4 episodes

★第二回 関ヶ原の戦いを再検討する ―高橋陽介・乃至政彦両氏に聞く関ヶ原の戦いの実像―★北九州市小倉にて、2019.6/23開催!

■ 佐賀の戦国史 ‪■‬ 佐賀戦国研究会 

    • History

★第二回 関ヶ原の戦いを再検討する ―高橋陽介・乃至政彦両氏に聞く関ヶ原の戦いの実像―★北九州市小倉にて、2019.6/23開催!

    【お申込期限は9/22まで】「戦史学者 長南政義先生と巡る 佐賀の乱戦跡ツアー」(2023年10月 全旅佐賀バスツアー)

    【お申込期限は9/22まで】「戦史学者 長南政義先生と巡る 佐賀の乱戦跡ツアー」(2023年10月 全旅佐賀バスツアー)

    2月26日に、講演会「軍事学的にみる佐賀の乱」を佐賀大学にて開催しました。

    →(レポート)http://sagasengoku.seesaa.net/article/498448071.html




    そして・・・、この関連企画として、10月に2回、
    地元の旅行会社・㈱全旅佐賀さんと佐賀戦国研究会の共同企画、

    ★「戦史学者 長南政義先生と巡る 佐賀の乱戦跡ツアー」を催行します!


    (追記:お申込期限は、9月22日までとなります。)


    ↓<告知チラシ>クリックすると拡大します。





    ★申込書(チラシ)PDF
    戦史学者 長南政義先生と巡る 佐賀の乱戦跡ツアー.pdf


    ★講師 長南政義先生 略歴:

    國學院大學法学部卒業。國學院大學法学研究科博士課程前期(法学修士)及び拓殖大学大学院国際協力学研究科安全保障学専攻(安全保障学修士)修了。國學院大學法学研究科博士課程後期単位取得退学。政策研究大学院大学COEオーラルヒストリー・プロジェクト・研究アシスタント、国会図書館調査及び立法考査局非常勤職員、靖國神社靖國偕行文庫など勤務経歴。
    防衛省防衛研究所研究会講師(2017年)、防衛大学校部外講師(2018年)として児玉源太郎をテーマとした講義・講演を行った他、熊本市主催の講演会や、桜美林大学で講師を務めた。

    長南先生は学術論文の他、著書に『新史料による日露戦争陸戦史 ―覆される通説―』(並木書房、2015年6月)、『児玉源太郎』(作品社、2019年6月)、『新説戦乱の日本史』(SB新書・共著、2021年8月)などがあり、佐賀の乱については、歴史雑誌『忘却の日本史』(第6号・7号)や『歴史群像』(第163号・164号)において、官軍・佐賀軍の衝突経緯と経過を軍事的・戦史的視点で詳細に解説されており、その内容の精緻さに、地元の歴史ファンからも多く感動の声が上りました。

    参考用:★【開催】講演会「軍事学的にみる佐賀の乱」(2023.2/26)


    このバスツアーは、長南先生が本当に同行・解説までして頂けるという、なんとも貴重な会です。ぜひお楽しみに!

    軍事学的な視点から詳しい解説が聴けますが、観光バス旅行としての要素も、バランスよく含まれています。

    遠方からのご参加も、地元からのご参加も、楽しめる佐賀の史跡めぐり旅行です。

    全国旅行支援適用で、商品クーポン券が千円分付いています。1ツアーが先着30名程。ぜひご参加下さい!
    (参加お申込は、全旅佐賀へお願いします。)


    しばらく、佐賀戦国研究会の告知枠を優先に、予約を受けてくれるそうです。

    WEBやLINEで告知を始めましたが、8/1本日、常連様方へ封書DMも一斉発送しました。席数に限りがある事ですので、届きましたら早めにご確認お願いします。

    当会告知の先行申込の一定期間後、全旅佐賀さんが企業として一般募集を開始されます。


    前回、全旅佐賀さんが実施された「龍造寺鍋島バスツアー」が満席で参加できなかった・・という方々を含め、
    みなさま参加枠の予約はお早目に!



    ——————————————————————————


    佐賀戦国研究会の皆さま


    「長南政義先生と巡る佐賀の乱戦跡ツアー」予約のご案内


    拝啓 

    盛夏の候、皆様にはますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

    このたび佐賀戦国研究会×全旅佐賀コラボ企画ツアーとして、「長南政義先生と巡る佐賀の乱戦跡ツアー」を10月7(土)、10月14日(土)2回企画しておりま

    【まとめ】嬉野の忍者・佐賀の忍者と調査事業について

    【まとめ】嬉野の忍者・佐賀の忍者と調査事業について

    最近、全国メディアやローカルメディアから「佐賀に忍者がいた事を知りましたが」「どういう内容ですか?」「どういう発見ですか?」というようなお問合せが複数有り、世間は本当に忍者ブームなのだなと実感しています。


    ただ、金銭的仕事ではなく問合せに応じるのみなので、複数社こられて期限付きの回答を求められると、さすがに負担を感じます。

    公共に資する内容であるため、できるだけ誠実かつ遅滞のない様に回答していく方針です。しかし、よくある問合せに対しましては、以下の【まとめ】を参照して頂きますよう、お願い致します。

    (メールでも、まずはこちらを参照頂くよう、返信する方針です。)


    ★前提


    【忍者の定義・忍者とは】 

    情報収集が主たる任務。間牒、間者、スパイ。工作員。忍術を使用する者。
    日葡辞書 「Xinobi」の用例「Xinobiuo suru」により、“忍びをする”者。
    忍の仕事は、忍び “が” するもの(専任)とは限らず、忍び “を”する者が忍者と考える。

    ※吉丸雄哉先生からの御教示によれば、戦国期の臨時の任務 → 江戸時代の組織編成された職業へ変遷。厳密には、時代によって定義は変わると考えられる。



    【忍術とは】 総合的知識に基づくサバイバル術。

    山田雄司先生の定義 に基づく。「忍術書には、心構え、侵入術、破壊術、武術、変装術、交際術、対話術、記憶術、伝達術、呪術、医学、薬学、食物、天文、気象、遁甲(とんこう)、火薬など多様な記述がなされている。何事にも耐え忍び、人間の気質や自然環境、社会環境を掌握する(術)」。



    ————————————————

    ★佐賀戦国研究会とは:
    http://sagasengoku.seesaa.net/article/459492959.html



    【まとめ】(2017年~2019年)






    ★忍者研究の専門家、三重大学教授 山田雄司教授に認定された、

    「嬉野市に実在した忍者」とは。(3名)


    ・彦山八天狗 弁慶夢想 【タイ捨流の剣術そして忍法を極めた山伏】 基本は肥後相良藩所属、一定時期嬉野(塩田)に滞在。

    ・田原安右衛門良重 【細作】 蓮池藩から島原藩内へ密偵として派遣された。その後、塩田役所長官へ出世。   

    ・古賀源太夫 【聞合方御用】外国船が長崎に来航した時に、2度、情報探索を命じられ、長崎へ派遣されている。




    第二回国際忍者学会『佐賀藩における忍者』(2018.9/8)

    ↑第二回国際忍者学会 基調講演「佐賀藩における忍者」 深川直也(佐賀戦国研究会)/ 佐賀の歴史と忍者について、基調講演の内容です。31分程。

    International Ninja Research Association” convention. https://intlninja.com/

    日時 :2018年9月8日(土)~9日(日)
    場所: 佐賀県嬉野市公会堂 (嬉野市)
    主催 :国際忍者学会、特定非営利活動法人九州忍者保存協会
    共催: 日本忍者協議会、三重大学国際忍者研究センター
    後援 :佐賀県、嬉野市、佐賀新聞社、NHK佐賀放送局、サガテレビ、NBCラジオ佐賀、エフエム佐賀、肥前夢街道





    ★Yahooニュースにまでなった「佐賀には忍者が14人いた!」について。

    正確には「先年まで忍者情報が判然としなかった佐賀県において、嬉野市の忍者発掘事業を契機に、忍やそれに類する者の史料情報が14名分提示できるまでになった。」という論旨の発表が大げさな報道見出しになってしまったものです。

    ★正確な論旨はこちらをご参照下さい: 三

    【出版されます!】『最新研究 江上八院の戦い』中西豪・白峰旬 共著本

    【出版されます!】『最新研究 江上八院の戦い』中西豪・白峰旬 共著本

    慶長五年十月、筑後国においての決戦。

    立花宗茂  VS  鍋島直茂 


    『最新研究 江上八院の戦い』

    中西豪・白峰旬 共著

    日本史史料研究会 発行(2019.7月末予定)



    遂に発行されます!

    ★予約注文フォームは、下記の画像を利用頂いて良いとの事です。



    PDFが良い方は、こちらからダウンロードしてください。:最新刊のお知らせ.pdf(日本史史料研究会)



    ―――――――――――――――――――――
      
    推薦文
                        佐賀戦国研究会 代表 深川 直也


    佐賀戦国研究会は一般市民による戦国史研究会で平成二十四年(二〇一二)十月に発足し、現在に至るまで七年間、遠近から講師を招き、固定の会員制ではなく自由参加型の勉強会や歴史講演会・シンポジウムを開催しています。 先日六月二十三日には、北九州市小倉北区・KOKURAホールにて、『第二回 関ヶ原の戦いを再検討する -高橋陽介・乃至政彦両氏に聞く関ヶ原の戦いの実像-』と題したシンポジウムを催行いたしました。

    遡ること、平成二十六年(二〇一四)八月二十四日、大阪市主催の「大坂の陣四〇〇年天下一祭」の参加事業でもあった第四回「救世主・鍋島直茂(統一政権下のサバイバル)」と題する歴史講演会の開催に当たり、配布資料作成の必要もあって、私は龍造寺鍋島家の関ヶ原合戦当時の動向について調べておりました。江上八院合戦の一般的認知について、強い疑問を抱いたのはその時です。
      
    きっかけとなった本は、佐賀県立図書館で見つけた『八院合戦の結末と水田会見(黒田如水・加藤清正)の由来』〈筑後市教育委員会・筑後郷土史研究会、昭和五十二年(一九七七)十二月発行〉です。合戦経緯から結末、その後江戸時代を通して語り継がれた亡霊話まで、龍造寺鍋島側・立花側両方の編纂史料を良くまとめてありますので、機会があれば是非読んで頂きたいのですが、 この一冊に出会うまで、私は全くもって、江上八院合戦について無知でした。 
    古戦場跡にも数回足を運んでみましたが、現地凡そ二キロメートル四方の中に古塚や供養塔が点在しており、それらは実は今も地元の方々によって大切に手入れされている事を知りました。四百十九年前の熾烈な干戈(かんか)の記憶と共に。


    江上八院(えがみはちいん)合戦を、皆様はご存知でしょうか?


    慶長五年(一六〇〇)十月二十日、福岡県久留米市城島町の江上地区から、大川市の中八院、三潴(みずま)郡大木町横溝の一帯で繰り広げられたこの激戦は、一日で決した局地戦のためか、そもそも佐賀県内の市町村史ですら、戦闘が有ったのか無かったのか良く分からない概説に終始しています。
    合戦の名称もいくつか有り、筑後側の史料では江上合戦、八院合戦とも記され、佐賀側の史料では、柳川御陣、柳川合戦と称されます。

    また一般的な関ケ原合戦関連の概説書や雑誌上でも、黒田如水と大友義統(吉統)が戦った石垣原合戦は「九州における関ヶ原合戦」として紹介される中、この江上八院合戦については、取り上げられないか、単なる小競り合いとして、または合戦というより加藤清正と立花宗茂の友情物語として、ごく短い文章で記述されているのみです。

    今回の白峰旬先生と中西豪先生の考証によって、初めて詳細をお知りにな

    ★沖田畷の戦い・史跡踏査会レポート②【2018.10/27】

    ★沖田畷の戦い・史跡踏査会レポート②【2018.10/27】

    引き続き、沖田畷の戦い・史跡踏査会のレポートその2です。

    ★前回のレポート1は、こちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/462785891.html




    10/27(土) 

    嬉野市の入船荘を出発し、鹿島市→多良岳オレンジ街道→ 諫早湾干拓堤防道路→島原半島へ。(車で約1.5時間)

    天正12年(1584)3月18日、龍造寺隆信・政家父子が率いる57,000余騎もの大軍の兵船が、須古城の南方の海岸・龍王崎より出航。



    (中西豪先生の甲冑姿です。編集によって口髭を付けたり、目の表情などを通説どおりの隆信公風に加工しています。御大将出陣ノ図)


    順風に乗って3月20日前後に神代(こうじろ)へ着港、軍勢も上陸、布陣します。軍議の後、3月21日には南下し、寺中城(三会城)に入城。龍造寺隆信は、21日から23日まで寺中城に駐屯します。(『隆信公御年譜』・『北肥戦誌』)



    ★軍議【島原半島の見取り図】 青色の城=沖田畷合戦当時、●龍造寺方であった城。赤色の城=●有馬・島津方の城です。




    神代湊には、龍造寺方の武将・神代貴茂の居城(海城)、鶴亀城(神代城)がありました。

    ちなみに佐賀郡の神代(くましろ)氏と島原の神代(こうじろ)氏は同祖説もありますが、ひとまず、別の氏族です。





    この神代湊からおよそ13.5km南下、車で20分程走ると、寺中城に至ります。



    <1> 寺中城(三会城)跡(場所:島原市中野町丙1469-3)

    ★【駐車場なし、道路脇に駐車スペースあり】






    川に挟まれた小高い所が城址です。海辺に屹立した城であった事がイメージできます。



    島原市による解説板。おそらく近年設置されたものと見え、新しいです。



    城址には登る事が出来ます。ここに物見の櫓など拵えれば、4キロほどしか離れていない森岳方面(沖田畷付近)まで眺望できたかもしれません。3月21日から23日までここに滞在した隆信公は、決戦まで何を思い過ごしたのでしょう。







    ■左:東統禅先生(福田寺御住職)、右:大山格先生。 寺中城址にて。

    島津方の大山先生も、いつのまにか赤い戦装束姿に。沖田畷を前に、臨戦態勢となられました。









    ★『上井覚兼日記』によると、3月16日には、龍造寺軍と戦うための先手の軍が既に島原半島へ渡海済。3月18日、島津忠長一行が渡海。3月21日、島津又四郎(島津彰久)と他数名が渡海。同日、島原半島にて有馬晴信を支援中(龍造寺方・島原純豊の籠る浜の城を攻囲中)の島津家久、島津忠長、平田、新納、各位の辛労への慰問も兼ねて、上井覚兼の船十二段帆が渡海している。(『有明町史 上巻』「伊勢守日記」)


    ★『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁著 星海社 発行(2017.11月)P.139によると、3/21~3/23までの龍造寺軍の迅速な動きを、島津方は掴めていなかったという。P.140「島原包囲中の有馬渡海衆が、龍造寺勢本隊の到着に気づいたのは、決戦前日のことだったのであり、(肥後)佐敷からの援軍は間に合わなかったのである。」







    ― レポート③へ続きます ―
    http://sagasengoku.seesaa.net/article/462939263.html


    【PODCAST】
    H25. 3/23、佐賀の戦国史ー龍造寺鍋島伝ー 第一回講演会 @佐賀城本丸歴史館 /「世評における龍造寺氏・鍋島氏」より抜粋。講師:中西豪先生。

    佐賀の戦国史1-Last.mp3

    • 4 min

Top Podcasts In History

The Rest Is History
Goalhanger Podcasts
History's Secret Heroes
BBC Radio 4
American Scandal
Wondery
Everything Everywhere Daily
Gary Arndt | Glassbox Media
Dan Carlin's Hardcore History
Dan Carlin
Throughline
NPR