軽井沢、「万平ホテル」を愛した、時代小説家のレジェンドがいます。
池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)。
戦後の日本を代表する、時代小説、歴史小説の書き手であるだけでなく、味わい深く示唆に富んだエッセイでも有名です。
三大シリーズと呼ばれる、『剣客商売』『鬼平犯科帳』、そして『仕掛人・藤枝梅安』は、今も多くのファンに読み継がれ、何度も映像化されています。
池波が初めて軽井沢を訪れたのは、彼がまだ10代の頃でした。
小学校を出ると、家計を助けるため、すぐに仕事につき、13歳のときには、株式仲買店で働きながら、小説を書いていた池波。
友人と二人で行った夏の軽井沢は、ある意味、後の作家人生の伏線になるような、思い出深い旅になりました。
南アルプスで遊び、八ヶ岳山麓をめぐり、星野温泉に宿泊。
当時の軽井沢は、街並みに、江戸の宿場町の風情を残していました。
晩夏の街道に人影はなく、いかにも長脇差を腰に、さんど笠を被った「沓掛時次郎(くつかけ・ときじろう)」が歩いてくるようだったと、エッセイ『よい匂いのする一夜』に書いています。
『沓掛時次郎』とは、「股旅物」を世に広めた大家、長谷川伸(はせがわ・しん)の大人気戯曲。
そのときの池波は、のちに、自分が長谷川伸に弟子入りするとは、思いもしなかったことでしょう。
さらに、沓掛とは、江戸から数えて19番目の宿場で、そこは、現在の中軽井沢に位置します。
軽井沢は、池波の作家人生を支える、大切な場所になりました。
別荘を持たなかった池波ですが、特に軽井沢の「万平ホテル」は、彼にとって大きな存在でした。
10代で初めて「万平ホテル」に泊まったとき、年齢を偽って21歳としても、ホテルのひとは問いただすことはありません。
一人前の大人として扱ってもらったこと。
そのときの喜びと身が引き締まるような思いを、生涯、忘れませんでした。
池波は、師匠、長谷川伸に、いくつかの言葉をもらいますが、特に忘れられないものに、この言葉をあげています。
「絶えず自分を冷たく突き放して見つめることを忘れるな」
人情やユーモアを大切にして、常に弱い者の視点を貫いた池波の、根幹。
そこには、冷静に、己の生き様を見つめる眼がありました。
67年の生涯を「書くこと」に捧げた文豪・池波正太郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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- Published1 March 2025 at 09:27 UTC
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