
“Heretics” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (5)
PART 5
曇日
曇日の空気のなかに、
狂ひいづる樟の芽の鬱憂よ……
そのもとに桐は咲く。
Whisky の香のごときしぶき、かなしみ……
そこここにいぎたなき駱駝の寝息、
見よ、鈍き綿羊の色のよごれに
饐えて病む藁のくさみ、
その湿る泥濘に花はこぼれて
紫の薄き色鋭になげく……
はた、空のわか葉の威圧。
いづこにか、またもきけかし。
餌に饑ゑしベリガンのけうとき叫、
山猫のものさやぎ、なげく鶯、
腐れゆく沼の水蒸すがごとくに。
そのなかに桐は散る…… Whisky の強きかなしみ……
もの甘き風のまた生あたたかさ、
猥らなる獣らの囲内のあゆみ、
のろのろと枝に下るなまけもの、あるは、貧しく
眼を据ゑて毛虫啄む嗟歎のほろほろ鳥よ。
そのもとに花はちる……桐のむらさき……
かくしてや日は暮れむ、ああひと日。
病院を逃れ来し患者の恐怖、
赤子らの眼のなやみ、笑ふ黒奴
酔ひ痴れし遊蕩児の縦覧のとりとめもなく。
その空に桐はちる……新しきしぶき、かなしみ……
はたや、また、園の外ゆく
軍楽の黒き不安の壊れ落ち、夜に入る時よ、
やるせなく騒ぎいでぬる鳥獣。
また、その中に、
狂ひいづる北極熊の氷なす戦慄の声。
その闇に花はちる…… Whisky の香の頻吹……桐の紫……
四十一年十二月
秋の瞳
晩秋の濡れにたる鉄柵のうへに、
黄なる葉の河やなぎほつれてなげく
やはらかに葬送のうれひかなでて、
過ぎゆきし Trombone いづちいにけむ。
はやも見よ、暮れはてし吊橋のすそ、
瓦斯点る……いぎたなき馬の吐息や、
騒ぎやみし曲馬師の楽屋なる幕の青みを
ほのかにも掲げつつ、水の面見る女の瞳。
四十一年十二月
空に真赤な
空に真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒の色。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。
四十一年五月
秋のをはり
腐れたる林檎のいろに
なほ青きにほひちらぼひ、
水薬の汚みし卓に
瓦斯焜炉ほのかに燃ゆる。
病人は肌ををさめて
愁はしくさしぐむごとし。
何ぞ湿る、医局のゆふべ、
見よ、ほめく劇薬もあり。
色冴えぬ室にはあれど、
声たててほのかに燃ゆる
瓦斯焜炉………空と、こころと、
硝子戸に鈍ばむさびしさ。
しかはあれど、寒きほのほに
黄の入日さしそふみぎり、
朽ちはてし秋のヴィオロン
ほそぼそとうめきたてぬる。
四十一年十二月
十月の顔
顔なほ赤し……うち曇り黄ばめる夕、
『十月』は熱を病みしか、疲れしか、
濁れる河岸の磨硝子脊に凭りかかり、
霧の中、入日のあとの河の面をただうち眺む。
そことなき櫂のうれひの音の刻み……
涙のしづく……頬にもまたゆるきなげきや……
ややありて麪包の破片を手にも取り、
さは冷やかに噛みしめて、来るべき日の
味もなき悲しきゆめをおもふとき……
なほもまた廉き石油の香に噎び、
腐れちらぼふ骸炭に足も汚ごれて、
小蒸汽の灰ばみ過ぎし船腹に
一きは赤く輝やきしかの窓枠を忍ぶとき……
月光ははやもさめざめ……涙さめざめ……
十月の暮れし片頬を
ほのかにもうつしいだしぬ。
四十一年十二月
Information
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- FrequencyMonthly
- Published9 February 2024 at 15:00 UTC
- Season5