林芙美子 新版放浪記 第一部

林 芙美子 放浪記第一部 その3

参照テキスト:青空文庫図書カード№1813

音声再生時間:37分30秒

再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら

        *

(十一月×日)
 浮世離れて奥山ずまい、こんなヒゾクな唄にかこまれて、私は毎日玩具(おもちゃ)のセルロイドの色塗りに通っている。日給は七十五銭也の女工さんになって今日で四カ月、私が色塗りをした蝶々のお垂(さ)げ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃はどこへ散乱して行っていることだろう――。日暮里(にっぽり)の金杉(かなすぎ)から来ているお千代さんは、お父つぁんが寄席の三味線ひきで、妹弟六人の裏家住いだそうだ。「私とお父つぁんとで働かなきゃあ、食えないんですもの……」お千代さんは蒼白(あおじろ)い顔をかしげて、侘しそうに赤い絵具をベタベタ蝶々に塗っている。ここは、女工が二十人、男工が十五人の小さなセルロイド工場で、鉛のように生気のない女工さんの手から、キュウピーがおどけていたり、夜店物のお垂げ止めや、前芯(まえしん)帯や、様々な下層階級相手の粗製品が、毎日毎日私達の手から洪水の如く市場へ流れてゆくのだ。朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカのような色をしたセルロイドの蝶々や、キュウピーでいっぱいだ。文字通り護謨臭い、それ等の製品に埋れて仕事が済むまで、私達はめったに首をあげて窓も見られないような状態である。事務所の会計の細君が、私達の疲れたところを見計らっては、皮肉に油をさしに来る。
「急いでくれなくちゃ困るよ。」
 フンお前も私達と同じ女工上りじゃないか、「俺達ゃ機械じゃねえんだよっ。」発送部の男達がその女が来ると、舌を出して笑いあっていた。五時になると、二十分は私達の労力のおまけだった。日給袋のはいった笊(ざる)が廻って来ると、私達はしばらくは、激しい争奪戦(そうとう)を開始して、自分の日給袋を見つけ出す。――夕方、襷(たすき)を掛けたまま工場の門を出ると、お千代さんが、後から追って来た。
「あんた、今日市場へ寄らないの、私今晩のおかずを買って行くのよ……」
 一皿八銭の秋刀魚(さんま)は、その青く光った油と一緒に、私とお千代さんの両手にかかえられて、サンゼンと生臭い匂いを二人の胃袋に通わせてくれるのだ。
「この道を歩いている時だけ、あんた、楽しいと思った事ない?」
「本当にね、私吻(ほっ)とするのよ。」
「ああ、でもあんたは一人だからうらやましいと思うわ。」
 美しいお千代さんの束ねた髪に、白く埃がつもっているのを見ると、街の華やかな、一切のものに、私は火をつけてやりたいようなコウフンを感じてくる。

(十一月×日)
 なぜ?
 なぜ?
 私達はいつまでもこんな馬鹿な生き方をしなければならないのだろうか? いつまでたっても、セルロイドの匂いに、セルロイドの生活だ。朝も晩も、ベタベタ三原色を塗りたくって、地虫のように、太陽から隔離された歪(ゆが)んだ工場の中で、コツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取されている。若い女達の顔を見ていると、私はジンと悲しくなってしまう。
 だが待って下さい。私達のつくっている、キュウピーや蝶々のお垂げ止めが、貧しい子供達の頭をお祭のように飾る事を思えば、少し少しあの窓の下では、微笑(ほほえ)んでもいいでしょう――。

 二畳の部屋には、土釜(どがま)や茶碗や、ボール箱の米櫃(こめびつ)や行李(こうり)や、そうして小さい机が、まるで一生の私の負債のようにがんばっている。ななめにしいた蒲団の上には、天窓の朝陽がキラキラ輝いていて、埃が縞のようになって私の顔の上へ流れて来る。いったい革命とは、どこを吹いている風なのだ……中々うまい言葉を沢山知っている、日本の自由主義者よ。日本の社会主義者は、いったいどんなお伽噺(とぎばなし)を空想しているのでしょうか?
 あの生れたての、玄米パンよりもホヤホヤな赤ん坊達に、絹のむつきと、木綿のむつきと一たいどれだけの差をつけなければならないのだろう!
「あんたは、今日は工場は休みなのかい?」
 叔母さんが障子を叩きながら呶鳴(どな)っている。私は舌打ちをすると、妙に重々しく頭の下に両手を入れて、今さら重大な事を考えたけれど、涙が出るばかりだった。
 母の音信一通。
 たとえ五十銭でもいいから送ってくれ、私はリュウマチで困っている。この家にお前とお父さんが早く帰って来るのを、楽しみに待っている。お父さんの方も思わしくないと云うたよりだし、お前のくらし向きも思う程でないと聞くと生きているのが辛いのです。――たどたどしいカナ文字の手紙である。最後に上様ハハよりと書いてあるのを見ると、母を手で叩きたい程可愛くなってくる。
「どっか体でも悪いのですか。」
 この仕立屋に同じ間借りをしている、印刷工の松田さんが、遠慮なく障子を開けてはいって来た。背丈が十五六の子供のようにひくくて髪を肩まで長くして、私の一等厭なところをおし気もなく持っている男だった。天井を向いて考えていた私は、クルリと背をむけると蒲団を被ってしまった。この人は有難い程親切者である。だが会っていると、憂鬱なほど不快になって来る人だ。
「大丈夫なんですか!」
「ええ体の節々が痛いんです。」
 店の間では商売物の菜っ葉服を小父さんが縫っているらしい。ジ……と歯を噛(か)むようなミシンの音がしている。「六十円もあれば、二人で結構暮せると思うんです。貴女の冷たい心が淋しすぎる。」
 枕元に石のように坐った松田さんは、苔(こけ)のように暗い顔を伏せて私の顔の上にかぶさって来る。激しい男の息づかいを感じると、私は涙が霧のようにあふれて来た。今までこんなに、優しい言葉を掛けて私を慰めてくれた男が一人でもあっただろうか、皆な私を働かせて煙のように捨ててしまったではないか。この人と一緒になって、小さな長屋にでも住って、世帯を持とうかしらとも思う。でもあんまりそれも淋しすぎる話だ。十分も顔を合せていたら、胸がムカムカして来る松田さんだった。
「済みませんが、私は体の工合が悪いんです。ものを言うのが、何だかおっくうですの、あっちい行ってて下さい。」
「当分工場を休んで下さい。その間の事は僕がしますよ。たとえ貴女が僕と一緒になってくれなくっても、僕はいい気持ちなんです。」
 まあ何てチグハグな世の中であろうと思う――。
 夜。
 米を一升買いに出る。ついでに風呂敷をさげたまま逢初(あいぞめ)橋の夜店を歩いてみた。剪花(きりばな)屋、ロシヤパン、ドラ焼屋、魚の干物屋、野菜屋、古本屋、久々で見る散歩道だ。

(十二月×日)
 ヘエ、街はクリスマスでございますか。救世軍の慈善鍋(じぜんなべ)も飾り窓の七面鳥も、新聞も雑誌も一斉に街に氾濫(はんらん)して、ビラも広告旗も血まなこになっているようだ。
 暮だ、急行列車だ、あの窓の風があんなに動いている。能率を上げなくてはと、汚れた壁の黒板には、二十人の女工の色塗りの仕上げ高が、毎日毎日数字になって、まるで天気予報みたいに私達をおびやかすようになってきた。規定の三百五十の仕上げが不足の時は、五銭引き、十銭引きと、日給袋にぴらぴらテープのような伝票が張られて来る。
「厭んなっちゃうね……」
 女工はまるで、ササラのように腰を浮かせて御製作なのだ。同じ絵描きでも、これは又あまりにもコッケイな、ドミエの漫画のようではないか。
「まるで人間を芥(ごみ)だと思ってやがる。」
 五時の時計が鳴っても、仕事はドンドン運ばれて来るし、日給袋は中々廻りそうにもない。工場主の小さな子供達を連れて、会計の細君が、四時頃自動車で街へ出掛けて行ったのを、一番小さいお光ちゃんが便所の窓から眺めていて、女工達に報告すると、芝居だろう