久石譲さんと養老孟司さんの素敵な対談から、音楽の正体が少し垣間見えたような気がしました
曰く
"松果体もヤコプソンの器官も、退化傾向にある。だけど、耳だけは、半規管は退化できません。いわば古い感覚器が耳だけは非常に強く残っているんですよ。身体の運動に直接つながっていますから。
脳の中では当然、近い関係にある。つまり脳からいうと、聴覚は古いところに直接届いている。それがいわゆる情動に強く影響するということなんです。"
"情動というのは、実は脳でいうと古い部分、「爬虫類の脳」といわれている「大脳辺縁系」というんですけど、そこにかなり大きな影響を与える。
実は、それが一番遠いのは目なんですよ。目は非常に客観的。だから、見て感動するより、聴いて感動する方がよっぽど多いんです。"
ここから私は思いました
1、聴覚が情動を掻き立てる
2、視覚が論理を組み立てる
3、音楽は情動と論理の往復運動
1、聴覚が情動を掻き立てる
以前、このチャンネルで、確かNHKの番組から、原始の世界における音楽の誕生の理由を、お話ししたような気がしますが
その際に、音楽は原始の世界では、狩りをする際に重要なコミュニケーション手段であり、かつ、狩に行く際には勇気を奮い立たせるし、そして無事生還した際には、みんなで喜び合う
それが音楽の重要な役割として育ってきたと言うようなことだったように記憶しています
今回のお話は、まさに、そのような原始の時代から、音楽は非常に人類にとって大切なものであり、特に、情動という言葉では説明しきれないものを表現することに、とても役に立っていたということは、大いに共感できる内容だなあと思いました
2、視覚が論理を組み立てる
逆に、視覚がそこから非常に遠いところにあるというお話も、とても興味深く思いました
情動に対して、客観性を持つ、視覚というのは、もしかすると、論理を組み立てるのに一役買っていたということなのかもしれないなとも思いました
考えてみると、数学や物理学は、資格により数字による計算を論理的に解いていくことで、学者同士が会話ができるというものでもあるし
もっと言えば、科学技術の発展は、その視覚を通した膨大や演算の先にあるとすると、視覚は技術革新の根本をなすものであり、大きな鍵を握ったものだったのかもしれないとも思いました
3、音楽は情動と論理の往復運動
そう考えると、聴覚は原始の情動、視覚は論理の先端科学ということで、実は、音楽には、両方の要素が混ざり合って入っていることに、とても面白さがあるなあと思いました
音を紡ぐことによる情動、そしてそれを楽譜という極めて論理的な構造物で表現をしようとする試み、これは、情動と論理を往復運動させることによって、より音楽というものを理解しながら、発展させていこうという、意識がそうさせているのかもしれないなあとも思えてきました
太刀川さんの進化思考における、適応が情動であり、変異が技術であり、それらをクルクル回すことで、進化のサイクルがぐるぐる回る
その先に、新しい音楽の姿が生まれてくるような、太古の時代には単なるコミュニケーションと共鳴の手段だった音楽は
論理を掛け合わせることによって、太古には味わえなかった情動や感動を生み出していくものとして、どこへ向かっていくのだろうと、思いを巡らせてしまいました
音楽には、情動と論理が混ざっているので、音楽をやるということは、少なくともその両方を鍛えられる、人間としての成長にも欠かせないものだし、これからの進化にも実は欠かせないもの、なのかもしれない
そんなことを思いました。
一言で言うと
音楽は情動と論理の往復運動
そんな話をしています
参考:本: 脳は耳で感動する 電子書籍版 2025年1月30日発行 著者 養老孟司 久石譲 発行所 株式会社実業之日本社
音声で聴きたい方はこちら
https://open.spotify.com/episode/6h3ANI30iiunEaGRnacaXX?si=hork2_FvQFOTQpCqbK5wXQ
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/M8DaXXi8jvk
Informationen
- Sendung
- HäufigkeitTäglich
- Veröffentlicht1. September 2025 um 17:36 UTC
- Länge15 Min.
- Staffel1
- Folge1594
- BewertungUnbedenklich