自分は何をしていけばいいんだろう、とか、社会での自分の役割って何だろうなんてことに、結構悩んだりしますよね。
そんな時に「好きなことをすればいいんだよ」とか「得意なことを伸ばせばいい」なんて言われたりします。しかしここは、案外難しいポイントです。「好きなこと」「得意なこと」仕事にできればいいんだけれど、なかなかそうはならないと悩んでいる人が多いと思うのです。
僕自身も校閲が好きで新聞社に入ったわけではないし、得意でもない。もちろん、校閲が天職だと言っていた同僚もいました。それは幸せなことだろうし、うらやましく思ってもいました。「自分の好き」が見つけられなくて、あれこれ迷い戸惑うことばかりだったのです。ところが、時間はかかったけれど結果的に、僕は自分の好きな仕事にたどり着くことができました。
新聞記者って何でも自由に好きなことを書けるかというと、そうでもない。紙面は限られているし、紙面を独占するなんてことは、不可能に近い。編集委員という専門記者でも、毎週自分の好きなテーマだけでコラムを何年も書くということはできない。紙面を独占できないからです。そこは会社の論理もあります。
それにもかかわらず、記者の訓練を受けることもなく、校閲も得意ではなかった僕が、約10年にわたって毎週、漢字や言葉にまつわるコラムを書き続けることができたんです。最後は自由にエッセイみたいなことを書いていました。実は、言葉や漢字についても、詳しかったわけではなかったんです。
いま振り返ると、とても不思議な感じがしているんです。タイミングや運もあったのかもしれません。ただ、文章を書きたいとずっと思い続けていたんです。ルーティーンの仕事もあるし、そのチャンスはほとんどないと思っていまた。それでも、ひたすら思っていたんです。あるとき、ほんの一つ、目の前に現れた細い糸をつかんで、それを丁寧に紡いでいっただけなのです。それだって、長く続くとは思っていませんでした。
何を言いたいかというと、今の仕事、これからの仕事に満足や納得がいかないにしても、心の中に小さな炎を燃やしておくことは、とても重要だということです。大きなことでなくてもいいと思うんです。日々の糧を得るために納得のいかない仕事をしていたとしても、歌が好きなら歌っていればいい。料理が好きなら料理を作っていけばいい。本を読むことが好きなら本を読み続けていけばいい。興味をもったこと、かつてやろうと思ってできなかったことに目を向けてみればいい。大きなことを考えなくてもいいんですよね。細い糸を大切に紡いでいって、本業の脇で少しずつ、それを育てて大きくしながら、発信していけばいい。10年続ければ、それなりになりますよ。時間は掛かるけれど、「ちりも積もれば山となる」という言葉もある。
いまは、結果を早く出そうとするからつらくなる。人生100年です。小さな炎を燃やし続けて、チャンスが来たら細い糸を丁寧に紡いでいけば、好きと得意が育っていくはずです。
情報
- 番組
- 頻度アップデート:毎週
- 配信日2025年3月10日 2:00 UTC
- 長さ17分
- 制限指定不適切な内容を含まない