残間光太郎の"闘うものの歌が聞こえるか"

祖父の認知機能から神経科学への研究ノベーション(1618回)

第四弾!島田代表の研究人生がどのように始まったのか!「感情を資産に」を目指す画期的なソリューション「LUMION」を展開する株式会社ココリーチの島田代表

高校生のロボコン優勝から、何故大学で神経科学を研究し、今の事業に至ったのか、までを振り返って語っていただきました。

どうすれば島田さんのような研究人生を送れるのか、子育てや教育に携わる方々にも参考になる話かと思います。是非是非、ご覧くださいませ。

1、高校〜神経科学に関心を持つまで

・高校生の当時、自分は割と研究者になりたいみたいな気持ちが強くて、また物作りとは離れたとこではあったんですけど

・祖父が、高校3年生で亡くなったときに、いわゆるせん妄状態って言われるんですけど、高齢者の方が、入院とか退院とか繰り返す中で

・普段のご自宅じゃない別の環境に入院で移った時に、環境に適応する能力が落ちてってるので、認知機能が著しく一時的に落ちちゃうんですね。

・そうすると、入院中やっぱりぼけちゃうみたいな発言が、いわゆる多くなるんですね

・例えば、今、僕はどこに旅行に来てるんだっけみたいなことを入院中に話し始めちゃったりとか

・いつも誕生日にサプライズでなんか用意するぐらい、前のめりな祖父だったんですけど、私の誕生日忘れちゃってたりとか

・そういうのが結構自分はショックで、認知機能が下がってると、普段好奇心旺盛な人とかが、ぼーっとして、何もする気がなく、無気力になっちゃったりとか

・優しい人が怒りっぽくなっちゃったりとか、そのパーソナリティの変化みたいなのも見られるんですね。

・それを見て、ショックだったんですけど、祖父の頭の中に何が起こってるんだろうみたいとこを、解明したいというか、理解することでショックを和らげたいみたいな気持ちも当時出てきて。

・そこからなんかこう、じゃあ高校生でも読めるようなものから、だんだん論文になってって、神経科学っていうカテゴリーの学問に興味を持つようになったっていうのがきっかけでしたね。

2、大学進学(SFCを選んだ理由)

・元々はお医者さんになりたいなみたいな気持ちもあって、お医者さん目指す子が多かった中高に入学してたんですけど

・日本の今のその当時の医療システムだと、最初医学部入ると、お医者さんになるための勉強、国家資格取るためにやるので、なかなか研究はできないんですね。

・自分自身はもっと早く研究がしたい気持ちが強かったので、SFCっていう慶應義塾大学の環境情報学部に、大学・学部は入ったんですけど

・そこが、当時有名だったのは、1年生から研究会に所属する権利がある。もちろん研究会に受け入れてもらう必要はあるんですけど

・そういうことができる学校だって聞いたんで、自分はお医者さんになりたいわけじゃなくて、研究がしたいんだっていうとこで、SFCに入学したっていう経緯です。

3、コロナ禍での模索と実務経験

最初交換留学でいきたかったんですけど、コロナになっちゃって、交換留学とかも出せなくなっちゃって。

・当時は研究したくて入ったのに、研究もできなかったんですよ、対人の実験が、コロナのせいで。

・やることなくて休学して、フルタイムでベンチャーさんで働いてみたりとか

・何を思ったのかドローン飛ばしてみたりとか、まやりたいこと一通りやったんですけど。

・でも、その時にいただいた営業とか、マーケティングのお仕事が、今のサービスにも繋がってたりもするので、自分としてはすごいいい経験だったなとその時期も思うんですけど。

4、トロント大学での研究(学部後半)

・コロナが終わった後に、学部3年生だったんで、交換留学に出す権利はなかったんですけど

・たまたま研究室の先生が、一時いらっしゃったカナダのトロント大学にご紹介してくださるっていうことで

・トロント大学の研究室に半年間行って研究させていただいたりもしてました。

リハビリテーションに近い運動系の研究室だったんですけど、実際に実験も一緒にやって、卒論はその時の内容をちょっと含めて、学部の卒論は書かせていただいたんですけど。

5、研究→今の事業へつなげた経緯

実は、冒頭に話したスマートウォッチを高齢者の方に付けていただいて、生活習慣をスマートウォッチから、心拍含めてデータとして集めて

・生活習慣送ってる高齢者の方が認知症とか認知機能が落ちやすいのかみたいなところを、研究として6年くらい学部の時からやってて

・今も大学院でその研究は継続させていただいてるんですけど、元々それをやっぱ社会実装してサービス化したかったんですね。

・ただ、そこで課題になったのが、私たち世代ですら、Apple Watch流行ってるんで、つけてる人はいますけど、みんながつけてるわけじゃなかったりとか

・特に高齢者の方とかそういう習慣がないっていう中で、これで認知症は予防できますよってなったとしても、高齢者の方、つけたいっていう風に思わなかったりするんですね。

・それが結構課題というかハードルになって。その中で、まずは生体情報をやっぱりこう共有するっていう文化というか、習慣というか経験を

・消費者の人に持ってもらわなきゃいけないんじゃないかっていうところで、今の自分の年齢だったり世代だったりとか、今までの経験でできることを考えてった結果、今の事業になったっていう経緯です。

・もちろん、背景には祖父が認知機能下がっちゃって、どういうこう気持ちでいるのかがわからないっていう、家族としてのモヤモヤだったりとか

・マーケティングとか営業やってる中で、じゃあその上司から、消費者の心理を予想しながら企画を作れとか言われて

・でもそんなの無理だよとか思いながらもやってたりとかしてたんで、そういう経験とかも入ってはいますね。

ということでした。祖父への思いから神経科学への研究人生、そしてそこからの社会実装として事業化への思いが溢れておりました。

そして、明日は最終回、第五弾、ついに、どのように起業へ至ったのか、そして、これから目指す方向性、さらには、イノベータへのメッセージまで、語っていただきます。

明日も是非是非お楽しみに!

参考:株式会社ココリーチホームページ

https://www.verniytech.com

動画で観たい方はこちら

https://youtu.be/hG2T8zwEfvQ