コンテンツ過剰接続

私はこーへ / キムラ

番組概要: 様々なポップカルチャーと世の中の接続を過剰に受信する𝑪𝒖𝒍𝒕𝒖𝒓𝒆 𝑮𝒂𝒏𝒈 𝑹𝒂𝒅𝒊𝒐 ハッシュタグは#過剰接続でお願いします! また、note( https://note.com/c_overconnection )にて打合せの模様や編集後記を公開中! 番組の感想・あなたのおすすめコンテンツを常に募集中! 回答はGoogleフォームリンクから → https://forms.gle/Es4tnBXoADvjrK9P9 詳細: コンテンツがあり、ファンダムがいて、考察がある。そんな昨今のカルチャー状況の中、どこにも行かずPOPの中に踏みとどまり、アレとコレとを接続し、その先を見出す。『コンテンツ過剰接続』は全身全霊で音楽、映画、アニメ、美術、その他諸々を摂取するあなたをカルチャーギャングへ導きます。この番組を聴取した先に、あなたの日々の文化的生活の価値転倒、「よくわかんないけど、なんかわかった!」の発現があったりなかったりすることでしょう。 Twitter: 私はこーへ( https://x.com/minicoolkohe ) キムラ / Kimura( https://x.com/kimu_ra10 ) 連絡先(ご依頼など): contents.overconnection@gmail.com

  1. 5日前

    #12 特集:日本(前半)『鬼滅の刃』と参政党

    今回は、特集「日本」と題しまして、現在映画が大ヒット公開中、今や国民的コンテンツに成長を遂げた『鬼滅の刃』、そして先の参院選で獲得議席数を大きく伸ばし、今日の日本の政局の行方を握ると言っても過言ではない新興政党・参政党について、それぞれの特徴や思想から見える共通点を探りながら、「日本」という国の特殊さや複雑さについて探っていきます。 『鬼滅の刃』で炭治郎が所属する「鬼殺隊」。人喰い鬼を狩る力を有した剣士、そしてその剣士を支える者達が集まった政府非公認の組織である鬼殺隊は、物語を通して、人々の生活を守る、絶対的な「正義」の側として描かれます。その名のごとく鬼を殺す隊であるのだから、ごく自然のことでしょう。 「参政党」に目を向けると、彼らは「日本の国益を守り、世界に大調和を生む」という理念、日本の利益や国民を優先する「日本人ファースト」という思想を掲げながら政治活動を行っています。「ここは日本なのだから、日本に住む日本人が最も尊重されるべきだ」というのも、額面通り受け取れば真っ当な言い分なわけですし、何より”政”治に”参”加する”党”というネーミングの分かりやすさには、大衆の興味関心を惹き付ける力があります。ここ数年間まさしく政治に参加することの正しさを訴え続けてきたリベラル左派のコマーシャルキャンペーンのスローガンを、ほとんどそのまま党名に冠するというアイデアは、非常に狡知に長けたものだと唸ってしまいます。 「鬼殺隊」と「参政党」。両者ともそれぞれの目的意識が判然とした名前のもとに、前者の場合は読者、後者は有権者に対して、「わたしたちこそが正義であり、あいつらは敵である。だから必ず成敗しなければならない」と人々を扇動します。 しかしどうでしょう。かつて、中島みゆきが「君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる」と歌っていたように、人は自分の愛するものや、それを失った復讐のためとあれば、いとも簡単に悪に成り変わることができます。貧困、他人への憎悪、嫉妬や妬み...によって、あっという間に自分が自分でなくなっていく。鬼舞辻無惨を討伐し、自分にとっての復讐が完了した炭治郎は、倒した敵の悪性に取り憑かれ、とうとう鬼と化してしまったわけです。そのような最悪の事態に陥る前に、あなたの頬を張り倒してくれる本当の友人や家族が、あなたの周りには居ますか?自信をもって「はい」と答えられる人はそう多くないはずです。人間同士の関係というものは、極めて不安定かつ繊細な糸のようなもので、誰かひとりが自らの利する方へと無理に手繰り寄せた途端、その糸はいとも容易くぷつんと切れてしまう。血のつながりがあろうがなかろうが、それは変わりません。 炭治郎は、そして参政党は、本当に「正義」たりえているのか?彼らがいうところの「鬼」は、本当に「悪」なのか?何のために、何を犠牲にして、何を守りながら、何と戦おうとしているのか。そんなあらゆる立場の人々のことについて考え、思いを巡らすこと。あらゆる思想や言説が加速主義に突入している現在だからこそ、もう一度糸を弛ますこと。 もしかしたら、あなたはもう既に鬼になってしまっているのかもしれません。今回はあなたにそのことに気づいてもらうための特集でもあります。ぜひとも、鬼になる前の、ありのままだった頃の自分の姿を、もう一度思い出してみませんか。 ※追記:収録日時点では続投の意思を表明していた石破首相が、8月7日の15時14分、辞任の意向を固めたという速報が入ってきました。ちょうどこの概要文を書いていた最中ということもあり、複雑な心境ではありますが、しかし「日本」について語ったこのポッドキャストを配信するには、この上なく絶好のタイミングです。我々二人はことごとく運やタイミングに恵まれていて、それだけでも、すごく実感をもって活動することができています。喋ったり、笑ったり、叫んだり、ワクワクします。全部新鮮です。どんな絶望にもまして、この楽しさこそが、我々がポッドキャストを録る理由なんだって、今、はっきり理解できました。

    53分
  2. 8月30日

    #11 特集:サマソニ(後半)『サマソニとキュレーション』

    今回の特集は、『SUMMER SONIC 2025』です。来年には25周年を迎える通称サマソニは、都市型音楽フェスティバルとして、日本最大級の野外ロック・フェスティバルであるフジロックと共に日本の洋楽アクトを大規模に招集する夏フェスの二大巨頭として、その役割を担い、お互いが歴史を積み重ねてきました。だからこそ、定点観測することによって日本の音楽産業(洋楽の隆盛状況)そのものを見通すことが出来る、音楽ファンならば無視することのできないイベントとなっています。 そんな中、この両者のラインナップを通して発せられるシグナルは近年、より異なったものになってきています。特に今回僕ら2人が参戦してきたサマソニは、2010年代後半から”ロックフェス”であることから離れ(元々サマソニはそのようなオールジャンルを指向する”都市型音楽フェスティバル”でしたが)、HIPHOPやEDM、そしてK-POPや日本のアイドルを大胆にラインナップに加えていくようになりました。そして、僕ら2人はだからこそ、2010年代後半に上京してから、毎年サマソニを選択しているのだと思っています。 この、フジロッカーと呼ばれるフジロック愛好家を毎年生み出し固定客を掴んでいるのとは対照的に、誰もサマソニストを自認しない、毎年観客の傾向がラインナップによって流動し、都市で行われ毎年「反省と改革」を結局はどのフェスよりも行い、その形を変え続けているのがサマソニであると思います。だからこそ、2018年にまだ当時「ocean eyes」で世界に姿を現し始めたばかりのBillie Eilsishが出演するなど、そのビジョナリーさをいかんなく発揮してきました。Billie Eilsishは、裏で同日にスペシャルワンとしてサマソニ対ビリーの構図で語られる単独公演を開けるまでに成長しました。そして、今年のラインナップにもそのようなアーティストを満杯ではないメインステージではない状態で私たちは目撃できたかもしれません。 そんな、大文字の”東京”をどこよりも体現しているサマソニを通して、今の音楽の動向だけでなく、都市のダイナミズムまでも感じることができる。今を生きている人々が何を眼差しているのか?までも、見通すことが出来てしまう。それこそが、サマソニの1番の特徴なのではないかと考えています。そんなことを考えながら、今年のサマソニの振り返りを是非一緒にしていきましょう。

    53分
  3. 8月23日

    #10 特集:サマソニ(前半)『サマソニとNEW KAWAII』

    今回の特集は、『SUMMER SONIC 2025』です。来年には25周年を迎える通称サマソニは、都市型音楽フェスティバルとして、日本最大級の野外ロック・フェスティバルであるフジロックと共に日本の洋楽アクトを大規模に招集する夏フェスの二大巨頭として、その役割を担い、お互いが歴史を積み重ねてきました。だからこそ、定点観測することによって日本の音楽産業(洋楽の隆盛状況)そのものを見通すことが出来る、音楽ファンならば無視することのできないイベントとなっています。 そんな中、この両者のラインナップを通して発せられるシグナルは近年、より異なったものになってきています。特に今回僕ら2人が参戦してきたサマソニは、2010年代後半から”ロックフェス”であることから離れ(元々サマソニはそのようなオールジャンルを指向する”都市型音楽フェスティバル”でしたが)、HIPHOPやEDM、そしてK-POPや日本のアイドルを大胆にラインナップに加えていくようになりました。そして、僕ら2人はだからこそ、2010年代後半に上京してから、毎年サマソニを選択しているのだと思っています。 この、フジロッカーと呼ばれるフジロック愛好家を毎年生み出し固定客を掴んでいるのとは対照的に、誰もサマソニストを自認しない、毎年観客の傾向がラインナップによって流動し、都市で行われ毎年「反省と改革」を結局はどのフェスよりも行い、その形を変え続けているのがサマソニであると思います。だからこそ、2018年にまだ当時「ocean eyes」で世界に姿を現し始めたばかりのBillie Eilsishが出演するなど、そのビジョナリーさをいかんなく発揮してきました。Billie Eilsishは、裏で同日にスペシャルワンとしてサマソニ対ビリーの構図で語られる単独公演を開けるまでに成長しました。そして、今年のラインナップにもそのようなアーティストを満杯ではないメインステージではない状態で私たちは目撃できたかもしれません。 そんな、大文字の”東京”をどこよりも体現しているサマソニを通して、今の音楽の動向だけでなく、都市のダイナミズムまでも感じることができる。今を生きている人々が何を眼差しているのか?までも、見通すことが出来てしまう。それこそが、サマソニの1番の特徴なのではないかと考えています。そんなことを考えながら、今年のサマソニの振り返りを是非一緒にしていきましょう。 ここはNEW KAWAIIの国 見てる阿呆より踊る阿呆に さ、アップデートしよ? (訂正:sombrの話でScritti Polittiの名前を出してますが、正しくはThe Durutti Columnです)

    1時間29分
  4. 8月12日

    #9 特集:メロクロ〜My Melody & Kuromi Summer〜

    今回の特集は、先日Netflixで配信が開始されたストップモーションアニメ作品『My Melody & Kuromi』です。2025年はマイメロディが50周年、クロミが20周年のアニバーサリーイヤー。そんな長年親しまれてきた「メロクロ」の2人を描いた本作ですが、皆さんはもうご覧になられましたか?「どうせ子供向けアニメでしょ?」などと高を括ってらっしゃる方々、是非とも今すぐ観てください。 今作「メロクロ」の素晴らしいポイントは、優しく朗らかな性格のマイメロディと、自分の心に正直なクロミのふたりの性格と関係性をそのまま忠実に取り入れながら、その上で現代の我々がまさに直面している社会の問題や病理についてもきちんとと描いているところです。脚本を担当した根本宗子はインタビューで「今作ではマイメロとクロミの二人の関係性をもとに、"対立の先にある優しさ”を描いた」と語っています。他者を見てつい欲望や嫉妬を抱えてしまうこと、そんな欲望や嫉妬にここぞとばかりに漬け込んでくる存在がいること、その結果、思いもしなかった誰かを傷つけてしまうこと。そんな幾度も繰り返し続ける失敗を、果たして我々はどうやって乗り越えていけばよいのか。混沌を極めるいま、改めて考え直さねばならない非常に重要なテーマを、わかりやすく簡潔に、しかしどこまでも深く描いているのが本作なのです。 株式会社サンリオの創始者である辻信太郎は「人々がお互いに思いやりを持ち、仲良く暮らせるコミュニティ(集団)を作りたい」と語ります。第二次世界大戦時中、甲府空襲を経験した辻は、その悲惨な経験をもとに、「みんなが仲良くなるにはどうしたらいいだろう?」「どうしたら平和な世界になるんだろう?」と考え続け、その願いや祈りのもとに、サンリオは今日まで様々なキャラクターやコンテンツを生み出してきました。みんなが少しでも楽しく仲良く暮らすために、サンリオから、そしてこの「メロクロ」から学ぶべきことがいくつもあると思うわけです。 日本の夏は暑くなりすぎて、最近では日中にあまり蝉が鳴かなくなりました。当たり前だったことは当たり前じゃなくなり始めていて、我々は少しずつ何かを忘れていきながら、そのくせ大して大事でもないことを一生懸命に頭に詰め込み、せっせせっせと日々を生きています。人間として本当に大切な何かを失ってしまう前に、かけがえの無い喜びや悦楽とは何か?それを「メロクロ」から教わることにしましょう。 ※サンリオHPより『いちご新聞8月号|いちごの王さまからのメッセージ』https://www.sanrio.co.jp/news/goods/strawberrynews-message-202508/

    52分
  5. 8月5日

    #8 特集:村田沙耶香(後半)『世界99』と『エブエブ』

    本パートから本格的に『世界99』の世界を読み込んでいきます。我々が特に重要だと思うのが、下巻における空子と白藤の関係性の変異であり、この2人の言動を観察していると「もしもあの人混みの前で君の手を離さなければ / もしも不意に出たあの声をきつく飲み込んでいれば」と思わずにはいられない場面がいくつもある。もっとこうしていればあんなことにはならなかったんじゃないか...と。思想も境遇も全く違う人間どうしの不和を解決するためには一体何が必要なのか? その答えを映画『エブエブ(エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス)』から見つけていきたいと思います。『世界99』と『エブエブ』、どちらも「家族」ひいては「母娘関係」をテーマの中心に扱った作品であり、そのうえ主人公が多層的な世界を複雑に横断していくという共通点もあります。家族という切っても切れない深い絆、が時にもたらす重責と業。21世紀において「血」や「家族」といった逃れられない束縛(システム)は、我々の想像をはるかに超えるレベルでこの世界を動かす基盤として機能しており、それは「世襲」をもとに歴史を積み重ねながら、長きにわたって我々日本人の熱狂の中心に存在し続ける「政治」や「芸能」のあり方をみても明白です。その事実について我々はもっと真剣に考える必要がある。『世界99』と『エブエブ』この2作品をじっくりと参照することで、きっとこの現代社会を生き抜いていくための手引きが見つかるはずです。

    1時間25分
  6. 7月20日

    #7 特集:村田沙耶香(前半)『世界99』と『エブエブ』

    今回の特集は村田沙耶香の小説『世界99』です。 上下巻合わせて900ページ近い超大作であるこの作品には、私たち読者が日頃から無意識に受け入れている「正しいこと」「普通のこと」といった常識を、根本から揺さぶる圧倒的な強さがあります。この物語の登場人物たちの行動や思考が、一見すると異常でありながら、その異常こそが現代社会の規範が持つ矛盾や欺瞞がありありと露呈してゆく。この物語を読む私たちは、何が「普通」で、何が「異常」なのかという根源的な問いを突きつけられることになります。 この衝撃を我々はどう受け止めればよいのか。ここで「過剰接続」の出番です。 今回はA24の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(エブエブ)』という映画を引き合いに出しながら、両作品に共通する事項について、つまりは「家族観」や「多様な選択の可能性」といったトピックを中心に考えていきます。 『エブエブ』におけるマルチバースという設定によって、主人公エヴリンは「もしあの時こうしていたら…」という無数の可能性を目の当たりにします。カンフーマスター、映画スター、ソーセージの指を持つ人間など、様々な「あり得たかもしれない自分」を経験することで、彼女自身のアイデンティティが揺らぐことになります。このアイデンティティの揺らぎによってエブリンは自身の中の多様さ、複雑さを受け入れていく過程が描かれます。 『世界99』も『エブエブ』も、両者ともに、現代社会では当たり前となった感覚やシステムを揺さぶり、それによって発生したカオスの中から新たな意味を見出すという点で、非常に重要な作品であるということを訴えたいと思います。 今回も重いテーマになりますが、どうぞ最後までお付き合いください。

    51分
  7. 7月5日

    #6 特集:狂気(後半) カニエ・ウェストとミン・ヒジン

    ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』という映画があります。物語の舞台は1965年9月のはじめ、ニューイングランドの架空の島。子供たちの冒険と成長、そして大人たちの混乱を描いたオフビートなコメディ映画なのですが、ここで注目したいのは、周囲の大人たちが子供たちに向ける多種多様な視線です。とある親は子を過保護に心配し、またある親は問題児である我が子に愛想を尽かして無関心な態度を見せる。何よりも主人公であるサムが孤児であるということ。どの子供たちも複雑で/ある種無責任で/欠落した視線を大人たちから向けられている。そんな中、彼らは野山に集い、テントを張って共に生活をします。「血のつながっていない家族」のひと夏の物語。 ”君は覚えてるかな?9月のあの夜のこと” “互いの愛が、噓つきな僕らの心を変えていったこと” “まるで雲を追い払うみたいに’ (Earth, Wind & Fire / September)  もうひとつ。タイカ・ワイティティの傑作『ジョジョ・ラビット』について話しましょう。舞台は1940年代、第二次世界大戦末期のドイツ。10歳の少年ジョジョ・ベツラーは、熱心なヒトラーユーゲント(ヒトラー青年団)のメンバー。彼は空想上の親友として、頭の中のコミカルで陽気で狂気的なヒトラーと会話しながら日々を過ごしています。ジョジョはヒトラーユーゲントのトレーニングを経て優秀な兵士になることを夢見ていましたが、ウサギを殺すことができず、「ジョジョ・ラビット」というあだ名をつけられ、ついには怪我で訓練キャンプを追放されてしまう。そんな彼はある日ユダヤ人のエルサと出逢います。彼はエルサの話を聞いたことで、自身の「ユダヤ人に関する知識」が全てデタラメであることに気づきます。そして何よりも彼を救ったのは母ロージーの存在。彼女はジョジョに希望や愛情だけでなく充実した教育を与えます。「感性とはなにか?」を知ったジョジョ。しかしロージーは反戦活動に関わった結果、処刑されてしまいます。母を喪失という絶望を糧に、彼はエルサと2人で未来へと歩いていくことを決意する。この作品は、国や大人たちが動かす邪悪で強大なシステム、イデオロギーや信仰にどっぷりと支配されてしまっていた「子ウサギ」が、母や友、師の支えや教えを受けながら、戦禍の中で自らの意志を掴み取り、成長してゆく物語であるということです。 “君が泳げたらな” “イルカのように イルカが泳ぐように” “どんなに引き離されそうになっても” “僕らはやつらを打ち倒せる、いつまでも、何度でも” “僕らは英雄になれる、一日だけならば” (David Bowie / Heros)  今挙げた2作品には、共通するテーマがいくつかあります。勘のいい方なら既にお気づきかと思いますが、要は僕ら二人が「未来」を思考するために「過剰接続」という手段を用いるとして、今回の特集『狂気』の後半パートはその核心的な部分へと触れることになるのではないでしょうか。  現在、世界では軍事的/産業的、大小様々な規模の戦争が繰り広げられており、終わりの兆しすら見えません。日々ますます最悪な状況が加速するこの世界を生き抜くために、来たる未来に対して「備える」こと、そして何より忘れてはならないのが「教育」と「慈愛」であると考えます。フランシス・フォード・コッポラの集大成である『メガロポリス』は、そういったメッセージが存分に込められた映画でした。自分の中にある「狂気」を飼いながら、その「狂気」をどういった場面でどのように発揮するか。未来を「視る」ためにはどうすればよいのか。 それでは考えてみることにしましょう。

    48分
  8. 6月28日

    #5 特集:狂気(前半)「カニエ・ウェストとミン・ヒジン」

    まず最初にお伝えしなければならないのは、今回の特集テーマについて。ここまで星野源、乃木坂46とそれぞれ特定のアーティストをテーマに語ってきたわけですが、ここで一度、このポッドキャストの根本的な命題に立ち返り(?)、思い切って「概念」を起点とした過剰な接続を試みたいと思います。今回の特集は「狂気」です。そして登場するのがカニエ・ウェストとミン・ヒジン。 きょう‐き〔キヤウ‐〕【狂気】:気が狂っていること。また、異常をきたした精神状態 / Goo辞書(2025年6月25日をもってサービス終了)  「狂気」についていくつかの辞書を調べてみると、辞書というある程度は思想の公平性が担保されたメディアでさえ、やたらとネガティブな言及・定義が目立ちます。とはいえ皆さんも「狂気」と聞くと、なんとなく嫌なイメージを抱くのではないでしょうか?(あまつさえ、それをミン・ヒジンに貼り付けたタイトルを見たBunniesの方々は) しかし本当にそうなのでしょうか?  かつてフランスの哲学者フーコーは「中世時代には一種の「知」とされていた「狂気」が、のちに理性主義が優位になると社会的に監禁されるようになった。「狂気」と「正常」の線引きがはっきりとなされ、社会的な型にはまっている状態こそが「正常」で、そこから外れた存在が「狂気」と定義づけられた」と語っています。「狂気」とはポジティブかネガティブか、理性か非理性かで定義づけられるものではなく、文明が未来を切り開くための可能性でさえあったということです。  またアインシュタインは、「狂気」について、「同じことを繰り返しながら、異なる結果を期待すること(Insanity is doing the same thing over and over again and expecting different results)」だと説きました。  カニエもミン・ヒジンも、同じことは一切しない、常に新しいアイデアで未来を切り開く天才として評価され続けているわけですが、彼らにだって、いや、むしろ彼らのような「狂気」を孕んだ人間の行動や思想にこそ「繰り返し」や「非合理」による実践があるはずだと考えるわけです。  たとえば、カニエはパンデミック以降、私財を投げ打ってリスニングパーティーを何度も開催しています。ツアーやフェスで各地を周り、チケット代やマーチの売り上げなどでプロモーション費用を回収することが最も合理的かつ一般的とされている音楽業界において彼のような行動は実に非合理的です。  またミン・ヒジンは、CDやグッズなどのアートワークデザインに並々ならぬ執着と意匠を持ち、たとえ採算が合わなくても良質で革新的なものを提供したいという意思のもとでクリエイティブを続けています。K-POPのシーンの規模や環境が変わってもなお、確固として変わらない彼女の信条もまた実に「繰り返し」と「非合理」の上に成り立っているものです。  収録を終えてふと振り返って考えてみると、僕ら2人は「狂気」というテーマについて明るく楽しくポジティブに語ってみたかったんじゃないかと思います。ですから皆さんも一見すると物騒なタイトルに臆することなく、どうか気楽に明るい気持ちで聞いていただければ。かつてないほど「狂気」が嫌悪されるこの時代に、改めて「狂気」について考えてみることにしましょう。  Bunnies Campから一年経って、世界はあの頃よりも最悪だけど、これからも彼女たちが、僕たちが生き延びるために。

    1時間

評価とレビュー

5
5段階評価中
6件の評価

番組について

番組概要: 様々なポップカルチャーと世の中の接続を過剰に受信する𝑪𝒖𝒍𝒕𝒖𝒓𝒆 𝑮𝒂𝒏𝒈 𝑹𝒂𝒅𝒊𝒐 ハッシュタグは#過剰接続でお願いします! また、note( https://note.com/c_overconnection )にて打合せの模様や編集後記を公開中! 番組の感想・あなたのおすすめコンテンツを常に募集中! 回答はGoogleフォームリンクから → https://forms.gle/Es4tnBXoADvjrK9P9 詳細: コンテンツがあり、ファンダムがいて、考察がある。そんな昨今のカルチャー状況の中、どこにも行かずPOPの中に踏みとどまり、アレとコレとを接続し、その先を見出す。『コンテンツ過剰接続』は全身全霊で音楽、映画、アニメ、美術、その他諸々を摂取するあなたをカルチャーギャングへ導きます。この番組を聴取した先に、あなたの日々の文化的生活の価値転倒、「よくわかんないけど、なんかわかった!」の発現があったりなかったりすることでしょう。 Twitter: 私はこーへ( https://x.com/minicoolkohe ) キムラ / Kimura( https://x.com/kimu_ra10 ) 連絡先(ご依頼など): contents.overconnection@gmail.com

その他のおすすめ