流れのほとりに

キリスト教たんぽぽ教会

キリスト教たんぽぽ教会の礼拝で語られたメッセージ音源です。

  1. 9月7日

    たんぽぽの樹を育もう(ヨハネの黙示録22章1節~5節)

    序)ヨハネの黙示録にある「28」 ・イエス様を象徴する「子羊」が 28 回使われる。 ・28=4(世界)×7(完全)で全世界を満たすという象徴数。 1)22 章の美しい光景の意味 ・「まもなく彼方の流れの傍で」(教会福音讃美歌 336「川辺を歩めば」)で歌われるが、天国(あの世)の描写ではない。 ・「もはや、のろわれるものが何もない」とは、以前には「のろわれるものがあった」ことを示唆する。この光景は地上の贖われた姿である。 ・「いのちの水の川」は「神と子羊の御座(単数)」から出るゆえに聖霊の象徴である。一つの御座は神の国の中心を象徴し、ここに神、子羊、いのちの水(聖霊)という三者が関与する、三位一体が表現されている。 2)いのちの水で生かされる礼拝 ・黙示録は、礼拝の濁り(偶像礼拝、教えの混乱)を問題にしている。いのちを奪う礼拝ではなく、いのちを与える礼拝に回復することが、世界の回復につながる。謙虚に礼拝の回復を続けていくことが重要。 ・現代の教会に入り込んでいるのは「天国止まりの福音」。これが先鋭化するとグノーシス主義の現代版になる。これは異教との混交やカルトの温床になるし、教会の存在意義も曖昧になり、聖書理解を歪める。 ・いのちの水は「都の大通り」を流れるとは、聖霊の恵みが公に開かれたものであることを示す。神との交わりをすべての人に開く努力が必要。 3)いのちの水からいのちの樹へ ・「いのちの樹」は聖霊によって生かされる人間の象徴である。詩篇 92:12 ・神様から離れた人間は「草」に象徴される(イザヤ 40:6-8)。聖霊によって生かされるなら他者に永遠のいのちを与える(創世記 3:22)ことができるようになる。葉による癒しは、正気に戻すことである。 ・黙示録の主題は教会共同体(22:16)であり、聖書は人間を個人と同時に共同体として「ひとり」と数えるゆえに、この樹は教会の象徴。 ・この幻の下敷きはエゼキエル 47:12 で果樹は多様であることがわかる。 結)たんぽぽの樹を育もう ・3 節後半から動詞は未来形になり、神の国の完成の約束が描かれる。逆に言うと 1 節~3 節は現在形であり、私たちが関われる部分である。

    37分
  2. 8月24日

    歌って嘆いて近づこう(詩篇40篇1節~17節)

    序)健全な人生には個人と共同体のバランスが必要 ・お金を媒介にせずとも助け合える共同体が子どもたちの育ちには必要 ・野球というスポーツには、個人と共同体の両面が表され、私たちの人生の比喩となる真実が含まれている。 1)教会の礼拝は個人と共同体が共存する ・「私」という一人称で歌い、祈ることが周りに生きる「多くの者」へと影響を与える。 ・礼拝は講演会ではない。賛美や祈り、信仰告白のパートにおいては、礼拝者が舞台の上にいて、神様が観客席にいる。 ・「新しい歌」とは、歌う側の信仰が刷新され、同じ賛美をより深いレベルで歌うことができるようになることを指す。自分の人生を背負って歌う賛美の中に神は力強い臨在を現される。 2)詩人の証しから問いかけられること ・詩篇 40 篇 1 節の「切に主を待ち望んだ」が全体に響き渡る主題。 ・私は今、ここまでの切実な求めをもって神様に向き合っているか。 ・「待ち望む」とはただの受動的な態度ではなく、助けを求めて叫ぶことを含む。必ず助けが来ることを信じて、上を見上げて叫ぶ。 ・私は今、どこにいるのか。滅びの穴、泥沼か。それとも巌の上か。 ・足元に揺らぎがないと感じる時は、切実な思いをもって感謝と賛美をささげていく。それが次の危機への備えになる。 3)感謝と嘆きが繰り返される世界で ・人生において、危機と平安、感謝(歌)と嘆きが交互に訪れる。 ・順調な時に、賛美と感謝をもって、歌いながら主の恵みとまことを心と共同体に刻んでいくことが、次のピンチを乗り切る力になる。 ・危機に陥ると視野が狭くなるので、神様の数えきれないみわざを見失い、自分の罪の多さに目を奪われて絶望しそうになる。だからこそ平安の時に歌う歌が重要になる。感謝と賛美に支えられるからこそ、希望をもって嘆くことが可能になる。 結)歌って嘆いて近づこう ・私たちは歌と嘆きを繰り返す中で、主に近づいていく恵みをいただく。 ・神に近づくなら、神に期待して大いなる挑戦ができるようになる。

    38分
  3. 8月17日

    将来への希望(エレミヤ書29章11節)

    序)「氷点」が示す「なくてはならぬもの」④ 「おれにとって、なくてはならぬものとはなんだろう」(「氷点」階段)三浦綾子著「氷点」の第四の自殺者が示す「なくてはならぬもの」→将来への希望「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ 29:11) 1)人生の希望 「もし…療養している最中に、誰かが私に次のように預言したとしたらどうであったろう。「あなたの病気は治ります。そして、三十歳を過ぎてから、一人の男性が現れます。…五年目には、あなたはその人と結婚することでしょう。…それから五年後、一千枚の長編小説を書き、その作品が入選して、一千万円の懸賞金をもらうことでしょう。そして少なくとも七十歳までは生き、七十冊近い本を出すことになるでしょう」と。私はこれを聞いて腹を抱えて笑うか、くだらぬ冗談として聞き流したことであろう。 」(「明日のあなたへ」神の領分) 「神の書かれるシナリオと、あなたの書かれるシナリオとは異なるのです。」(同) 「どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。」(エペソ 3:20,21) 2)死後の希望 「母を失った信夫はどんな生涯を送ることだろう。…でも、いよいよとなれば、信夫のことは神さまにおまかせするより仕方がないかもしれない。…今は辛くても、きっとこのことも、結果としてはよいことであったという日が来る。神が生きておられる以上、信夫のことも、神が守って下さるにちがいない」(「塩狩峠」母) 「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主」(ルツ記 2:20) 「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。」(Ⅱサムエル 7:12) 3)永遠の希望 「やまじこえて ひとりゆけど 主の手にすがれる みはやすけし…わだしが死んで、一人とぼとぼ歩いていくんだども、なんも淋しくないのね。イエスさまの手さつかまって、イエスさまと一緒に、天の国さ行くからね。」(「母」山路越えて) 「すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(Ⅰテサロニケ 4:16,17) 「うれしかったなあ。多喜二に会える、多喜二に会える。うれしかったなあ。」(「母」山路越えて) 結)私達の確信と祈り 「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください。」(詩篇 138:8)

    48分
  4. 8月10日

    自分の正義を手放せますか(ヨナ書2章1節~10節)

    序) ・ヨナ書は短い物語ですが、予想外の展開と人間らしい主人公ヨナの姿が心を惹きつけます。嵐の海、暗く冷たい魚の腹の中――そんな極限の中で、ヨナは何を思ったのでしょうか。 1) ・神様の命令を聞いたヨナは、正反対の方向に逃げてしまいました。大嵐に巻き込まれ、海へ投げ込まれ、ついには大きな魚に飲み込まれる――そこからが神様との対話の始まりでした。 2) ・ヨナは放蕩息子の兄と似ています。『自分は正しい』という思いに縛られ、赦しや喜びよりも、自分の正義を守ろうとしました。その固い心は、やがて彼を孤独へと向かわせます。 ・私たちも、自分の正義を強く握りしめる時があります。その結果、神様の導きに耳を閉ざし、周りとの関係を失い、気づけば暗く冷たい“魚の腹”のような孤独に沈んでしまうこともあるのです。 3) ・ヨナのような最善ではない祈りが、私たちの普段の祈りかもしれません。でもたとえそうであったとしても、神は傍に立って聞いてくださいます。 ・それは、イエス様はヨナの話を引用され、この時のヨナの姿をご自分の十字架の死と重ね合わされたからです。イエス様は私たちの孤独や言い訳をすべて背負い、十字架の死と“よみ”にまで降られたからです。 結) ・放蕩息子の兄は、父に宥められた後で祝宴に参加したでしょうか?ヨナは、ヨナ書で書かれている話の後、どうしたと想像しますか? ・教会は、赦しと喜びのパーティーが広がる場所です。今は納得できなくても、この交わりの中で私たちの祈りは少しずつ変えられていきます。

    47分
  5. 8月3日

    聞いて嘆いて近づこう(詩篇40篇1節~17節)

    序)感謝と嘆きに挟まれて ・個人と共同体の歩みの交差点である礼拝で、人生を背負って歌う感謝の歌(新しい歌)が嘆きの日々を乗り越えていく力になる。 ・感謝と嘆きに挟まれて「巻物の書」「みおしえ」を聞くのが礼拝。 1)「いけにえや穀物のささげ物」の位置づけ ・旧約の礼拝は「ささげ物」中心で、新約は「みことば」中心という表現は不適当である。みことばを聞くことは、いけにえやささげ物で交換・代替されるものではなかった。(Ⅰサムエル 15:22 参照) ・旧約時代、いけにえなしに神に近づくことはできなかった。いけにえは自分が聖なる神の前に近づき難い者だという自覚の表現である。(詩篇51:17 参照)神に近づいて、神に聞くことが求められている。 ・新約において神に近づくためのいけにえは不要。なぜなら、イエス様が完全ないけにえとして永遠にささげられたから。むしろ、いけにえを用意してはいけなくなった。イエス様を信じるとは、聖なる神に近づく基準を満たしていないことを知りつつ、なお大胆に神に近づくこと。 2)神が求められること=神のニーズ ・「いけにえ(レビ 3:1)」「穀物のささげ物(同 2:1))」「全焼のささげ物(同 1:3)」「罪のきよめのささげ物(同 4:3)」は、神に近づくための「道」であり、旧約時代の人間のためのもの。 ・神には物質的なニーズはない。神のニーズは人格関係的なものである。神に愛された人が神を愛し、共に生き、栄光を分かち合いたい。 ・私たちが神に聞き従う時、神は満たされる(私たちは聖霊に満たされる)。それが可能になるように「耳を掘って(開いて)」くださる。 ・「耳が開かれる」とき御言葉が「自分のためのことば」として聞ける。これを神学のことばでは「聖霊の照明」と呼んでいる。 ・「耳が開かれる」とき「みこころを行うことを喜びとする」態度が生まれる。週ごとの礼拝で、みおしえが「内臓」に刻まれていく。 結)「みおしえ」がもたらす神の国 ・「みおしえ」=トーラー(=「十のことば」がその核心)であり、神の国を創造することばである。ダビデ王家から、教会という神の王族へ。 ・旧約時代、祭司は毎日礼拝し、王族は週ごとの礼拝が理想とされ、民は年に三度の礼拝に招かれた。私たちが継承しているのは王族の礼拝。

    47分
  6. 8月3日

    苦しみの中の喜び(詩篇70篇1節~5節)

    序)誰が何を「思い起こすため」なのか ・詩篇 70 篇は 71 篇の導入として語られていると考えることができる。70 篇の表題には「記念のために」ということばがあり、「思い起こさせるために」ともヘブル語で訳すことができる。それでは、「誰が何を思い起こすために」この詩篇 70 篇は書かれたのか。 1)神への叫び ・「神よ」「主よ」という呼びかけの違いは、ここでは、この世界のすべてを支配する全能者としての「神」という名と、私たちを助けてくださる方である個人的な関係としての「主」という名前で呼び分けている。 ・詩篇71:5.17をみると、若い頃を思い出していることから、いい大人だったのではと考えられる。そして、いい大人だった詩人は切迫した緊張状態の中、恐怖を感じ焦りを経験し、全能者でありわたしたちを憐んで助けてくださる主に助けを必死に求めた。 2)神に信頼する共同体 ・3 節には詩人のいのちを探し、滅びを求めている敵たちについて書かれ、4 節では 3 節までの敵と神を信頼する共同体が対比されている。 ・1~3 節までは「神様・私・敵」だけ見えていたが、4 節には「あなたを慕い求める人たち」とあり、神に信頼する共同体が自分には与えられていることを思い起こした。 3)神を知ることは、自分を知ること ・詩人は、主権者である神を賛美する中で、神の前に出たとき自分がどれだけ小さい者なのか自分の小ささ貧しさに気づいた。 ・宗教改革者のカルヴァン「神を知るということは自分を知ることである。」⇒神とはどういう方か見えたとき、私たちは自分がいかに小さく、助けを必要とする存在なのかを知る。真の自分を知るとき神の主権がどのようなものかも知ることになる。 結)苦しみの中なぜ喜ぶことができるのか ・神の主権の中で、神の共同体が与えられていることを思い起こすとき、苦しみの中でも私たちは喜びと希望を見出すことができる。

    30分
  7. 7月27日

    「十のことば」と神の国(申命記4章5節~13節)

    序)律法は、神の国を生み出すことばである ・律法は、堕落した世界にもう一度、神の国を生み出すための「ことば」としてモーセを通して与えられ、イエス様によって体現され、完成した(マタイ 5:17)ものであり、その中核に「十のことば」がある。 1)「十誡」か「十のことば」か ・文語訳聖書から十誡という訳語が用いられ、口語訳、共同訳に引き継がれているが、仏教用語を借用した可能性が高い。 ・仏教の十戒は、出家した人がこれを守ることで悟りを開き、よりよい来世に至るためのもの。聖書の十誡がと同じ機能をもつと考えてしまうと「行いによる救い」になるし、そこでいう「救い」も来世的になる。 ・聖書の関心は、来世ではなく現世にある。「いのちに入る」=「神の国に入る」という福音書の表現は、申命記 4:1 に出処がある。約束の地で律法を実行して、幸せになることを「いのちに入る」と言っている。 ・「十(エセル)」には「共同体を形づくる」という語義があり、それが「十のことば」の所以。戒めの数がぴったり 10 かどうかも関係ない。 2)新約時代の律法の学び方 ・「十のことば」を根本原則として旧約聖書には多くの「掟と定め(ルールと制度)」がある。これは当時のイスラエルが約束の地で実行することが前提になっている。新約では、約束の地が全世界に広がっている。 ・マタイの福音書 28 章 18~20 節は、申命記を普遍的に言い直している。 ・特定の時代と文化の中で生まれた律法を、別の時代と文化で実行するには本質と目的を理解して、ルールや制度に隠された知恵を見出し実行する必要がある。本質は愛(ガラテヤ 5:14)で、目的は自由(ヤコブ 1:25) ・旧約においては、贖いの血は動物だったので効力が弱く、イスラエル限定であり、儀式を繰り返す必要があった。しかしイエス様の血は効力が最大であるので全世界に神の国は広がり、儀式はもはや不要になった。 3)私たちは律法を行うことができるのか ・5 節の「見なさい」は、神に逆らう古い世代は滅び、神様が新しい世代を起こし、彼らが約束の地に入るという事実。律法の前に、滅ぶべきものは滅び、そこに新しいいのちが始まる。 ・これが私たちの内側で起こる変化の比喩である。生まれながらの努力では律法は行えないが、キリストと共に生きることにより行える。 結)「律法を守る」とは ・「守る(シャマール)」は観察し、見張り、見守るという意味である。 ・御言葉を理解し、自分の心を見張り、新しい思いを見守り育てるなら、私たちは「十のことば」を体現し、神の国を創造することばとなる。

    46分
  8. 7月20日

    ゲヘナではなく平和を(マルコの福音書9章42節~50節)

    序)言葉を理解する基本と例外 ・言葉は文脈の中で理解する。諺(ことわざ)の類は少し例外であるが、社会の文脈の中で意味を成す。 1)マルコ 9 章後半の大きな文脈 ・33 節で「誰が一番偉いか」という議論があり「誰でも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者に」と諭された。 ・38 節でヨハネは要らない派閥意識を持ち出して叱られる。 ・42節は「誰が一番偉いか(△)」にこだわり続ける態度の問題性が話題 ・「誰が一番偉いか」という議論を放っておくと平和が壊される。 2)「小さい者たちをつまずかせる」の意味 ・42 節は 41 節との対比である。「つまずかせる」とは「誰が一番偉いか」という△の生き方に人を巻き込むこと。 ・「小さい者」と言われ「子ども」と言われていない。これは「偉い」の対義語。イエス様を信じて▽に生きようとしている者を指す。 ・成長や競争自体が否定されているわけではない。強さは仕えるために。 ・「大きな石臼を~」はギリシア語の文法の中で最も可能性の低い条件文であり、比較対象は「ゲヘナに投げ込まれる」より良いと言っている。 ・石臼は、船の安定のために船底に置かれていた錘のこと。 3)「ゲヘナに投げ込まれる」の意味 ・「手(3:5)」「足(2:11)」「目(8:25)」はマルコの福音書の中でイエス様が救われ、癒された部位である。それは肉体的癒しと共に、霊的意味をもっていた。このイエス様の救いの結果が、△レースを促進することになるなら捨ててしまえという強烈な皮肉になっている。 ・「ゲヘナ」とは①エルサレム南西部にある谷「ヒノムの谷」のこと②そこでエルサレムのごみの焼却処理がされていた③ごみ処理場になる前は「子どもを火にくぐらせる」非人道的な宗教儀式の場であった(Ⅱ歴代33:6)④これがバビロン捕囚を招き、エルサレム陥落の際、戦死者がこの谷に投げ込まれた→「ゲヘナに投げ込まれる」とは、人の尊厳が奪われ、モノ同然に焼き捨てられる戦時下に起こる最悪の状態を指す。 結)ゲヘナではなく平和をもたらすことは可能である! ・「火によって塩気を」の「火」はゲヘナからの連想だが the に相当する定冠詞がないのでゲヘナの火ではない。諺のようなもので、具体的には「イエス様の言葉(熱い心から出る言葉)」の意味。塩気は、悔い改め(方向転換)によって▽に向かう奉仕の生き方。 ・「ゲヘナ」を「地獄」と訳す翻訳がある。戦争犠牲者がごみ処理場に投げ込まれる世界はまさに地獄。死後の霊的な刑罰の場の意味ではない。

    50分

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番組について

キリスト教たんぽぽ教会の礼拝で語られたメッセージ音源です。

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