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    【戦後80年】「平和はもろいもの」避難民の考える平和と“終戦” ウクライナ侵攻から3年…日本への避難民は1900人超

    「【戦後80年】「平和はもろいもの」避難民の考える平和と“終戦” ウクライナ侵攻から3年…日本への避難民は1900人超」 15日で戦後80年です。終戦の日を迎えました。ただ世界に目を向けてみると今も戦争が続いていて、終戦の道筋が見えない国があります。ウクライナもその1つです。今、ウクライナの人たちは終戦、そして平和をどのように捉えているのでしょうか。九十九里の浜辺で撮影されたスナップ写真。水着姿でポーズを決めるのは、ロシアとの戦闘で腕を失ったウクライナ兵士です。こうして祖国から離れた日本で避難生活を送るウクライナの人々は、現在1900人余り。そんな皆さんの目に戦後80年の日本はどのように映っているのか、話を聞きました。避難者・ジュリアさん(31):日本人は「10年後こういう風になりたい」とか(考える)。それはちょっとうらやましい。避難者・ヴィクトルさん(29):平和はどこからともなく現れるものではない。戦争はいつでも起こりえます。先日、青井キャスターが訪れたウクライナカフェ。東京・武蔵野市にあるウクライナからの避難者が集うカフェです。ここではウクライナ版おふくろの味に出会えたり、ワークショップで日本人を交えた交流を図ることができます。ワークショップの参加者は「私たちは孤独を感じますが、イベントのおかげで新しい人々と出会い、コミュニケーションをとる機会が生まれます」と話しました。この日、ワークショップの世話役を務めていたのがジュリアさんです。祖国で日本語の教師をしていたというジュリアさんも、ウクライナが侵攻を受けた年、9月、両親などを残したまま日本に来ました。避難者・ジュリアさん:弟もいとこもみんな大人になるけど、私はそのまま(昔の姿が)記憶に残ってる。(Q.3年間戻ってない?)はい。私の父はいつも「来ないでください」と命を失う危険がありますので。家族を分断され祖国が危機にさらされ続けた3年間。それでも思いは変わらないといいます。そして「“ウクライナがこういう国なんです”と世界に日本に見せたい気持ちが強い。でも戦場にはいない私は何もやっていないという気持ちもある。

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    小泉進次郎氏や高市早苗氏らが靖国神社参拝 石破首相は参拝せず 玉串料を私費で奉納 終戦から80年

    「小泉進次郎氏や高市早苗氏らが靖国神社参拝 石破首相は参拝せず 玉串料を私費で奉納 終戦から80年」 戦後80年を迎えた終戦の日の15日、東京・九段北の靖国神社には小泉農水相が参拝しました。小泉大臣は午前8時前、靖国神社を訪れ、参拝後、無言で神社を後にしました。2024年10月の石破内閣の発足後、閣僚の参拝が確認されたのは初めてです。小泉進次郎農水相:不戦の誓いと、そして国家のために命を捧げた方に対する礼を忘れないこと、このことは重要なことだと考えております。2024年の自民党総裁選挙に立候補した高市前経済安保相、小林元経済安保相も参拝しました。高市早苗前経済安保相:たくさんの方が国策に殉じられました。尊崇の念を持って哀悼の誠を捧げました。小林鷹之元経済安保相:心から哀悼の誠を捧げてまいりました。この他、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が集団参拝しました。一方、石破首相は午前11時過ぎ、千鳥ケ淵戦没者墓苑(ぼえん)に献花しました。靖国神社には参拝せず、事務所を通じ「自民党総裁」として玉串料を私費で奉納しました。

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    父は硫黄島で壮絶な最期…亡くなる直前にルーズベルト大統領へ手紙 死を知り妹と流した涙 4世代でつなぐ戦争の記憶

    「父は硫黄島で壮絶な最期…亡くなる直前にルーズベルト大統領へ手紙 死を知り妹と流した涙 4世代でつなぐ戦争の記憶」 15日午後、東京で戦没者追悼式に出席する遺族が4世代にわたり平和への思いをつないでいます。手紙に書かれた「大元気」という文字。これは激戦地にいた父親が、疎開中の娘にあてたものです。手紙を受け取ったのは、都内に住む志村俊子さん(93)。志村俊子さん:(写真を見せて)これが父。くつろいでいる父ですね。最後の写真ですね。家族全部の。俊子さんの父・市丸利之助さんは、壮絶な地上戦が行われた硫黄島で、海軍の司令官として指揮を執りました。亡くなる直前には、当時のアメリカのルーズベルト大統領に宛てた手紙を書いたことでも知られています。手紙は硫黄島で発見され、日本が置かれた状況を説明するものとして、アメリカでも大きく報道されました。志村俊子さん:父が帰ってくる日になると、私が学校で「今日、お父さま帰ってくるよ」って走り回って言ってたらしいんですよね。本当に父が帰ってくると、みんなで楽しみにしていた。しかし、利之助さんは硫黄島で壮絶な最期をとげます。志村俊子さん:(硫黄島の)ニュースがあって、その時は妹と2人で手を握って泣いた覚えがありますね。お父さまもいっちゃったんだねって。俊子さんは戦後、戦争を繰り返してはならないと、硫黄島遺族会を立ち上げ平和の必要性を訴えてきました。その思いは、俊子さんの娘の高子(63)さんや、孫の星来さん(30)、星来さんの子どもの清凪くん(4)たちにも引き継がれています。志村高子さん:疎開先での苦労とか、祖父が戦死した後の(母の)育ってきた環境のこととかを聞くと、そういった(平和への)思いが強くなりますね。家族は例年、全国戦没者追悼式に参列していて、2024年に清凪くんは最年少の遺族として初めて出席しました。酒井星来さん:私自身も小さい頃から硫黄島の遺族会の参拝のお手伝いをして、成長するにつれだんだんああいうことだったんだなというのが後から後からわかっていたので、清凪にも今からそういう体験をさせたいという気持ちでいます。

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