🔶「お手紙(御文章)と本願寺」
浄土真宗の教えが全国へ広がる過程で、大きな役割を果たしたのが「手紙」でした。室町期に本願寺の宗主・蓮如上人(れんにょ しょうにん)が人びとに向けて書き送った文書は、のちに『御文章(ごぶんしょう)』として編纂され、真宗大谷派(東本願寺)では『御文(おふみ)』とも呼ばれます。ここでは、その要点をやさしく整理します。
🔶蓮如上人と『御文章』
・著者は浄土真宗本願寺派の第八代宗主・蓮如上人です。
・本願寺派では**『御文章』、真宗大谷派では『御文』と呼びます。
・門信徒に平易な言葉で教えを伝えるための手紙で、のちに『五帖御文』としてまとめられ、法要やご法話で今も拝読されています。
🔶時代背景(室町時代)
・寛正(かんしょう)の大飢饉や戦乱で、人びとの暮らしは困窮していました。
・識字率が高くない中でも、朗読・回覧に適した平明な手紙が大きな力を発揮しました。
・ちょうど宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき)の頃と重なり、教えを正しく広く伝える必要が高まっていました。
🔶『白骨の御文』のエッセンス
・『御文章』で最も知られる一節が「白骨の御文(はっこつのごもん)」です。
・「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となる身なり」と、いのちの無常を示し、
阿弥陀如来(あみだ にょらい)の本願に身をまかせ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏して生きる道を勧めます。
・現在も法要・通夜・ご法話で拝読され、いまを生きる私に向けた言葉として息づいています。
🔶「メディア」としての手紙、そして現代
・交通・通信が乏しい時代、手紙(文書)は最強のメディアでした。
・一通の手紙を読み聞かせ・回覧することで、非識字層にも教えが届きました。
・現代は書籍・新聞・ラジオ・テレビ・インターネットと媒体が移り変わっても、
「誰にでもわかる言葉で、いのちの問題に応答する」という蓮如上人の姿勢は変わりません。
🔶まとめ
・正称は『御文章』(大谷派は『御文』)。著者は蓮如上人(本願寺派 第八代宗主)です。
・背景には寛正の大飢饉と宗祖大遠忌があり、平明な手紙が教えの全国的な広がりを後押ししました。
・『白骨の御文』は無常の事実を直視し、阿弥陀如来の本願にまかせる念仏の道を示します。
・媒体が変わっても、やさしく・正確に伝えることが『御文章』の今日的意義です。
来週のテーマは「お布施(その一)」です。どうぞお楽しみに。
お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の
高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。
お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
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- FrequencyUpdated weekly
- Published5 November 2025 at 09:20 UTC
- Length9 min
- Season1
- RatingClean
