高千穂さんのご縁です。

【仏教とお米】迷信に惑わされずに歩む 一椀のご飯が教えてくれる“いのちのつながり”

🔶「仏教とお米」に宿る“いのちへの感謝”

秋は実りの季節です。お米をいただくたびに、たくさんの“いのち”のつながりに支えられて生きていることを思い出します。今回は、浄土真宗における「御仏飯(おぶっぱん)」を中心に、お供えの意味や作法、迷信との向き合い方までを整理してご紹介します。

🔶御仏飯の意味を学びます

御仏飯とは、炊きたてのご飯を仏さまにお供えすることです。

「今からいただく食べ物は、私のいのちを生かす尊いご縁です」と確かめ、仏さまの光の中で感謝を表します。

浄土真宗では、亡き人への“施し”というより、今を生きる私が“いのちの事実”に気づくためのご縁として大切にします。

🔶器と置き方を整理します

ご飯を盛る器は「仏器(ぶっき)」といいます。

お内仏(仏壇)では、中央の阿弥陀如来、左右の親鸞聖人・蓮如上人の前にお供えします(お家の荘厳により並べ方は異なります)。

量は多すぎる必要はありません。まごころをこめた“ひと椀”で十分です。

🔶正午までに下げます

御仏飯は原則として正午までにお下げします。

これは、釈尊の時代から伝わる「過午不食(昼を過ぎて食さない)」の戒めに由来します。

お下げした御仏飯は、感謝をもって家族でいただきます。供えたものを無駄にせず、“お下がり”としていただく姿勢が大切です。

🔶水と華瓶(けびょう)を整えます

コップの水だけを「喉が渇くから」とお供えする考え方は、浄土真宗の趣旨とは少し違います。

仏前には一対の「華瓶(けびょう)」を置き、常緑の「樒(しきみ)」を挿します。

樒は“香りある清らかな水”を象徴し、仏さまへの敬いと感謝の心をあらわします。

🔶“好物のお供え”を考えます

故人の好物を供える気持ちは尊いものです。

ただし、浄土真宗では亡き人はすでに仏さまです。仏前には基本のお供え(御仏飯・華瓶など)を調え、好物は法要後に参列者でいただくなど、“いのちに感謝して分かち合う”形にするとよいです。

🔶避けたい迷信を確認します

ご飯に箸を突き立てる、通夜に火を絶やさない“火の番”、葬儀後に塩をまく――これらは地域の俗習・迷信によるところが大きいです。

火気のつけっぱなしは危険ですし、恐れや穢れの観念で亡き人を遠ざける発想は、阿弥陀さまの平等の救いにそぐいません。

“感謝と念仏”を要に、安心・安全を優先した実践に整えましょう。

🔶今日からできる“ひと手順”をまとめます

朝、炊きたてのご飯を小さく盛って仏器に供える。

一礼し、声に出さずとも「いただきます」と心で称える。

正午までにお下げし、感謝をもっていただく。

華瓶の樒を清潔に保ち、仏前を整える。

迷信で不安にならず、念仏と感謝を深める。

🔶今週のまとめ

御仏飯は、私たちが“いのちのご縁”に気づき直すための、毎日の小さな礼拝です。

お供えは仏さまへのお礼であり、同時に自分自身の心を正す実践でもあります。

一椀のご飯から広がるたくさんのつながりに手を合わせ、今日の一日を丁寧にいただきましょう。

来週のテーマは「仏教とSDGs」です。どうぞお楽しみに。

お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。