   ただまっすぐに内側へ向かい、「すべてがしまいこまれている引き出しから、表現してみる」・・・ほんとうは、それだけでよいのです。   表現することそのものが呼水となり、自分のなかにある豊かさの記憶がよみがえりはじめます。   そして、自分の気持ちや、目に映る世界が、自分が望んだ色合いに変わっていくことに気づくことでしょう。

    10 min

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