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静寂が包む一角で、椎名は唐突に顔をこわばらせた。
瞳はどこか遠くを見ていた。濡れたビルの廃材も、崩れかけた天井も目に入っていない。いや、見えているのに、意識はそこにはなかった。
その視線の先にあったのは、己の掌に収まる黒い端末。突如、ビリビリと震え、けたたましい電子音を響かせる。
──テロテロリーンテロテロリーン──
反射的に全員が動いた。椎名は身を強ばらせ、吉川は銃口を構え直し、黒田は一歩下がって壁に手をついた。コンクリ片に当たる雨音の中にあっても、その電子音は異様なほど鮮烈だった。
「……エリアメールだ。」
吉川がポケットからスマートフォンを取り出し、画面を一瞥する。
《【避難指示】金沢市全域/浅野川一部氾濫/山間部で土砂災害発生の恐れあり/至急安全な場所へ避難を》
吉川が顔をしかめた。
「“避難指示”か…ここは駅の商業ビル。水が来たって、地上階が多少浸かる程度だ。大したことない。」
言いながら、彼は黒田を振り返った。
だが黒田は、答えなかった。スマートフォンの通知を目で追っていたその表情が、徐々に変わっていくのを吉川は見た。
「……黒田?」
「……浅野川が氾濫……?」
黒田は呟くように言った。口の中で何かを計算するように。
「山で土砂災害……。」
「そりゃその災害もおこるだろう。さっきからずっとこの調子で降ってるんだから。」
「違う……山間で土砂災害……浅野川の氾濫……今の雨量……この流域……。」
黒田の声がかすかに震えた。
「仁川征爾は、26年前の土石流で消えた…。」
「なに…。」
吉川が目を瞬いた。椎名――いや、仁川征爾。その名前に続く“災害”の記憶。
黒田は椎名を見た。
その目が、どこかを見ているようで、見ていなかった。氷のように沈着だったその瞳が、今は曇っていた。
震えている。焦点が定まらない。
吉川が思わず銃を持ち直す。だが、黒田はそれを制するように、静かに首を横に振った。
「……見て吉川さん。あの目。あれは……さっきまでの目じゃない…。」
椎名は黙ってエリアメールの画面を見ていた。
「土砂災害」
この四文字が、彼の心に突き刺さっていた。
「だぶん……記憶が、戻ってる……。」
黒田は呟く。
「吉川さんが今、引き金を引いたら――きっと、あいつはこのまま死ぬ。テロリストでもなく、計画者でもない。ただの……置いていかれた人間のまま。」
吉川は息を飲んだ。椎名が、あの椎名が、動けなくなっている。震える指。濡れた額。濁った視線。
それは、幾千の合理と殺意を積み上げてきた男の姿ではなかった。
ただの、記憶に囚われた一人の生き残りだった。
黒田がポツリと呟いた。
「……あいつは、16歳の仁川征爾だ…。」
──ダダダダッ!
短機関銃の連続射撃音。
商業ビル内の沈黙は、外の世界の激変によって打ち破られた。
爆音が、突如、耳元に押し寄せる。
銃声。炸裂音。怒号。
鋼鉄が弾かれる甲高い音。窓ガラスの割れる音が重なり、わずかな風が吹き込んだ。
「……始まったか」
吉川が呟く。彼は即座に無線の音量を上げた。
『こちら第14普通科連隊、北側外周にて国籍不明部隊と接触。交戦中。繰り返す、国籍不明部隊と交戦中!』
『特殊作戦群より報告。金沢駅構内にてアルミヤプラボスディア残存勢力と接敵。制圧中。複数名確保、1名死亡。現在、国籍不明部隊の介入により交戦範囲拡大中』
無線の向こうからも銃撃音が混じる。まさに戦場だった。
***
金沢駅東口前広場。
夜の帳が降りた闇に浮かぶヘッドライトと閃光。
舗装道路に独特の低く唸るようなエンジン音とタイヤのきしみが響くとともに装甲兵員輸送車(APC)が突入してきた。
制式化されたパターンのカモフラージュ。旗章なし。国籍不明。しかし現場の将官級は知っていた。
ツヴァイスタン人民共和国人民軍、プリマコフ中佐の部隊。“偽装された介入軍”だった。
「正面で受けろ! 突入はさせるな!」
川島一佐の怒声が飛ぶ。普通科連隊の陣形が即座に再編される。
96式装輪装甲車の後方に隠れる形で、隊員たちが防弾楯(バリスティックシールド)とともに展開。
セミオートライフルの銃口が黒影の列に向けられる。
──ドオオン!
プリマコフ部隊側のAPCから発射された榴弾が広場のアスファルトをえぐる。
土砂と火花、コンクリ片が吹き飛び、隊員たちがとっさに身を伏せた。
「火器使用確認! 国籍不明部隊は明確な敵対行動!」
特殊作戦群は即座に判断を下した。黒木為朝群長は、双眼鏡越しに戦場を睨みつける。
「……やれ。全面制圧だ」
情報
- 番組
- 頻度アップデート:隔週
- 配信日2025年7月25日 20:00 UTC
- 長さ13分
- 制限指定不適切な内容を含まない