“Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (18)

和歌、俳句、詩。Waka, Haiku & Poem : A Journey into Japanese Verse
Part 18 夕日のにほひ 晩春の夕日の中に、 順礼の子はひとり頬をふくらませ、 濁りたる眼をあげて管うち吹ける。 腐れゆく襤褸のにほひ、 酢と石油……にじむ素足に 落ちちれる果実の皮、赤くうすく、あるは汚なく…… 片手には噛りのこせし 林檎をばかたく握りぬ。 かくてなほ頬をふくらませ 怖おづと吹きいづる………珠の石鹸よ。 さはあれど、珠のいくつは なやましき夕暮のにほひのなかに ゆらゆらと円みつつ、ほつと消えたる。 ゆめ、にほひ、その吐息…… 彼はまた、 怖々と、怖々と、……眩しげに頬をふくらませ 蒸し淀む空気にぞ吹きもいでたる。 あはれ、見よ、 いろいろのかがやきに濡れもしめりて 円らにものぼりゆく大きなるひとつの珠よ。 そをいまし見あげたる無心の瞳。 背後には、血しほしたたる 拳あげ、 霞める街の大時計睨みつめたる 山門の仁王の赤き幻想…… その裏を ちやるめらのゆく…… 四十一年十二月 浴室 水落つ、たたと………浴室の真白き湯壺 大理石の苦悩に湯気ぞたちのぼる。 硝子の外の濁川、日にあかあかと 小蒸汽の船腹光るひとみぎり、太鼓ぞ鳴れる。 水落つ、たたと………‥灰色の亜鉛の屋根の 繋留所、わが窓近き陰鬱に 行徳ゆきの人はいま見つつ声なし、 川むかひ、黄褐色の雲のもと、太皷ぞ鳴れる。 水落つ、たたと…………両国の大吊橋は うち煤け、上手斜に日を浴びて、 色薄黄ばみ、はた重く、ちやるめらまじり 忙しげに夜に入る子らが身の運び、太皷ぞ鳴れる。 水落つ、たたと…………もの甘く、あるひは赤く、 うらわかきわれの素肌に沁みきたる 鉄のにほひと、腐れゆく石鹸のしぶき。 水面には荷足の暮れて呼ぶ声す、太皷ぞ鳴れる。 水落つ、たたと…………たたとあな音色柔らに、 大理石の苦悩に湯気は濃く、温るく、 鈍きどよみと外光のなまめく靄に 疲れゆく赤き都会のらうたげさ、太皷ぞ鳴れる。 四十一年八月   入日の壁 黄に潤る港の入日、 切支丹邪宗の寺の入口の 暗めるほとり、色古りし煉瓦の壁に射かへせば、 静かに起る日の祈祷、 『ハレルヤ』と、奥にはにほふ讃頌の幽けき夢路。 あかあかと精舎の入日。―― ややあれば大風琴の音の吐息 たゆらに嘆き、白蝋の盲ひゆく涙。―― 壁のなかには埋もれて 眩暈き、素肌に立てるわかうどが赤き幻。 ただ赤き精舎の壁に、 妄念は熔くるばかりおびえつつ 全身落つる日を浴びて真夏の海をうち睨む。 『聖マリヤ、イエスの御母。』 一斉に礼拝終る老若の消え入るさけび。 はた、白む入日の色に しづしづと白衣の人らうちつれて 湿潤も暗き戸口より浮びいでつつ、 眩しげに数珠ふりかざし急げども、 など知らむ、素肌に汗し熔けゆく苦悩の思。 暮れのこる邪宗の御寺 いつしかに薄らに青くひらめけば ほのかに薫る沈の香、波羅葦増のゆめ。 さしもまた埋れて顫ふ妄念の 血に染みし踵のあたり、蟋蟀啼きもすずろぐ。 四十一年八月

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