序)ヨハネの黙示録にある「28」
・イエス様を象徴する「子羊」が 28 回使われる。
・28=4(世界)×7(完全)で全世界を満たすという象徴数。
1)22 章の美しい光景の意味
・「まもなく彼方の流れの傍で」(教会福音讃美歌 336「川辺を歩めば」)で歌われるが、天国(あの世)の描写ではない。
・「もはや、のろわれるものが何もない」とは、以前には「のろわれるものがあった」ことを示唆する。この光景は地上の贖われた姿である。
・「いのちの水の川」は「神と子羊の御座(単数)」から出るゆえに聖霊の象徴である。一つの御座は神の国の中心を象徴し、ここに神、子羊、いのちの水(聖霊)という三者が関与する、三位一体が表現されている。
2)いのちの水で生かされる礼拝
・黙示録は、礼拝の濁り(偶像礼拝、教えの混乱)を問題にしている。いのちを奪う礼拝ではなく、いのちを与える礼拝に回復することが、世界の回復につながる。謙虚に礼拝の回復を続けていくことが重要。
・現代の教会に入り込んでいるのは「天国止まりの福音」。これが先鋭化するとグノーシス主義の現代版になる。これは異教との混交やカルトの温床になるし、教会の存在意義も曖昧になり、聖書理解を歪める。
・いのちの水は「都の大通り」を流れるとは、聖霊の恵みが公に開かれたものであることを示す。神との交わりをすべての人に開く努力が必要。
3)いのちの水からいのちの樹へ
・「いのちの樹」は聖霊によって生かされる人間の象徴である。詩篇 92:12
・神様から離れた人間は「草」に象徴される(イザヤ 40:6-8)。聖霊によって生かされるなら他者に永遠のいのちを与える(創世記 3:22)ことができるようになる。葉による癒しは、正気に戻すことである。
・黙示録の主題は教会共同体(22:16)であり、聖書は人間を個人と同時に共同体として「ひとり」と数えるゆえに、この樹は教会の象徴。
・この幻の下敷きはエゼキエル 47:12 で果樹は多様であることがわかる。
結)たんぽぽの樹を育もう
・3 節後半から動詞は未来形になり、神の国の完成の約束が描かれる。逆に言うと 1 節~3 節は現在形であり、私たちが関われる部分である。
情報
- 番組
- 頻度アップデート:毎週
- 配信日2025年9月7日 1:00 UTC
- 長さ37分
- 制限指定不適切な内容を含まない