残間光太郎の"闘うものの歌が聞こえるか"

「いつも心に〝たまたま〟を」のアウト老ノベーション(1622回)

マイブーム、ゆるキャラなどの造語を生み出した、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンとして幅広く活躍されている、みうらじゅんさんの、人生哲学に触れた気がして感動しました

曰く

"先ずは、「僕は何者なのか?」を知るところから始めなければならない。そして、「何者でもない」ことを知るべきなのだ。たまたまこの世に生を受けただけじゃん! その通称〝たまたま〟が正体なのに、何を恐れ、悩むことがあるだろうか?"

"ここでひとつ重要なのは、面白くするのも、つまらなくするのも、自分次第であるってこと。"

"結局、何者でもないのだが、ここのジャッジとプレイは委ねられる。もう、好き嫌いなんて言ってる場合じゃない。生き物には寿命があるからだ。ちょっとでも気になったら食らい付く。"

"いよいよ僕も世間で言われるところの高齢者となったが、こちとらはみ出し老人。「いつも心に〝たまたま〟を」のアウト老。"

ここから私は思いました

1、生まれたこともセレンディピティ

2、自分次第で全ては解釈可能

3、自らの魂の源の理解  

1、生まれたこともセレンディピティ

大好きな、みうらじゅんさんの、人生哲学にまたしても感動してしまいました。この"たまたま"は、生まれたことでさえ、セレンディピティで、偶然の幸運に過ぎない、ということかと思いました

セレンディピティに関しては、ライフネット生命の出口治明さんの、人本旅、のお話がすごく好きで、人と会うこと、本を読むこと(昔の人と出会う)、旅をすること(異世界の人と会う)ことが

セレンディピティを高める方法としてはあるなあと常日頃思ってます。幸運を拾う確率が同じだとすれば、その出会いの数を増やすことで、確率は上がらなくても、数を増やすことができる

イノベーションや、発明には、このようなセレンディピティもとても大事なので、普段からそんな活動をすることによって、幸運を拾う可能性が高まると

みうらさんのいっている"たまたま"が、そんな活動をした結果、自分が生まれたのかどうかはわかりませんが、いずれにしてもこれを、自分にとっては、最も重要なセレンディピティの始まりだったと考えてもいいなあと思いました

2、自分次第で全ては解釈可能

いつもお話しするニーチェの解釈論も、みうらさんのお話にはあって、最後に自分次第という、重要な解釈の余地があるということだなあと思いました

真実はない、あるのは解釈だけである、のとおり、起きた事象は変えられないが、それをポジティブに幸運と捉えるのか、ネガティヴに失敗と捉えるのかで、人生は180度変わっちゃう

それがわかってるだけで、100万人がネガティヴな反応をしていても、自分1人が、これは幸運なんだと思うことができれば、素敵な人生の連続にできるかもしれない

だって全ては、"たまたま"のセレンディピティから始まってるんだから、というのは、とても生きる上での力を抜いてくれて、また逆に勇気を頂なるなあと思いました

3、自らの魂の源の理解  

そして、最後の解釈の物差しとなるのが、私は、自らのパッションの源が、何なのかを理解しておくことかなあと思いました

サラリーマン時代は、自分の頭は、会社のジョブを解決することにほとんどの頭を使ってましたが、じゃあ自分のジョブは何だっけ?にほとんどの頭を使うことができなかった気が、今思えばします

自分自身が何のために会社に入ったのか?どんな人になりたかったのか?何を成していきたかったのか?忙ししさにほとんど考えることがなかってような気がします

みうらさんは、その部分に関しては、自らのパッションの源が、自然とわかっていて、そして自然と選択してきている、そんな方なのかなあとも思いました

私は常日頃それを忘れてしまうので、さまざまなセレンディピティが起きた時に、それを幸運とするのか、不幸とするのか、幸運とするには、自分のパッションの源は何で言ってるのか?

こんなことを解釈のメジャメントにできるようになりたいなあと思いました。そんでそんな追い方をしていきたいと

ということで、一言で言えば

「いつも心に〝たまたま〟を」のアウト老ノベーション

そんな風に思いました^ ^

参考:本: アウト老のすすめ 2025年4月20日 発行 著者 みうらじゅん  発行所 株式会社文藝春秋

動画で観たい方はこちら

https://youtu.be/xt0gX8t6E1o