流れのほとりに

夜明けに向かって生きる(ペテロの手紙第二1章16節~19節)

序)今の世界は「長い夜の闇」

・キリストの誕生を祝う日を定める時、人々の心に「冬至(古代の暦では 12 月 25 日)」が思い浮かんだ。

1)暗闇は価値観を混乱させる

・宝石は、光の下で輝く。闇の中では、ただの固い石である。大きさと重さだけが評価基準になるかもしれない。

・人間も闇の中では価値がわからなくなる。

・Ⅱペテロ 1:2「私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって、私たちと同じ尊い(信仰を受けた)方々へ。」

・聖書は私たちを唯一無二の宝石のように「尊い方々」と呼びかける。

2)暗闇は近視眼的な生き方に誘う

・闇の中では、目の前のことしかわからず、目の前のことで一喜一憂してエネルギーを消耗し、平安を失う。「今さえ良ければ」と「待つ」という賢さを失うことが起こりやすい。

→人生経験や知恵は一筋の光として役に立つことがある。しかし聖書の知恵は、死を越えて永遠の見通しを与える。

・いのちの意味、生きる方向性を見出せないなら、闇の中にいる。

3)強い信念ではなく信頼~「巧みな作り話」ではないから~

・信念は、自分が妥当だと思う考え方を採り入れ、その思いを強く持つこと

・信仰は、信じる/信じないにかかわらず、私の外におられる神様への信頼

・「巧みな作り話」とは「神話・おとぎ話」の類で、歴史の事実と無関係。

→キリストの来臨はこの地球で歴史のただ中で行われた反復不能な神の介入の事実である。福音書の語りは目撃証言で構成されている。

・最初の「来臨」はクリスマスから始まった。人類史上、最初の「夜明け」と言える。最後は十字架という呪いの死を跳ね飛ばして、よみがえる。この人知と常識を超えた出来事が歴史の事実であると告げるのが福音!

・この福音が伝えられ、聞く中で、神が人の心にキリストを見せてくださり、自分の人生を任せられる相手として信頼できるようになる。自分も「神の愛する子」であり、存在が喜ばれているとわかるようになる。

・もう一つの「来臨(再臨)」がある。世界は夜明けを迎える約束である。

結)聖書のことば(預言のことば)の力

・聖書は、私たちの心に夜明けを確信させる星のような光を与え、神のまなざしで自分と世界を見るように導いてくれる。