なぜ明治維新の時、京都ではなく江戸が首都になったのか。
京都人の私としては合点のいかないところである。
なんといっても「大政奉還」であり「王政復古」なわけで、天皇が政治を行うことになるのだから、維新後は引き続き天皇のいる京都を首都とすべきである。おそらく、その時代の一般人の大半がそう思っていたと思う。
当時の京都新政府にとっての江戸は、いわば「敵国の首都」。敵国の首都を自国の首都に定める必要はないだろう。
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- Publicado10 de fevereiro de 2022 às 02:11 UTC
- Duração11min
- ClassificaçãoLivre