ぼやき牧師/富田正樹@iChurch.me: 三十番地キリスト教会

Masaki Tomita
ぼやき牧師/富田正樹@iChurch.me: 三十番地キリスト教会

こちらは「ぼやき牧師」こと富田正樹のポッドキャストです。 礼拝メッセージ、ショートメッセージ、また対談やインタビュー番組の音声を放送します。 リベラルなキリスト教のお話をお聞きになりたい方はどうぞおいでください。

  1. 9月8日

    【感謝が先、それから良くなる人生】2024年9月8日(日)枚方くずは教会宣教 by ぼやき牧師|富田正樹

    #枚方くずは教会 #今を生きる #感謝 聖書……新約聖書・テサロニケの信徒への手紙(一)5章16−22節(いつも喜んでいなさい、たえず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい) 宣教……「感謝が先、それから良くなる人生」 【メッセージの要旨】  人間、頭が暇になると、ろくなことを考えません。  私は先日風邪を引いておりましたが、熱に浮かされながらぼーっとしていると、良からぬ考えで頭がいっぱいになりました。  過去に対する後悔、未来に対する不安。そこから脱するには、暇をやめて「今を生きること」、「今に一心になること」しかないのかもしれません。  子どもの頃から私は、「死」というものを考えることにとりつかれてきたので、それが宗教の道に入るきっかけになったと思います。  そんな私は、今は60歳前になり、自分と同年配の人や、自分の大切な人を何人も天に送るという経験を頻繁にするようになりました。  そんな時に、いつも思うのは、「この人は自分の人生、良く生きたと思ったのかな」、「生きていて良かったと思えたのかな」ということです。  「人の救いとは何なのか」ということをよく考えますが、人間の救いは結構「この世的」なところにあるのではないでしょうか。特に、どんなに後悔の多い人生であったとしても、死ぬ前に「ああ、生きてきてよかったなあ」と思えたら、それ以上の救いはないのではないでしょうか。  そして、そのように思えるためには、今日の聖書の言葉どおり、「いつも喜ぶこと、たえず祈ること、どんなことにも感謝すること」だと思います。  特に感謝することは大事です。  普通は人間は、良いことがあれば感謝します。しかし、逆に大事なことは感謝を先にすることだと思います。感謝が先にあって、人生が良くなるのではないでしょうか。  「今を生きること」、「どんなことにも感謝すること」、これが「生きていて良かった」と思えるための秘訣ではないかと思います。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://www.instagram.com/stayfoolish_me/ フェイスブック→https://www.facebook.com/masakiat 過去のホームページ「三十番地キリスト教会」→https://www.tom-yam.or.jp/ichurch/

    24分
  2. 9月1日

    【「違う」から愛し合える〜私の差別体験より】2024年9月1日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かしby ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #差別 #民族 聖書……旧約聖書・創世記9章18−28節(ノアと息子たち) 説き明かし……「『違う』から愛し合える〜私の差別体験より」 【メッセージの要旨】  私は差別していました。  自分の英語力の無さにもかかわらず、特定の民族の英語のイントネーションを「聞き取りにくい訛り」と表現したことが、カナダでは民族差別に当たるということを初めて聞きました。  思えば、日本社会でも発音の違いから在日コリアンが虐殺されたという出来事がありました。今日は9月1日ですが、101年前の今日、そうやって在日の人たちが虐殺されました。  今日の聖書の箇所(ノアとその息子たち)の箇所は、人種主義による差別の正当化のために使われてきた聖書箇所のうちのひとつです。私たちは差別を根拠付けるために聖書を用いるという罪を犯しうるのだということを自覚しないといけません。  私たちはそれぞれ違う民族性を持っています。日本人の多くは「同じ」であることを確認するためにコミュニケーションを取っているように見えますが、例えばカナダのような多民族社会では、「違う」ことを前提に共通理解を探るためにコミュニケーションの作法や技量を磨いているようなところがあります。  考えてみれば、日本人どうしでも、本当はみんな「違う」はずなのですから、同調圧力で疲れ切っている人もいるはずです。違っていて当たり前という前提で人間関係を考えるほうが楽になれるのではないでしょうか。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://www.instagram.com/stayfoolish_me/ フェイスブック→https://www.facebook.com/masakiat 過去のホームページ「三十番地キリスト教会」→https://www.tom-yam.or.jp/ichurch/

    26分
  3. 8月4日

    【平和をつくるという反逆】2024年8月4日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #平和聖日 #ホモ・サピエンス #戦争 聖書の引用……旧約聖書・創世記4章1-16節(カインとアベル) 説き明かし……「平和をつくるという反逆」by ぼやき牧師|富田正樹 【説き明かし:メッセージの要旨】  カインとアベルの物語は、人間というものが、同じ生物種を殺す特異な生物なのだということを洞察した物語です。人はアダムとエバの第1世代で神から離れ、カインとアベルの第2世代で殺人が起こります。人間とはそういうものなのだ、という悲嘆がここに表されていると言えるのではないでしょうか。  そもそもホモ・サピエンスというのは、他のホモ属よりも秀でて戦争が上手で残虐な種であったと言われています。そのために、他のホモ属を全て滅ぼして優位に立ち、現在まで地上の支配者となりました。  そして、その戦争の強さの背景、あるいは根底にあったのが、宗教心であったという説があります。見えない何者かを想像するまでに進化した脳を持ったサピエンスは、共通の見えないものによって守られ、その見えないものによって団結し、その見えないもののために命を捨てることに意味を見出すようになります。それにより、もっとも戦争の強い種族になったのでした。  したがって、ホモ・サピエンスはこの本性からして好戦的であり、そのような戦争好きな性質を支えているのが宗教だということなのです。  キリスト教は、変わった宗教です。このような人間の本性に反して、「敵を愛しなさい」、「七の七十倍赦しなさい」、「剣を取る者は剣で滅びる」、「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」……そのようなことを教える宗教です。これはおそらく他の宗教には見られないものです。  他の宗教はもっと現実主義的です。例えばイスラームは専守防衛ですが、攻められたら戦うという現実主義、合理主義的です。そして私は何人ものムスリムに「キリスト教よりも我々の方が現実主義的だ」、「キリスト教は自分たちの教えを守れていないじゃないか」と笑われたことがあります。  しかし、この守れてもいない絶対平和主義・非戦の教えを、イエスの命令として掲げ続けることがキリスト教の特質なのです。  イエスの命令はホモ・サピエンスにとっては「不自然な」命令なのです。しかし、クリスチャンはこれからでも、イエスのこの「不自然な」、「絵に描いた餅」のような命令についてゆきたいと思うのです。  それは人類の本性に対する反逆のようなものです。平和を作る者は幸いであると言われている、その平和をつくるわざは人類の基本的な傾向に対する反逆なのです。  それは単に無抵抗になって諦めるという意味ではありません。平和を作るという反逆を実行するのが、クリスチャンの企てなのです。イエスに着いて、この企てに参加しませんか。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimak

    29分
  4. 7月28日

    【生まれてこなければと思ったけれど】2024年7月28日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #非出生主義 #救い 聖書の引用……旧約聖書・コヘレトの言葉9章7-10節(あなたのパンとぶどう酒を喜べ。愛する妻と空しい人生を楽しめ) メッセージ「生まれてこなければと思ったけれど」 【メッセージの要旨】  皆さんは、「生まれてこなければよかった」、「生まれなかったほうがよかった」、「こんな人生になるなんて」と思ったことはありますでしょうか。  聖書には、日本語で「罪」と訳されている言葉があり、これは直訳すれば「的外れ」という意味になるそうです。別に「悪いこと」という意味には限りません。「こんなはずじゃなかった人生」も、いわば「本来の私の人生じゃなかった」、つまり「的外れ」だということも言えるのかもしれません。  では、この後悔の人生から、私を救ってくれるものは何なのでしょうか。  「救い」というのは、神学者が唱えるような高邁なものであるとは限りません。むしろ、飢えているときにひとかけらのパン、渇いているときの1杯の水があれば、私たちは「救われた」と思えるのではないでしょうか。救いというのは、非常に俗っぽいけれども、私たちが欠けているもの、足りないものを少しでも埋めてくれるものがあれば、それは私たちにとって大きな救いになるのではないでしょうか。  ですから、救いというのは「この世的」で俗っぽいものなのです。しかし、ぞの俗っぽい小さなものが私たちを救ってくれるのです。  喉が渇いているとき、1杯の水が与えられたとき、私たちは「生きていてよかった」と思えるのではないでしょうか。そして、一瞬でも「生きていて良かった」と思えたら、それ以上の幸福はないのではないでしょう。  実に、どんなに苦しい状況にあったとしても、「生きていてよかった」、「生まれてきてよかった」と思えることが、究極の救いなのではないでしょうか。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://www.instagram.com/stayfoolish_me/ フェイスブック→https://www.facebook.com/masakiat 過去のホームページ「三十番地キリスト教会」→https://www.tom-yam.or.jp/ichurch/

    24分
  5. 7月7日

    【半分は私のためにも】2024年7月7日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #聖マルティヌス 聖書……新約聖書・ローマの信徒への手紙12章15節(喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい) 【メッセージの要旨】  「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」これはパウロという苦労人が最後に書いた、彼の人生の集大成のような手紙に書かれている勧めです。  パウロはエルサレムから遠く離れたタルススという、今のトルコにある地中海沿岸の町の出身ですが、そこからエルサレムに留学して律法学者としての学びを修め、その熱心のあまりキリスト教徒への迫害のリーダーになりましたが、その途上で回心し、キリスト教徒になりました。  そのために、ユダヤ教徒から「裏切り者」として命を狙われ、ローマ帝国からは迫害を受け、キリスト教徒たちからは「かつての迫害者」として信用されずに恐れられ、おまけに何らかの「とげ」がその身に刺さっている、何らかの障がいか病気があるかもしれない、さらにはコリント教会のように、彼とは見解が違う教会が現れて、論争的な手紙も書かなければならない……そのような四面楚歌の状況でキリスト教の宣教を続けた人でした。  そんな孤独なパウロが「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という言葉を発したのは、彼がそのような数少ない人びとに助けられた体験がもとになっているのかもしれません。  この言葉を聞く時、私は聖マルティヌスの伝説を思い浮かべます。  聖マルティヌスは、凍える寒さの中、物乞いに自分のマントの半分を切って与えます。すべてを与えたのではなく、半分です。  すべてを与えることができたのなら、もっとこの話は美談になったのでしょうけれど、実際には半分でした。しかし、半分だからこそ、彼は物乞いと共に温かさと寒さを分かち合いました。つまり、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣いたわけです。  私たちのなかにも、仕事や、ボランティアや、近所付き合いなど、いろいろな場面で、人の役に立ったり、何かを与えようとしたりすることがあると思います。その時、ひょっとしたら、すべてを与えることのできない、自分の弱さや限界を感じることもあるかもしれません。  しかし、私たちは全てを与えることができなかったからといって、自分を責める必要はないのではないでしょうか。半分だけでも、与えることができたら上等なのではないでしょうか。  自分を守りつつ、相手を守る。それが許されているのではないでしょうか。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://w

    20分
  6. 5月6日

    【さまざまなパートナー、そしてパートナーのいない人にも】2024年5月5日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #セクシュアリティ #男と女 #天地創造 聖書の引用……旧約聖書・創世記2章18−25節(人に助け手が造られる) 説き明かし……「さまざまなパートナー、そしてパートナーのいない人にも」by ぼやき牧師|富田正樹 【メッセージの要旨】  主なる神が男と女を造ったという物語は、これまで多くの人を傷つけてきました。ここに男と女を造ったと書いてあるばかりに、人間の性は男と女の間だけで成立するものであり、また女と男以外の存在はありえない、あってはならない、独身でいることも罪である……などといった差別や排除が行われる根拠とされてきたのでした。  この聖書の箇所が、異性愛の麗しい愛を称賛していることは間違いありません。異性愛そのものは悪いものではありません。それはそれで素晴らしいものです。しかし、この聖書の箇所には「だから異性愛以外の性愛は神の意志に反する」とは一言も書かれていません。  つまり、聖書の言葉というのは、それを読んで利用する者が差別意識を持っていれば、差別のために聖書の言葉を使うということもあり得るのです。  また、聖書の中に、同性愛が書かれていないのは、端的に聖書を書いた人たちが生きていた時代や社会において、同性間の対等なカップルの存在が認識されていなかったからに過ぎません。  聖書に書かれていないことは色々あります。電気のことも基本的人権のことも女性の権利のことも、聖書を書いた人たちは知りません。しかし、現在の我々はその存在を知っている。聖書を書いた人たちがそれを知らなかったのは仕方がありません。しかし、現在の私たちが聖書の言葉を根拠に、いま目の前にある存在を否定するなら、それは聖書を読んで解釈する私達自身の姿勢が歪んでいるのでしょう。  ただ、この問題の多い聖書の箇所の中にも、唯一宝物のような言葉があります。それは「助ける者」「助け手」という言葉です。これは「神からの助け」という含みのある言葉であり、危機や苦難にあって人を救ってくれるような存在のことを指します。  相手が恋人であれ、配偶者であれ、友人であれ。お互いの救いとなるような「助け手」と出会えることを願いたいと思います。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://www.instagram.com/stayfoolish_me/ フェイスブック→https://www.facebook.com/masakiat 過去のホームページ「三十番地キリスト教会」→https://www.tom-yam.or.jp/ichurch/

    21分
  7. 4月14日

    【神の世界を壊したのはわたしたちです】2024年4月14日(日)徳島北教会オンライン礼拝 by ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #天地創造 #エデンの園 #アダムの創造 聖書の引用……旧約聖書・創世記2章4−9節(アダムの創造とエデンの園) 説き明かし……「神の世界を壊したのはわたしたちです」(富田正樹牧師)  創世記には2つの天地創造物語があり、今回の第2の物語を読みました。  第2の物語では、エデンの園のお話が記してあります。エデンの園が正確にどこにあったのかはわかりませんが、それはこの物語を語り伝えた古代の人たちにとっても、憧れの理想郷であったのであろうと思われます。  そこは、神のご意志どおりに造られた人間と、その人間のために最良のものを用意した世界がありました。そこでは、人間にとって最も基本的なもの、すなわち、しっかりと命の息を呼吸し、命の木をはじめとする、すべての良いものをしっかりと食べることが満たされていました。  しかし、いま私たちは、その世界を汚し、壊し、ないがしろにしてしまい、その結果、自分たち自身の体まで汚し、壊し、ないがしろにしてしまっています。これが神のご意志に反すること、すなわち「罪」なのであろうと思われます。  しかしいま、私たちが「わたしたちは罪人です」と告白する時、それは「私たちはこの世の山積する問題を責任をもって背負ってゆくのです」という宣言になるのです。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://www.instagram.com/stayfoolish_me/ フェイスブック→https://www.facebook.com/masakiat 過去のホームページ「三十番地キリスト教会」→https://www.tom-yam.or.jp/ichurch/

    20分
  8. 4月7日

    【イエスは誰も肯定しないし、否定もしない】2024年3月17日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹

    #オンライン礼拝 #徳島北教会 #レント #イエス #香油を注ぐ女 聖書の引用……新約聖書・マルコによる福音書14章3-9節(イエス、ベタニアで香油を注がれる) 説き明かし……「イエスは誰も肯定しないし、否定もしない」(「別れ際にあらわになるもの」を改題) 【メッセージの要旨】  レントには、イエスがこの世を去るときを描いた聖書の箇所が選ばれることが多いです。今回もそのひとつで、ベタニアで1人の女性がイエスの頭に香油を注ぎかけたという出来事のお話です。  この女性の、「頭に香油を注ぎかける」という行為は、当時の人びとに、古代のユダヤで行われていた王の任職式を連想させたでしょう。つまり、この女性は「イエスは私の王です。救い主です」と告白し、宣言したということになります。  これに対して、そこにいた男性たちは、「そんな高い香油は、売れば多くの生活困窮者を助けることができるのに」と憤慨します。  これに対してイエスは、「この女の人を困らせてはいけない。この人は私の埋葬の準備をしてくれたのだ」と言って、女性をかばいます。  かといって、この女性が「イエスは王です」と言ったことについて、イエスが「そのとおりだ」とも言っていません。  当時「油注がれた者」というのは、ローマ帝国の皇帝に抵抗する、もう一人の王、つまり帝国への反乱軍の指導者という意味になりますが、イエスは自分がそうするとは言っていません。ですから、この女性が油を注いだ意味をそのまま肯定したわけではありません。  かといって、そこにいた男性たちのように、「貧しい人たちに施そう」ということを肯定しているわけでもありません。  イエスは誰が自分のことをどうだと言っても、それを肯定はしないのです。つまり、誰もイエスの本当の思い、考え、願いを知りはしないのです。  そのかわりイエスは、誰も否定せず、傷つけないやり方で、自分は私たちの間から去ってゆくという予言だけをします。イエスの本意はわからない。けれども、イエスなしで生きてゆかなくてはいけない未来の予言だけはするのです。  イエスが一緒にいない。それが私たちの人生の現実です。しかし、イエスは一緒にいる。それを祝うのがイースターです。このレントの時期は、イエスなしで生きることの虚しさをしっかりと味わうべきでしょう。 ■徳島北教会 関連リンク■ 下記のリンクから徳島北教会の最新情報をゲットできます。どうぞお友達になってください! 徳島北教会ウェブサイト→https://tokushima-kita.com 徳島北教会ツイッター→https://twitter.com/tokushima_kita 徳島北教会インスタグラム→https://www.instagram.com/tokushima_kita/ 徳島北教会フェイスブック→https://www.facebook.com/tokushima.k/ キャッシュレス献金→https://cl-kenkin.com/tokushimakitachurch/ ■ぼやき牧師|富田正樹 関連リンク■ 徳島北教会の牧師は、SNSで「ぼやき牧師」として日々ぼやいています。こちらでもお友達になってくださると嬉しいです。 note(礼拝メッセージなどはこちらに記録しています)→https://note.com/ichurch_me/ ツイッター→https://twitter.com/ichurch_me インスタグラム→https://www.instagram.com/stayfoolish_me/ フェイスブック→https://www.facebook.com/masakiat 過去のホームページ「三十番地キリスト教会」→https://www.to

    25分

評価とレビュー

5
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番組について

こちらは「ぼやき牧師」こと富田正樹のポッドキャストです。 礼拝メッセージ、ショートメッセージ、また対談やインタビュー番組の音声を放送します。 リベラルなキリスト教のお話をお聞きになりたい方はどうぞおいでください。

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