考える塾 in TAIPEI

Takashi Jome
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哲学や思想や歴史や心理や脳や倫理などについてのエッセーです。

  1. 倫理記号の恣意性⑥「自由って何?」-1

    ١ يناير

    倫理記号の恣意性⑥「自由って何?」-1

    倫理記号の恣意性 第6回 「自由って何?」 現代の国際社会は、人権を守ることが最大の正義とされています。そして、人権の中でも第一に尊重されるのは自由権ですが、そもそも自由とは何なのでしょう。 一般的には、誰かに強制されることなく自分の思うように行動することが自由だと考えられています。あらゆる価値よりも自由を貴ぶことを正義と考えるリバタリアン≪自由至上主義者≫は、自由についてのこうした考え方を徹底し、特に経済活動の自由を掲げて、ビジネスに制限を加える権力を批判し、市民の財に税を課す政府を泥棒と呼びます。また、ロックやパンクなどの音楽に代表されるカウンターカルチャーは、社会の中にある様々な支配構造を破壊して、全ての人々が自分の望む生き方の出来る世界を理想とします。 しかし、現代の自由主義思想の源流となったヨーロッパの近代哲学には、現代人の考える自由とは対照的な自由の概念がありました。十八世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントの考えた自由とは、自然法則に支配された生理的な欲求に対する自由、欲望の意のままにならず道徳的に行動する自由でした。人間以外の動物が自然法則である本能に支配されて行動しているのに対し、理性を持つ人間だけが自らの生理的な決定から自由になれる存在なのだと、カントは言ったのです。 彼は、理性に沿った自由意志による行動にも二種類あると説明します。一つは仮言命法と言い、何らかの欲求を果たすために必要なことを理性で判断し実行することです。もう一つは定言命法と言い、理性の定める道徳律に従って行動することを指します。仮言命法は「欲求を果たすため」という条件を常に伴い自然法則の支配下にあるため、真の自由な行動とは言えませんが、定言命法は無条件に倫理的理性に沿った行動になるため、自己の内なる自然法則から完全に自由な状態となります。 重力の下で今あなたが手にしているものを手離せば、その物体は床に落ちるでしょう。人間ならだれでも共通した理性的認識に沿ってそう判断します。理性とはそのように、あらゆる人間に共通した認識をもたらします。道徳についても、同じ条件の下では人間には共通した実践理性が働くため、道徳律は人類普遍なものであるとカントは考えました。そして、「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的法則となるように行為せよ」と言います。「格率」とは人間がそれぞれに持つ自己の判断基準であり、それが万人の共有する倫理基準と矛盾しない定言命法に適ったものとなるように行動せよというわけです。 現代の自由主義者が、自由を守ることこそ正義だと考えているのに対し、カントは、正義を守ることこそが自由だと考えていたのです。

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  2. 倫理記号の恣意性⑤効率・自由 vs 道徳・公平、『歴史の終わり』と民主主義vsAI独裁主義、ヴィットゲンシュタインの『論理哲学論考』、ゲーデルの不完全性定理、ジョン・スチュアート

    ١٤‏/٠٨‏/٢٠٢٣

    倫理記号の恣意性⑤効率・自由 vs 道徳・公平、『歴史の終わり』と民主主義vsAI独裁主義、ヴィットゲンシュタインの『論理哲学論考』、ゲーデルの不完全性定理、ジョン・スチュアート

    ポンペオ米国務長官が七月二十三日に、中国の人権抑圧・領土拡張・経済的不公正と、その理念的基盤であるマルクス・レーニン主義に対し、宣戦布告とも解釈できる演説を行ったことで、新型コロナウィルスで混乱の中にある世界は新冷戦時代へ突入することになりました。現代の世界には、エリート階級が政策決定の権限を独占する体制と、自由と民主主義を標榜する体制の二種類の国家に分類することができますが、中国は前者、アメリカは後者の正義を代表する国家だと言えるでしょう。  しかし、中国の不正義を糾弾したポンペオ氏のアメリカの中にも相矛盾する複数の正義があり、必ずしも一枚岩とは言えません。自由と民主主義を標榜する社会の正義の一つには、最大多数の最大幸福を目指して経済的効率性を高めようとする功利主義や、他者の権利を侵害しない限りあらゆる個人の自由を認めるべきだと考えるリバタリアニズム≪自由至上主義≫があります。  例えば、アメリカの軍隊ではベトナム戦争まで徴兵制が実施されていましたが、全国民が兵役の義務を持ち国家の防衛に責任を負うべきだという考え方に対して、功利主義やリバタリアニズムはそれぞれの立場で異議を唱え、金銭を支払って兵役の義務を他者に代行させるという南北戦争時代の制度の正当性を主張します。   まず功利主義は、金銭を支払う者はそれによって兵役を回避するという利益を得るし、兵役を代行する者はそれによって金銭という利益が得られるため、双方の幸福が最大化されていると言います。またリバタリアニズムは、双方が自分の意思で多額の金銭を支払ったり、兵役を代行したりしている以上、この制度は自由の原理に適合していると言います。  その一方で、アメリカには両者の主張に対する反論もあります。その一つは、「兵役は国民が平等に負うべき義務であり、民主主義国家においては、あらゆる階層の人々とその愛する伴侶や子供や孫の全てが戦場に行かなければならない可能性があればこそ、政策決定者も簡単には戦争を起こせないのだ」というものです。平等な兵役こそ戦争を防ぎ平和を守るという論理です。イラク戦争では、戦場に赴いた志願兵の多くが低所得者層で、戦争を主導した政治家など富裕層の割合は低かったという事実があります。兵役の平等が崩れた社会は戦争を起こしやすい一面があるのです。また、兵役代行を引き受ける者の多くが金銭的に貧しい階層出身だという事実は、徴兵回避が貧しい者を奴隷的拘束に置くのと同じ状態になることを示しており、自由の原理にも矛盾しています。  経済効率や自由という正義と、道徳や公平という正義が、ここに対立しているのです。

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  3. 倫理記号の恣意性④リバタリアニズム

    ٢٢‏/٠٦‏/٢٠٢٣

    倫理記号の恣意性④リバタリアニズム

    歴史の教科書には、国王や貴族に奴隷的拘束を強いられていた民衆が、自らの選択と決断によって生きる「自由」を求めて革命を起こす姿が記されています。イギリスの市民革命やアメリカ独立戦争やフランス革命は、近代社会の誕生を象徴する出来事ですが、これらの革命で人々が獲得を目指した最も重要な権利は「自由」でした。そして、権力によって奴隷的に拘束される牢獄のような状態は否定され、自らの意志で行動できることが、現代の人権思想の根本原理となったのでした。  しかし、社会全体の利益を追求する時には、この「自由」が制限されても仕方がないという考え方もあります。例えば、感染力の高いウィルスが流行して人々の命を脅かす時、人間の自由な移動・行動がその繁殖を拡大してしまうなら、それは制限されなければならないという考えです。あるいは、社会全体の発展を促進するためには、指導者が強い権限を発揮して様々な政策を進めていかなければならないため、その体制に批判的な言動は厳しく取り締まるべきだという考えです。  こうした「最大多数の最大幸福」を追求する考え方に対し、それよりも個人の「自由」が優越するとして、他者の自由を制限しない限りどんな行動も認められるべきだと考える思想を「自由至上主義・リバタリアニズム」と言い、この思想を掲げる人々はリバタリアンと呼ばれています。  リバタリアンは、自由を制限するどんな制度も法律も慣習も宗教も全て排除していくべきだと主張し、国家による道徳的規制に反対します。そして、職業選択の自由、信仰の自由、言論の自由、婚姻の自由が認められるべきであるように、働かない自由、信仰を否定する自由、性的・暴力的表現をする自由、同性婚の自由を越えて他の動物と婚姻する自由なども、制限されてはならないと考えます。妊娠中絶が制限されるべきでないのと同様に、自殺する自由や、依頼されれば自殺を助ける自由も人間にはあり、命を捨てても自分の臓器を売る自由さえあると言います。  彼らは、国家による経済的自己選択権の侵害を強く批判し、福祉政策のために税金や社会保険料が徴収されることに反対しています。貧しい人々や身体的ハンディキャップを持つ人々の救済は、国家がやらずとも、マイクロソフト創始者のビル・ゲイツや大投資家ウォーレン・バフェットなどの富豪が自ら好んで行うため、税の徴収による労働意欲や消費意欲の抑制は経済にとって害があるだけだと言うのです。  世界一の先進国であるアメリカ合衆国に現在も公的健康保険制度が無いのは、こうした原理的な自由主義に対する強い信仰があるためだと考えられます。

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  4. 倫理記号の恣意性③最大多数の最大幸福

    ٢٨‏/٠٤‏/٢٠٢٣

    倫理記号の恣意性③最大多数の最大幸福

    イギリスの道徳哲学者ジェレミー・ベンサムは、道徳の至高の原理とは苦痛に対する快楽の割合を最大化することだという、功利主義の原理を確立しました。人間がとるべき正しい行いとは、快楽や幸福を増やし、苦痛や苦難を減らす、「効用」の最大化であるというわけです。  1884年、ミニョネット号というイギリス船が沈没し、ボートで漂流していた四人の船乗りたちが、水も食料もない限界状況に追い込まれた結果、悲惨な効用の最大化を迫られました。衰弱して死の淵にあった一人を二人が殺害したのです。残り一人は殺人に断固反対したものの、共に死体を食料とし、三人は生き残りました。数日後に救出された三人は、当局に事実をありのままに告げて逮捕されます。殺人を犯した二人が起訴され、反対した一人は釈放されました。裁判の結果、二人には死刑が宣告されますが、ヴィクトリア女王の特赦により禁固六ヶ月に減刑されました。  二人の殺人行為は、現代では緊急避難と呼ばれるもので、非常事態における違法行為は、それによって生じた損害より、避けようとした損害の方が大きい場合、罪に問われないことになっています。この当時のイギリスでは、まだその制度が論争中で法制化されていなかったため、殺人罪が適用されたのでした。  ベンサムは、公的諸政策の根底に置くべき道徳原理として、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化するべきだ」とし、幸福計算を提唱しました。これは、データを集めてある行為の生む快と苦の量を計算し、その量によって政策の善悪を決めることです。この計算に基づけば、ミニョネット号の例でも、殺人を犯した二人の行為は正しかったことになります。では、殺人に反対したもう一人は間違っていたのでしょうか。  ベンサムの功利主義を継ぎ、これを改良しようとしたジョン・スチュワート・ミルは、人間の自由意志を重視し、幸福の量よりも質に基づく道徳原理を説きました。「人間は、自分の望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなことをすることが出来る」というのがその主張です。  「ゲド戦記」で有名な、アーシュラ・K・ル=グウィンが「オメラスから歩み去る人々」という小説を書いています。あるところに、オメラスという幸福に満ちた豊かな町がありました。しかし、町の片隅の不潔で劣悪な地下室には、なぜか知能の低い一人の少女が閉じ込められています。少女は「ここから出して」と訴えているのですが、人々に無視され続けます。この町の幸福は、この少女の犠牲と引き換えに与えられていたからです。少女を救えば、町の人々がみな不幸になるよう定められています。ほとんどの人々は時折思い出したように言い訳をしながらも、町の幸福を享受し続けます。ところが、中にはそれを恥じて、この町を歩み去る人々もいます。  あなたなら、この町に居続けますか? それともオメラスから歩み去りますか? それとも、少女を救って町中を不幸にしますか。

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