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#20. 栄枝 直子さん(オクラホマ大学気象学部アシスタント・プロフェッサー‪)‬ あの人の英語の、ホントのところ

    • 言語学習

気象学者としてオクラホマ大学で教鞭をとりながら「英語は苦手」と言う栄枝 直子さんに、タイの日本人学校からインターナショナルスクールへ転校した頃の英語学習、アメリカの大学院で「英語の問題じゃない」と気づいたことなどについてうかがいました。 栄枝 直子 Naoko Sakaeda オクラホマ大学気象学部アシスタント・プロフェッサー。香港で生まれ、タイとインドネシアで育つ。中学校の途中まで現地の日本人学校に通った後、インターナショナルスクールに転校。高校卒業後に単身渡米し、ワシントン大学シアトル校で学士号、ニューヨーク州立大学アルバニー校で気象学博士号を取得。コロラド州ボルダーにあるNOAAの研究所で博士研究員としての2年間を経て、現在に至る。 熱帯域の気象・気候、そしてそれらが全球に与える影響などが主な研究対象。日本に帰国する機会は見つけられずにいる。英語はいつまでたっても苦手意識がなくならないが、なんとかなる精神で日々を乗り越え中。 プロフィール University of Oklahoma, School of Meteorology Emi 自己紹介からお願いできますか? Naoko 米国オクラホマ大学の気象学部でアシスタント・プロフェッサーをしています。両親は日本人なんですが、東南アジアで生まれ育って、日本人学校とインターナショナルスクールに通い、高校卒業後にアメリカへ来て、気象学の学士号と博士号を取りました。 Emi オクラホマ大学のアシスタント・プロフェッサー。生まれも育ちも東南アジアということですが… Naoko 生まれは香港で、その後タイのバンコクと、インドネシアのジャカルタに住んでいました。いちばん長く住んでいたのはタイです。途中で一度、1年間、日本の小学校に通ったことがあります。その後はまたタイに戻って、タイで高校を卒業しました。   英語を使う機会はまったくなかった   Emi 香港で生まれて、タイ、インドネシア、日本、再びタイ、その後アメリカへ。アジアにいる間にも英語を使って教育を受けていた? Naoko いや、小学校と中学校の途中まではずっと日本人学校に通っていたので、英語を使うことはまったくありませんでした。日本の学校と一緒で、「英語や英会話の授業が週に何回かある」というぐらいだったと思います。 英語の勉強を始めたのは、インターナショナルスクールに行くことが決まってからです。日本人学校には高校(高等部)がなかったので、タイで親元に残って高校に行くとなると、進学先はインターナショナルスクールしかない。その時点で私ひとりだけ日本に帰るという選択肢もあったのですが、親元に残ることにしたんです。 Emi 英語と出会ったのは、バンコクの日本人学校? Naoko たぶんいちばん最初は幼稚園のときです。4~5人の友達で集まって、どこの国だかわからないんですけれど、外国人の先生に来ていただいていたことがあります。本当にお遊びみたいな感じで、「英語を学ぼう」みたいなのをやっていた記憶がうっすらとあります。 Emi 幼稚園の頃、タイで外国人に英語を習っていた。先生は英語ネイティブだった? Naoko それも明らかじゃないです(笑)。本当にわからない。英語教室というか、英語で遊ぶという感じだったと思います。 Emi それ以外は、日本人学校で習う英語科の授業のみ? Naoko 「インターナショナルスクールに行

気象学者としてオクラホマ大学で教鞭をとりながら「英語は苦手」と言う栄枝 直子さんに、タイの日本人学校からインターナショナルスクールへ転校した頃の英語学習、アメリカの大学院で「英語の問題じゃない」と気づいたことなどについてうかがいました。 栄枝 直子 Naoko Sakaeda オクラホマ大学気象学部アシスタント・プロフェッサー。香港で生まれ、タイとインドネシアで育つ。中学校の途中まで現地の日本人学校に通った後、インターナショナルスクールに転校。高校卒業後に単身渡米し、ワシントン大学シアトル校で学士号、ニューヨーク州立大学アルバニー校で気象学博士号を取得。コロラド州ボルダーにあるNOAAの研究所で博士研究員としての2年間を経て、現在に至る。 熱帯域の気象・気候、そしてそれらが全球に与える影響などが主な研究対象。日本に帰国する機会は見つけられずにいる。英語はいつまでたっても苦手意識がなくならないが、なんとかなる精神で日々を乗り越え中。 プロフィール University of Oklahoma, School of Meteorology Emi 自己紹介からお願いできますか? Naoko 米国オクラホマ大学の気象学部でアシスタント・プロフェッサーをしています。両親は日本人なんですが、東南アジアで生まれ育って、日本人学校とインターナショナルスクールに通い、高校卒業後にアメリカへ来て、気象学の学士号と博士号を取りました。 Emi オクラホマ大学のアシスタント・プロフェッサー。生まれも育ちも東南アジアということですが… Naoko 生まれは香港で、その後タイのバンコクと、インドネシアのジャカルタに住んでいました。いちばん長く住んでいたのはタイです。途中で一度、1年間、日本の小学校に通ったことがあります。その後はまたタイに戻って、タイで高校を卒業しました。   英語を使う機会はまったくなかった   Emi 香港で生まれて、タイ、インドネシア、日本、再びタイ、その後アメリカへ。アジアにいる間にも英語を使って教育を受けていた? Naoko いや、小学校と中学校の途中まではずっと日本人学校に通っていたので、英語を使うことはまったくありませんでした。日本の学校と一緒で、「英語や英会話の授業が週に何回かある」というぐらいだったと思います。 英語の勉強を始めたのは、インターナショナルスクールに行くことが決まってからです。日本人学校には高校(高等部)がなかったので、タイで親元に残って高校に行くとなると、進学先はインターナショナルスクールしかない。その時点で私ひとりだけ日本に帰るという選択肢もあったのですが、親元に残ることにしたんです。 Emi 英語と出会ったのは、バンコクの日本人学校? Naoko たぶんいちばん最初は幼稚園のときです。4~5人の友達で集まって、どこの国だかわからないんですけれど、外国人の先生に来ていただいていたことがあります。本当にお遊びみたいな感じで、「英語を学ぼう」みたいなのをやっていた記憶がうっすらとあります。 Emi 幼稚園の頃、タイで外国人に英語を習っていた。先生は英語ネイティブだった? Naoko それも明らかじゃないです(笑)。本当にわからない。英語教室というか、英語で遊ぶという感じだったと思います。 Emi それ以外は、日本人学校で習う英語科の授業のみ? Naoko 「インターナショナルスクールに行

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