ふくちゃんの朗読出前します ベルリン@対話工房
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ベルリン@対話工房のふくちゃんが、ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね 「小さな平和」を求めて ポツダム・トルーマンハウスとヒロシマ・ナガサキ広場の記録』を朗読します。
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トルーマンハウスが学校の校舎になる(後半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「戦後のトルーマンハウス」の章から、「トルーマンハウスが学校の校舎になる」の後半を朗読します。
戦後、東西ドイツ分割によってトルーマンハウスは東ドイツ領となりました。トルーマンハウスがその後、どう使われてきたのかについて探ります。今回は主に、ベルリンの壁ができた後から壁が崩壊するまでのトルーマンハウスの変遷について語ります。
写真は、トルーマンハウスが学校の校舎だった時代に、トルーマンハウスで勉強したシュテファーンさんとその兄弟の写真。シュテフファーンさんは、右から2番目です。 -
トルーマンハウスが学校の校舎となる(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「戦後のトルーマンハウス」の章から、「トルーマンハウスが学校の校舎となる」の前半を朗読します。
戦後、東西ドイツ分割によってトルーマンハウスは東ドイツ領となりました。トルーマンハウスがその後、どう使われてきたのかについて探ります。1961年にベルリンの壁ができると、トルーマンハウスは東西ドイツの国境地帯に入り、東西冷戦のど真ん中に置かれました。
写真は、トルーマンハウス後ろのグリープニッツ湖湖畔にできたベルリンの壁の一部です。 -
戦争の現実を知らなかった(後半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「戦争の現実を知らなかった」の後半を朗読します。
第二次世界大戦のはじまる直前の1937年に日本で生まれ、戦後の1947年にドイツに戻ってきたハンスユルゲンさんが、戦後ドイツで生活する葛藤について語ります。
写真は、ポツダムの自で晩年を過ごしていた時のハンスユルゲンさんです。 -
戦争の現実を知らなかった(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「戦争の現実を知らなかった」の前半を朗読します。
第二次世界大戦のはじまる直前の1937年に日本で生まれ、戦後の1947年にドイツに戻ってきたハンスユルゲンさんの日本での体験について語ります。
写真は、日本にいた時のハンスユルゲンさんです。 -
記念碑が完成する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「記念碑が完成する」を朗読します。
ポツダムのトルーマンハウスの前に、記念碑が完成しました。その除幕式の時の様子を伝えます。
写真は、記念碑の除幕式で千羽鶴を持つ原爆体験者の外林秀人さんです。 -
女性は身を隠して生活する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「女性は身を隠して生活する」を朗読します。
終戦後のドイツ・ポツダムでの生活について、生き証人のヘルガさんに語ってもらいました。
写真は、そのヘルガさんです。