和歌、俳句、詩。Waka, Haiku & Poem : A Journey into Japanese Verse

毎月、第二日曜日にエピソードを公開しています。 Episodes are released on the second Sunday of each month. Step into the timeless world of Japanese poetry with 和歌、俳句、詩。Waka, Haiku & Poem. This immersive audiobook podcast invites you to experience the beauty of waka, haiku, and Japanese verse through sound alone—no advanced language skills required. Here, the melodies of the spoken word take center stage. Whether you understand Japanese fluently or are simply drawn to its lyrical cadence, you are warmly welcome. Each episode offers a moment to savor the rhythms, emotions, and delicate imagery that have defined Japanese poetry across centuries. Waka, Haiku & Poem is a space for all poetry lovers—beginners, learners, and native speakers alike—to listen, feel, and discover. Let the vibrant sounds of Japan’s poetic tradition awaken your senses and carry you into a world where language transcends words, and beauty is heard in every breath. Subscribe today, and join a global community of listeners who find inspiration, solace, and quiet joy in the living voice of Japanese verse.

$90.00/mo or $790.00/yr after trial
  1. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (22)

    11 JUL • 南風舎 PODCAST ONLY

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (22)

    Part 22   鉛の室 いんきは赤し。――さいへ、見よ、室の腐蝕に うちにじみ倦じつつゆくわがおもひ、 暮春の午後をそこはかと朱をば引けども。 油じむ末黒の文字のいくつらね 悲しともなく誦しゆけど、響らぐ声は 錆びてゆく鉛の悔、しかすがに、 強き薫のなやましさ、鉛の室は くわとばかり火酒のごとき噎びして 壁の湿潤を玻璃に蒸す光の痛さ。 力なき活字ひろひの淫れ歌、 病める機械の羽たたきにあるは沁み来し 新らしき紙の刷られの香も消ゆる。 いんきや尽きむ。――はやもわがこころのそこに 聴くはただ饐えに饐えゆく匂のみ、―― はた、滓よどむ壺を見よ。つとこそ一人、 手を棚へ延すより早く、とくとくと、 赤き硝子のいんき罎傾むけそそぐ 一刹那、壺にあふるる火のゆらぎ。 さと燃えあがる間こそあれ、飜ると見れば 手に平む吸取紙の骸色 爛れぬ――あなや、血はしと、と卓に滴る。 四十年九月   真昼 日は真昼――野づかさの、寂寥の心の臓にか、 ただひとつ声もなく照りかへす硝子の破片。 そのほとり WHISKY の匂蒸す銀色の内、 声するは、密かにも露吸ひあぐる、 色赤き、色赤き花の吐息…… 四十一年十二月 このさんたくるすは三百年まへより大江村の切支丹のうちに忍びかくして守りつたへたるたつときみくるすなり。これは野中に見いでたり。 天草島大江村天主堂秘蔵   天草雅歌 四十年八月、新詩社の諸友とともに遠く天草島に遊ぶ。こはその紀念作なり。 「四十年十月作」    天艸雅歌   角を吹け わが佳耦よ、いざともに野にいでて 歌はまし、水牛の角を吹け。 視よ、すでに美果実あからみて 田にはまた足穂垂れ、風のまに 山鳩のこゑきこゆ、角を吹け。 いざさらば馬鈴薯の畑を越え 瓜哇びとが園に入り、かの岡に 鐘やみて蝋の火の消ゆるまで  の乳をすすり、ほのぼのと 歌はまし、汝が頸の角を吹け。 わが佳耦よ、鐘きこゆ、野に下りて 葡萄樹の汁滴る邑を過ぎ、 いざさらば、パアテルの黒き袈裟 はや朝の看経はて、しづしづと 見えがくれ棕櫚の葉に消ゆるまで、 無花果の乳をすすり、ほのぼのと 歌はまし、いざともに角を吹け、 わが佳耦よ、起き来れ、野にいでて 歌はまし、水牛の角を吹け。

    10 min
  2. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (21)

    13 JUN • 南風舎 PODCAST ONLY

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (21)

    Part 21 蟻 おほらかに、 いとおほらかに、 大きなる鬱金の色の花の面。 日は真昼、 時は極熱、 ひたおもて日射にくわつと照りかへる。 時に、われ 世の蜜もとめ 雄蕋の林の底をさまよひぬ。 光の斑 燬けつ、断れつ、 豹のごと燃えつつ湿める径の隈。 風吹かず。 仰ふげば空は 烈々と鬱金を篩ふ蕋の花。 さらに、聞く、 爛れ、饐えばみ、 ふつふつと苦痛をかもす蜜の息。 楽欲の 極みか、甘き 寂寞の大光明、に喘ぐ時。 人界の 七谷隔て、 丁々と白檀を伐つ斧の音。 四十年三月 華のかげ 時は夏、血のごと濁る毒水の 鰐住む沼の真昼時、夢ともわかず、 日に嘆く無量の広葉かきわけて ほのかに青き青蓮の白華咲けり。 ここ過ぎり街にゆく者、―― 婆羅門の苦行の沙門、あるはまた 生皮漁る旃陀羅が鈍き刃の色、 たまたまに火の布巻ける奴隷ども 石油の鑵を地に投げて鋭に泣けど、 この旱何時かは止まむ。これやこれ、 饑に堕ちたる天竺の末期の苦患。 見るからに気候風吹く空の果 銅色のうろこ雲湿潤に燃えて 恒河の鰐の脊のごとはらばへど、 日は爛れ、大地はあはれ柚色の 熱黄疸の苦痛に吐息も得せず。 この恐怖何に類へむ。ひとみぎり 地平のはてを大象の群御しながら 槍揮ふ土人が昼の水かひも 終へしか、消ゆる後姿に代れる列は こは如何に殖民兵の黒奴らが 喘ぎ曳き来る真黒なる火薬の車輌 掲ぐるは危嶮の旗の朱の光 絶えず饑ゑたる心臓の呻くに似たり。 さはあれど、ここなる華と、円き葉の あはひにうつる色、匂、青みの光、 ほのほのと沼の水面の毒の香も 薄らに交り、昼はなほかすかに顫ふ。 四十年十二月   幽閉 色濁るぐらすの戸もて 封じたる、白日の日のさすひと間、 そのなかに蝋のあかりのすすりなき。 いましがた、蓋閉したる風琴の忍びのうめき。 そがうへに瞳盲ひたる嬰児ぞ戯れあそぶ。 あはれ、さは赤裸なる、盲ひなる、ひとり笑みつつ、 声たてて小さく愛しき生の臍をまさぐりぬ。 物病ましさのかぎりなる室のといきに、 をりをりは忍び入るらむ戯けたる街衢の囃子、 あはれ、また、嬰児笑ふ。 ことことと、ひそかなる母のおとなひ 幾度となく戸を押せど、はては敲けど、 色濁る扉はあかず。 室の内暑く悒鬱く、またさらに嬰児笑ふ。 かくて、はた、硝子のなかのすすりなき 蝋のあかりの夜を待たず尽きなむ時よ。 あはれ、また母の愁の恐怖とならむそのみぎり。 あはれ、子はひたに聴き入る、 珍らなるいとも可笑しきちやるめらの外の一節。 四十一年六月

    11 min
  3. Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (20)

    17 MAY • 南風舎 PODCAST ONLY

    Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (20)

    悪の窓 断篇七種    一 狂念 あはれ、あはれ、 青白き日の光西よりのぼり、 薄暮の灯のにほひ昼もまた点りかなしむ。 わが街よ、わが窓よ、なにしかも焼酎叫び、 鶴嘴のひとつらね日に光り悶えひらめく。 汽車ぞ来る、汽車ぞ来る、真黒げに夢とどろかし、 窓もなき灰色の貨物輌豹ぞ積みたる。 あはれ、はや、焼酎は醋とかはり、人は轢かれて、 盲ひつつ血に叫ぶ豹の声遠に泡立つ。    二 疲れ あはれ、いま暴びゆく接吻よ、肉の曲。…… かくてはや青白く疲れたる獣の面 今日もまた我見据ゑ、果敢なげに、いと果敢なげに、 色濁る窓硝子外面より呪ひためらふ。 いづこにかうち狂ふヴィオロンよ、わが唇よ、 身をも燬くべき砒素の壁夕日さしそふ。    三 薄暮の負傷 血潮したたる。 薄暮の負傷なやまし、かげ暗き溝のにほひに、 はた、胸に、床の鉛に…… さあれ、夢には列なめて駱駝ぞ過ぐる。 埃及のカイロの街の古煉瓦 壁のひまには砂漠なるオアシスうかぶ。 その空にしたたる紅きわが星よ。…… 血潮したたる。    四 象のにほひ 日をひと日。 日をひと日。 日をひと日、光なし、色も盲ひて ふくだめる、はた、病めるなやましきもの 窓ふたぎ窓ふたぎ気倦るげに唸りもぞする。 あはれ、わが幽鬱の象 亜弗利加の鈍きにほひに。 日をひと日。 日をひと日。    五 悪のそびら おどろなす髪の亜麻色 背向け、今日もうごかず、 さあれ、また、絶えずほつほつ 息しぼり『死』にぞ吹くめる、 血のごとき石鹸の珠を。    六 薄暮の印象 うまし接吻……歓語…… さあれ、空には眼に見えぬ血潮したたり、 なにものか負傷ひくるしむ叫ごゑ、 など痛む、あな薄暮の曲の色、――光の沈黙。 うまし接吻……歓語……    七 うめき 暮れゆく日、血に濁る床の上にひとりやすらふ。 街しづみ、窓しづみ、わが心もの音もなし。 載せきたる板硝子過ぐるとき車燬きつつ 落つる日の照りかへし、そが面噎びあかれば 室内の汚穢、はた、古壁に朽ちし鉞 一斉に屠らるる牛の夢くわとばかり呻き悶ゆる。 街の子は戯れに空虚なる乳の鑵たたき、 よぼよぼの飴売は、あなしばし、ちやるめらを吹く。 くわとばかり、くわとばかり、 黄に光る向ひの煉瓦 くわとばかり、あなしばし。―― 悪の窓 畢――四十一年二月

    8 min
  4. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (20)

    9 MAY • 南風舎 PODCAST ONLY

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (20)

    Part 20  悪の窓 断篇七種    一 狂念 あはれ、あはれ、 青白き日の光西よりのぼり、 薄暮の灯のにほひ昼もまた点りかなしむ。 わが街よ、わが窓よ、なにしかも焼酎叫び、 鶴嘴のひとつらね日に光り悶えひらめく。 汽車ぞ来る、汽車ぞ来る、真黒げに夢とどろかし、 窓もなき灰色の貨物輌豹ぞ積みたる。 あはれ、はや、焼酎は醋とかはり、人は轢かれて、 盲ひつつ血に叫ぶ豹の声遠に泡立つ。    二 疲れ あはれ、いま暴びゆく接吻よ、肉の曲。…… かくてはや青白く疲れたる獣の面 今日もまた我見据ゑ、果敢なげに、いと果敢なげに、 色濁る窓硝子外面より呪ひためらふ。 いづこにかうち狂ふヴィオロンよ、わが唇よ、 身をも燬くべき砒素の壁夕日さしそふ。    三 薄暮の負傷 血潮したたる。 薄暮の負傷なやまし、かげ暗き溝のにほひに、 はた、胸に、床の鉛に…… さあれ、夢には列なめて駱駝ぞ過ぐる。 埃及のカイロの街の古煉瓦 壁のひまには砂漠なるオアシスうかぶ。 その空にしたたる紅きわが星よ。…… 血潮したたる。    四 象のにほひ 日をひと日。 日をひと日。 日をひと日、光なし、色も盲ひて ふくだめる、はた、病めるなやましきもの 窓ふたぎ窓ふたぎ気倦るげに唸りもぞする。 あはれ、わが幽鬱の象 亜弗利加の鈍きにほひに。 日をひと日。 日をひと日。    五 悪のそびら おどろなす髪の亜麻色 背向け、今日もうごかず、 さあれ、また、絶えずほつほつ 息しぼり『死』にぞ吹くめる、 血のごとき石鹸の珠を。    六 薄暮の印象 うまし接吻……歓語…… さあれ、空には眼に見えぬ血潮したたり、 なにものか負傷ひくるしむ叫ごゑ、 など痛む、あな薄暮の曲の色、――光の沈黙。 うまし接吻……歓語……    七 うめき 暮れゆく日、血に濁る床の上にひとりやすらふ。 街しづみ、窓しづみ、わが心もの音もなし。 載せきたる板硝子過ぐるとき車燬きつつ 落つる日の照りかへし、そが面噎びあかれば 室内の汚穢、はた、古壁に朽ちし鉞 一斉に屠らるる牛の夢くわとばかり呻き悶ゆる。 街の子は戯れに空虚なる乳の鑵たたき、 よぼよぼの飴売は、あなしばし、ちやるめらを吹く。 くわとばかり、くわとばかり、 黄に光る向ひの煉瓦 くわとばかり、あなしばし。―― 悪の窓 畢――四十一年二月

    8 min
  5. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (19)

    11 APR • 南風舎 PODCAST ONLY

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (19)

    Part 19 狂へる椿 ああ、暮春。 なべて悩まし。 溶けゆく雲のまろがり、 大ぞらのにほひも、ゆめも。 ああ、暮春。 大理石のまぶしきにほひ―― 幾基の墓の日向に 照りかへし、 くわと入る光。 ものやはき眩暈の甘き恐怖よ。 あかあかと狂ひいでぬる薮椿、 自棄に熱病む霊か、見よ、枝もたわわに 狂ひ咲き、 狂ひいでぬる赤き花、 赤き譫言。 そがかたへなる崖の上、 うち湿り、熱り、まぶしく、また、ねぶく 大路に淀むもののおと。 人力車夫は ひとつらね青白の幌をならべぬ。 客を待つこころごころに。 ああ、暮春。 さあれ、また、うちも向へる いと高く暗き崖には、 窓もなき牢獄の壁の 長き列、はては閉せる 灰黒の重き裏門。 はたやいま落つる日ひびき、 照りあかる窪地のそらの いづこにか、 さはひとり、 湿り吹きゆく 幼ごころの日のうれひ、 そのちやるめらの 笛の曲。 笛の曲………… かくて、はた、病みぬる椿、 赤く、赤く、狂へる椿。 四十一年六月   吊橋のにほひ 夏の日の激しき光 噴きいづる銀の濃雲に照りうかび、 雲は熔けてひたおもて大河筋に射かへせば、 見よ、眩暈く水の面、波も真白に 声もなき潮のさしひき。 そがうへに懸る吊橋。 煤けたる黝の鉄の桁構、 半月形の幾円み絶えつつ続くかげに、見よ、 薄らに青む水の色、あるは煉瓦の 円柱映ろひ、あかみ、たゆたひぬ。 銀色の光のなかに、 そろひゆく櫂のなげきしらしらと、 或は仄の水鳥のそことしもなき音のうれひ、 河岸の氷室の壁も、はた、ただに真昼の 白蝋の冷みの沈黙。 かくてただ悩む吊橋、 なべてみな真白き水の面、はた、光、 ただにたゆたふ眩暈の、恐怖の、仄の哀愁の 銀の真昼に、色重き鉄のにほひぞ 鬱憂に吊られ圧さるる。 鋼鉄のにほひに噎び、 絶えずまた直裸なる男の子 真白に光り、ひとならび、力あふるる面して 柵の上より躍り入る、水の飛沫や、 白金に濡れてかがやく。 真白なる真夏の真昼。 汗滴るしとどの熱に薄曇り、 暈みて歎く吊橋のにほひ目当にたぎち来る 小蒸汽船の灰ばめる鈍き唸や、 日は光り、煙うづまく。 四十一年八月   硝子切るひと 君は切る、 色あかき硝子の板を。 落日さす暮春の窓に、 いそがしく撰びいでつつ。 君は切る、 金剛の石のわかさに。 茴香酒のごときひとすぢ つと引きつ、切りつ、忘れつ。 君は切る、 色あかき硝子の板を。 君は切る、君は切る。 四十年十二月

    12 min
  6. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (18)

    7 MAR

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (18)

    Part 18 夕日のにほひ 晩春の夕日の中に、 順礼の子はひとり頬をふくらませ、 濁りたる眼をあげて管うち吹ける。 腐れゆく襤褸のにほひ、 酢と石油……にじむ素足に 落ちちれる果実の皮、赤くうすく、あるは汚なく…… 片手には噛りのこせし 林檎をばかたく握りぬ。 かくてなほ頬をふくらませ 怖おづと吹きいづる………珠の石鹸よ。 さはあれど、珠のいくつは なやましき夕暮のにほひのなかに ゆらゆらと円みつつ、ほつと消えたる。 ゆめ、にほひ、その吐息…… 彼はまた、 怖々と、怖々と、……眩しげに頬をふくらませ 蒸し淀む空気にぞ吹きもいでたる。 あはれ、見よ、 いろいろのかがやきに濡れもしめりて 円らにものぼりゆく大きなるひとつの珠よ。 そをいまし見あげたる無心の瞳。 背後には、血しほしたたる 拳あげ、 霞める街の大時計睨みつめたる 山門の仁王の赤き幻想…… その裏を ちやるめらのゆく…… 四十一年十二月 浴室 水落つ、たたと………浴室の真白き湯壺 大理石の苦悩に湯気ぞたちのぼる。 硝子の外の濁川、日にあかあかと 小蒸汽の船腹光るひとみぎり、太鼓ぞ鳴れる。 水落つ、たたと………‥灰色の亜鉛の屋根の 繋留所、わが窓近き陰鬱に 行徳ゆきの人はいま見つつ声なし、 川むかひ、黄褐色の雲のもと、太皷ぞ鳴れる。 水落つ、たたと…………両国の大吊橋は うち煤け、上手斜に日を浴びて、 色薄黄ばみ、はた重く、ちやるめらまじり 忙しげに夜に入る子らが身の運び、太皷ぞ鳴れる。 水落つ、たたと…………もの甘く、あるひは赤く、 うらわかきわれの素肌に沁みきたる 鉄のにほひと、腐れゆく石鹸のしぶき。 水面には荷足の暮れて呼ぶ声す、太皷ぞ鳴れる。 水落つ、たたと…………たたとあな音色柔らに、 大理石の苦悩に湯気は濃く、温るく、 鈍きどよみと外光のなまめく靄に 疲れゆく赤き都会のらうたげさ、太皷ぞ鳴れる。 四十一年八月   入日の壁 黄に潤る港の入日、 切支丹邪宗の寺の入口の 暗めるほとり、色古りし煉瓦の壁に射かへせば、 静かに起る日の祈祷、 『ハレルヤ』と、奥にはにほふ讃頌の幽けき夢路。 あかあかと精舎の入日。―― ややあれば大風琴の音の吐息 たゆらに嘆き、白蝋の盲ひゆく涙。―― 壁のなかには埋もれて 眩暈き、素肌に立てるわかうどが赤き幻。 ただ赤き精舎の壁に、 妄念は熔くるばかりおびえつつ 全身落つる日を浴びて真夏の海をうち睨む。 『聖マリヤ、イエスの御母。』 一斉に礼拝終る老若の消え入るさけび。 はた、白む入日の色に しづしづと白衣の人らうちつれて 湿潤も暗き戸口より浮びいでつつ、 眩しげに数珠ふりかざし急げども、 など知らむ、素肌に汗し熔けゆく苦悩の思。 暮れのこる邪宗の御寺 いつしかに薄らに青くひらめけば ほのかに薫る沈の香、波羅葦増のゆめ。 さしもまた埋れて顫ふ妄念の 血に染みし踵のあたり、蟋蟀啼きもすずろぐ。 四十一年八月

    9 min
  7. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (17)

    7 FEB

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (17)

    Part 17   盲ひし沼 午後六時、血紅色の日の光 盲ひし沼にふりそそぎ、濁の水の 声もなく傷き眩む生おびえ。 鉄の匂のひと冷み沁みは入れども、 影うつす煙草工場の煉瓦壁。 眼も痛ましき香のけぶり、機械とどろく。 鳴ききたる鵝島のうから しらしらと水に飛び入る。 午後六時、また噴きなやむ管の湯気、 壁に凭りたる素裸の若者ひとり 腕拭き鉄の匂にうち噎ぶ。 はた、あかあかと蒸気鑵音なく叫び、 そこここに咲きこぼれたる芹の花、 あなや、しとどにおしなべて日ぞ照りそそぐ。 声もなき鵞鳥のうから 色みだし水に消え入る 午後六時、鵞鳥の見たる水底は 血潮したたる沼の面の負傷の光 かき濁る泥の臭みに疲れつつ、 水死の人の骨のごとちらぼふなかに もの鈍き鉛の魚のめくるめき、 はた浮びくる妄念の赤きわななき。 逃げいづる鵞鳥のうから 鳴きさやぎ汀を走る。 午後六時、あな水底より浮びくる 赤きわななき――妄念の猛ると見れば、 強き煙草に、鉄の香に、わかき男に、 顔いだす硝子の窓の少女らに血潮したたり、 歓楽の極の恐怖の日のおびえ、 顫ひ高まる苦痛ぞ朱にくづるる。 刹那、ふと太く湯気吐き 吼えいづる休息の笛。 四十一年七月   青き光 哀れ、みな悩み入る、夏の夜のいと青き光のなかに、 ほの白き鉄の橋、洞円き穹窿の煉瓦、 かげに来て米炊ぐ泥舟の鉢の撫子、 そを見ると見下せる人々が倦みし面も。 はた絶えず、悩ましの角光り電車すぎゆく 河岸なみの白き壁あはあはと瓦斯も点れど、 うち向ふ暗き葉柳震慄きつ、さは震慄きつ、 後よりはた泣くは青白き屋の幽霊。 いと青きソプラノの沈みゆく光のなかに、 饐えて病むわかき日の薄暮のゆめ。―― 幽霊の屋よりか洩れきたる呪はしの音の 交響体のくるしみのややありて交りおびゆる。 いづこにかうち囃す幻燈の伴奏の進行曲、 かげのごと往来する白の衣うかびつれつつ、 映りゆく絵のなかのいそがしさ、さは繰りかへす。―― そのかげに苦痛の暗きこゑまじりもだゆる。 なべてみな悩み入る、夏の夜のいと青き光のなかに。―― 蒸し暑き軟ら風もの甘き汗に揺れつつ、 ほつほつと点もれゆく水の面のなやみの燈、 鹹からき執の譜よ………み空には星ぞうまるる。 かくてなほ悩み顫ふわかき日の薄暮のゆめ。―― 見よ、苦き闇の滓街衢には淀みとろげど、 新にもしぶきいづる星の華――泡のなげきに 色青き酒のごと空は、はた、なべて澄みゆく。 四十一年七月   樅のふたもと うちけぶる樅のふたもと。 薄暮の山の半腹のすすき原、 若草色の夕あかり濡れにぞ濡るる 雨の日のもののしらべの微妙さに、 なやみ幽けき Chopin の楽のしたたり やはらかに絶えず霧するにほやかさ。 ああ、さはあかれ、嗟嘆の樅のふたもと。 はやにほふ樅のふたもと。 いつしかに色にほひゆく靄のすそ、 しみらに燃ゆる日の薄黄、映らふみどり、 ひそやかに暗き夢弾く列並の 遠の山々おしなべてものやはらかに、 近ほとりほのめきそむる歌の曲。 ああ、はやにほへ、嗟嘆の樅のふたもと。 燃えいづる樅のふたもと。 濡れ滴る柑子の色のひとつらね、 深き青みの重りにまじらひけぶる 山の端の縺れのなやみ、あるはまた かすかに覗く空のゆめ、雲のあからみ、 晩夏の入日に噎ぶ夕ながめ。 ああ、また燃ゆれ、嗟嘆の樅のふたもと。 色うつる樅のふたもと。 しめやげる葬の曲のかなしみの 幽かにもののなまめきに揺曳くなべに、 沈みゆく雲の青みの階調、 はた、さまざまのあこがれの吐息の薫、 薄れつつうつらふきはの日のおびえ。 ああ、はた、響け、嵯嘆の樅のふたもと。 饐え暗む樅のふたもと。 燃えのこる想のうるみひえびえと、 はや夜の沈黙しのびねに弾きも絶え入る 列並の山のくるしみ、ひと叢の 柑子の靄のおぼめきも音にこそ呻け、 おしなべて御龕の空ぞ饐えよどむ。 ああ、見よ、悩む、嗟嘆の樅のふたもと。 暮れて立つ樅のふたもと。 声もなき悲願の通夜のすすりなき 薄らの闇に深みゆく、あはれ、法悦、 いつしかに篳篥あかる谷のそら、 ほのめき顫ふ月魄のうれひ沁みつつ 夢青む忘我の原の靄の色。 ああ、さは顫へ嗟嘆の樅のふたもと。 四十一年二月

    14 min
  8. “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (16)

    10 JAN

    “Heretic” by Hakushu KITAHARA ( Unabridged ) 北原白秋『邪宗門』(全) (16)

    Part 16    D 沈丁花 なまめけるわが女、汝は弾きぬ夏の日の曲、 悩ましき眼の色に、髪際の紛おしろひに、 緘みたる色あかき唇に、あるはいやしく 肉の香に倦める猥らなる頬のほほゑみに。 響かふは呪はしき執と欲、ゆめもふくらに 頸巻く毛のぬくみ、真白なるほだしの環 そがうへに我ぞ聴く、沈丁花たぎる畑を、 堪へがたき夏の日を、狂はしき甘きひびきを。 しかはあれ、またも聴く、そが畑に隣る河岸側、 色ざめし浅葱幕しどけなく張りもつらねて、 調ぶるは下司のうた、はしやげる曲馬の囃子。 その幕の羅馬字よ、くるしげに馬は嘶き、 大喇叭鄙びたる笑してまたも挑めば 生あつき色と香とひとさやぎ歎きもつるる。    E 不調子 われは見る汝が不調、――萎びたる瞳の光沢に、 衰の頬ににほふおしろひの厚き化粧に、 あはれまた褪せはてし髪の髷強きくゆりに、 肉の戦慄を、いや甘き欲の疲労を。 はた思ふ、晩夏の生あつきにほひのなかに、 倦みしごと縺れ入るいと冷やき風の吐息を。 新開の街は錆びて、色赤く猥るる屋根を、 濁りたる看板を、入り残る窓の落日を。 なべてみな整はぬ色の曲……ただに鋭き 最高音の入り雑り、埃たつ家なみのうへに、 色にぶき土蔵家の江戸芝居ひとり古りたる。 露はなる日の光、そがもとに三味はなまめき、 拍子木の歎またいと痛し古き痍に、 かくてあな衰のもののいろ空は暮れ初む。    F 赤き恐怖 わかうどよ、汝はくるし、尋めあぐむ苦悶の瞳、 秀でたる眉のゆめ、ひたかわく赤き唇 みな恋の響なり、熟視むれば――調かなでて 火のごとき馬ぐるま燃え過ぐる窓のかなたを。 はた、辻の真昼どき、白楊にほひわななき、 雲浮かぶ空の色生あつく蒸しも汗ばむ 街よ、あな音もなし、鐘はなほ鳴りもわたらね、 炎上の光また眼にうつり、壁ぞ狂へる。 人もなき路のべよ、しとしとと血を滴らし 胆抜きて走る鬼、そがあとにただに餞ゑつつ 色赤き郵便函のみくるしげにひとり立ちたる。 かくてなほ窓の内すずしげに室は濡るれど、 戸外にぞ火は熾る、………哀れ、哀れ、棚の上に見よ、 水もなき消火器のうつろなる赤き戦慄。

    5 min

Shows with Subscription Benefits

Sign up to get access to exclusive episodes !

$90.00/mo or $790.00/yr after trial

About

毎月、第二日曜日にエピソードを公開しています。 Episodes are released on the second Sunday of each month. Step into the timeless world of Japanese poetry with 和歌、俳句、詩。Waka, Haiku & Poem. This immersive audiobook podcast invites you to experience the beauty of waka, haiku, and Japanese verse through sound alone—no advanced language skills required. Here, the melodies of the spoken word take center stage. Whether you understand Japanese fluently or are simply drawn to its lyrical cadence, you are warmly welcome. Each episode offers a moment to savor the rhythms, emotions, and delicate imagery that have defined Japanese poetry across centuries. Waka, Haiku & Poem is a space for all poetry lovers—beginners, learners, and native speakers alike—to listen, feel, and discover. Let the vibrant sounds of Japan’s poetic tradition awaken your senses and carry you into a world where language transcends words, and beauty is heard in every breath. Subscribe today, and join a global community of listeners who find inspiration, solace, and quiet joy in the living voice of Japanese verse.

More From 南風舎 Literature Club

You Might Also Like