今日から話せる埼玉自慢 by永谷あきひさ

永谷あきひさ

埼玉県外の人に「何もない県、埼玉県」と言われたら、言い返せるように「今日から話せる埼玉自慢」というテーマで埼玉県の自慢できるところを紹介しているアカウントです。(YouTubeやTikTokでショート動画も作っております) 埼玉県の子供達に、そして、その子供に教える先生たちに埼玉の良いところを伝えていきたいと思っています。 (今日から話せる埼玉自慢) YouTube:https://youtube.com/channel/UCE7wt2lXWjskZq7C0dC0iJg?si=f3J5Adc8w_vP6kKe TikTok:https://www.tiktok.com/@saitama_jiman?_r=1&_t=ZS-97MV9P8FtdH

エピソード

  1. 9月5日

    ナマズの陰に隠れた、吉川市のもう一つの顔(吉川市)

    (説明) 埼玉県吉川市。ナマズの町として有名なこのエリアを実際に巡ってみたところ、まったく想定していなかった結論にたどり着きました。 それが「ここ、肉の町なのでは?」というものです。 なぜそう感じたのか、街のどんな要素からその可能性が見えてきたのかを、率直に話しています。既存のイメージに縛られず町を見ると、まだ誰も名付けていない魅力が眠っている。ローカルグルメの発掘や、地域の新しい打ち出し方を考えるヒントになる一本です。 === <今日から話せる埼玉自慢> 埼玉県は、長年何もないと言われ続けてきましたし、住んでいる人も何もないと思っていました。 しかし、実際には「知られていない」だけで自慢できることは沢山あります。それをこのチャンネルでは伝えていきたいです。 特に、最近注目なのは、埼玉県南東部の5市1町(吉川市、草加市、三郷市、越谷市、八潮市、松伏町)です。 ここの情報も積極的に出していきたいです。 === 【永谷晶久(ながたに あきひさ) プロフィール】 埼玉を日本一の「うどん県」にする会 会長 東大うどん部(東京大学うどん部)名誉顧問 「全国ご当地うどんサミットin熊谷」スペシャルサポーター 「西武沿線うどんスタンプラリー2019」宣伝協力 第1回コエド芋パーク特別PR大使 千葉県松戸市出身 埼玉県入間市立黒須小学校卒業 埼玉県入間市立黒須中学校卒業 埼玉県立豊岡高等学校を経て 2005年駒澤大学経済学部卒業 某メーカーに入社 <著作> 『スゴイ!埼玉 うどん王国宣言!!』(大空出版) https://amzn.asia/d/1t5s3bq 『どうだ!埼玉うどん伝説!!』(大空出版) https://amzn.asia/d/1t5s3bq <メディア出演> (ラジオ) 金曜ボイスログ(TBSラジオ) ディスカバー彩の国(NACK5) THE SEITARO RADIO SHOW「1700」(NACK5) Raise on Saturday〜どうする!土曜日!!(NACK5) ひるどき!さいたま〜ず(NHKラジオ) (新聞) 朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 日本経済新聞 埼玉新聞 農業共済新聞 ガスエネルギー新聞 (テレビ) マツコの知らない世界(うどんの世界) マツコの知らない世界(埼玉うどんの世界) ニッポンわが町うどんMAP2 出没!アド街ック天国(ハッピーな埼玉) 秘密のケンミンSHOW極(埼玉肉汁うどん最前線) ニッポンわが町うどんMAP5 Nスタ(埼玉県は隠れたうどん県) グッド!モーニング(グッド!いちおし) 首都圏情報ネタドリ! ノンストップ (YouTube) 埼玉の仙人 https://youtu.be/sKfmKkyOPWM 【公式】東武鉄道チャンネル https://youtu.be/F11-_7cxLI ラジオぽてと https://youtu.be/F5BD2KjmzIs ハート・カウンセリング〜こころを健康に〜(FM CHAPPY) https://youtu.be/qM7vo5jMQIU 音楽マンション プレゼンツ Life with Music https://youtu.be/gW22O-d8jO8 (ホームページ) 埼玉を日本一の「うどん県」にする裏話 https://saitamaudon.com/ (聞き手) 北条ふとし 性別:男性 生年月日:1976年10月08日 身長/体重:170cm /135kg 血液型:O型 出身地:埼玉県 吉川市 趣味:オートレース/浦和レッズサポーター/サッカー/マンガ/プロレス/ギャンブル 特技:資格 認知症介助士(「羽ばたけ!SAITAMA KAIGO オンライン芸術文化祭」の特別審査員、 プレゼンター等、 新・介護百人一首の感想コメント 地方自治体での認知症や介護の体験を踏まえたうえで講演等)/柔道二段(県16無差別) 出身/入社/入門:1996年 NSC東京校 2期生 以上、https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=866より抜粋 X:https://x.com/hojo_futoshi?s=11&t=KygVRIAX18nsUe0Y-HX9Vw Instagram:https://www.instagram.com/hojo_futoshi ===

  2. 7月26日

    「うまい、うますぎる」を最初に言ったのは誰? 十万石まんじゅうと世界的版画化の話(埼玉県行田市)

    (文字起こし) 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。 このチャンネルでは「何もない県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダ埼玉」と言われたら、この話を言い返してください。 今日のテーマは、 埼玉県民なら誰でも言えるあのフレーズ、「うまいうますぎる」。行田市の名菓「十万石まんじゅう」と、この言葉に隠された世界レベルの物語についてです。 「風が語りかけます。うまいうますぎる。十万石まんじゅう。」テレ玉を見て育った埼玉県民なら体に染み込んでいるこのCM。じゃあ、この「うまいうますぎる」のコピー、誰が考えたと思いますか? 広告代理店のコピーライター? お店の社長? 答えはノー。この言葉を最初に口にしたのは、世界的な版画家・棟方志功なんです。日本を代表するあの芸術家です。 県民が笑いながら真似してきたあのフレーズ、実は世界レベルの芸術家の本気の一言だった。今日はその話です。 まず、十万石まんじゅうとは何か。 生まれたのは1952年(昭和27年)、戦後、砂糖の流通がようやく解禁された直後に行田市本町の和菓子屋「ふくさや」の創業と同時に発売されました。名前の由来は、江戸時代の行田・旧忍藩(おしはん)の石高が10万石だったこと。つまり、このまんじゅうは名前からして行田の歴史そのものなんです。 創業者の願いはシンプルに「行田の名物にしたい」。その後、1960年に株式会社十万石ふくさやを設立して、屋号も「十万石」と改めました。今では埼玉県内を中心に約36店舗、県民なら一度は食べたことがある定番中の定番です。 さて、いよいよ棟方志功の登場です。 1953年(昭和28年)頃、創業者はまんじゅうの包装紙に使う絵を棟方志功に依頼しに行きました。この時に手土産に持参したのが、発売されたばかりの十万石まんじゅう。 実は棟方志功、大の甘党だったんです。出された饅頭を次々と食べていく。そして出た言葉がこれでした。 「うまい。行田名物にしておくにはうますぎる。」 つまり「うますぎる」は、「行田だけにとどめておくのはもったいない」という最大級の賛辞だったのです。棟方志功はさらに「忍城のお姫様もきっと同じことを言ったはずだ」と言ってお姫様の絵を描いた。それが今も包装紙に使われているあの姫の絵です。 もう一つ細かいこだわりがあります。棟方志功はまんじゅうの「万」の字を「まんま」の「万」で書いた。「まんま(ご飯)」のように広く長く愛されるようにという願いを一文字に込めたんです。 ところが、この言葉がすぐに県民の合言葉になったわけではありません。転機は1979年、テレビ埼玉(テレ玉)の開局です。十万石ふくさやは開局当初からCMを放送し始めました。 それが、「風が語りかけます。うまいうますぎる。」 ナレーションは声優の野田圭一さん。そしてここからがすごい。このCM、40年以上ほぼ同じ内容で放送され続けているんです。 普通、CMは数年で作り変えられます。でも十万石は変えなかった。テレ玉を見て育った世代が親になり、その子供たちがまた同じCMを見て育つ。棟方志功の一言がテレ玉という埼玉ローカル局を通じて、世代を超えた県民の共通言語になっていったんです。映画『翔んで埼玉』でネタにされるくらい全国にも知られるようになりました。 ちなみに変わらないのはCMだけではありません。中身も創業以来、同じ製法です。 あんこは北海道十勝産の小豆を使ったこしあん。皮は奈良県産のつくね芋と新潟県魚沼産コシヒカリを使った上薯皮(じょうよかわ)。薄い皮にたっぷりの甘いあん、餅のようなしっかりしっとり柔らかい食感。白い皮には「十万石」の焼印。サイズはやや小ぶり、そして賞味期限はたったの5日から6日です。 日持ちする土産菓子が増える中で、この短さは余計なものを入れていない証拠であり、「うますぎる」と言われた味を70年以上そのまま守り続けている。看板のフレーズと中身の味、この2つが両方変わらないから信頼が続くんです。 ただ、この話には続きがあります。十万石は変わらないだけの老舗ではないんです。 最近では浦和レッズとのコラボレーションも行われています。浦和レッズの焼印が入ったまんじゅう、さらに選手にちなんだ「30万石まんじゅう」なんていう商品まで。10万石の3倍です。 行田の歴史から生まれたまんじゅうが、今度はサッカーの聖地・浦和のサポーターの手土産になっている。伝統を守りながら、埼玉の新しい誇りともつながっていく。名菓が県内の地元愛同士を結びつけるハブになっているんです。 整理します。 戦後、砂糖解禁直後の1952年に行田の石高から名前をもらって生まれたまんじゅうが、翌年、世界的版画家・棟方志功に「うますぎる」と言わしめ、1979年からはテレ玉のCMで40年以上かけて県民の共通言語になり、今は浦和レッズとタッグを組んで次の世代の埼玉愛をつないでいる。 十万石まんじゅうはずっと埼玉県の誇りを一口サイズで手渡す役割を担い続けてきたんです。 まんじゅうを一つ食べるのはほんの数十秒でも、その一口には忍藩10万石の歴史と、芸術家の本気の賛辞と、40年分のCMの記憶が詰まっている。 聞いてくださっているあなたへ。次に十万石まんじゅうを食べるとき、もらうとき、送るとき、ぜひ一度包み紙をじっくり見てください。あのお姫様の絵は棟方志功の直筆。そして「うまいうますぎる」はCMのために作られたコピーではなく、その棟方志功が思わず口にした本音。 「このフレーズ、実は世界的な芸術家の言葉なんだよ」 これだけであなたは今日から話せます。お土産に使う時も一言添えられますよね。「埼玉の十万石まんじゅうです」ではなく、「棟方志功がうますぎると言ったまんじゅうです」。 うまいまんじゅうがある。だから芸術家が絶賛する。だから言葉が生まれる。だからCMが40年続く。だから県民みんなが語れる。その因果関係があの小さな饅頭にぎゅっと包まれているんです。 名物は偶然では続きません。必ず支える物語がある。十万石まんじゅうの支えは行田10万石の歴史であり、棟方志功が一文字に込めた「万」の願いであり、40年間同じ言葉を流し続けたテレ玉と、それを笑って愛し続けた埼玉県民でした。 「うまいうますぎる」は自虐でもローカルネタでもなくて、世界的芸術家のお墨付きです。そういう埼玉はダサいわけではなく、むしろ世界レベルの本物が日常に転がっている土地です。そういう埼玉をもっと多くの人に知ってほしい。 この番組はSpotifyほか各アプリで配信中。「十万石まんじゅう」「うまいうますぎる」「棟方志功」「行田」などでも探せるように文字起こしを出しています。フォローとコメント、ぜひお願いします。 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさでした。また次回お会いしましょう。

  3. 7月17日

    大相撲の土俵を支えている、初野建材工業(株)(埼玉県川越市)

    (文字起こし) 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。 このチャンネルでは「何もない県、埼玉県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できる事について紹介していきたいと思います。もし、「ダ埼玉」と言われたら、この話を言い返してください。 今日のテーマは、 大相撲の土俵。あの土が、実はぜんぶ埼玉産だという話。川越市の「初野建材工業」と、ブランド土「本荒木田(ほんあらきだ)」についてです。 大相撲の本場所。東京の両国国技館だけじゃなく、大阪、名古屋、福岡でも開催されますよね。じゃあ、あの土俵の土は、それぞれの土地の土だと思いますか? 答えは、ノー。 東京場所も、大阪場所も、名古屋場所も、九州場所も、全部、埼玉県川越市の一社が納めた、同じ土なんです。年6回、全国どこで開催されても、力士が踏みしめているのは「埼玉・川越の土」。テレビに毎日映っている、あの土俵。あれ、埼玉産です。 この土を供給しているのが、川越市の「初野建材工業」。1960年、昭和35年に、トラック1台から始まった、土と砂の専門商社です。 土俵に使われる土は「荒木田土(あらきだつち)」といいます。荒川沿いで採れる、粘土と砂が程よく混ざり合った土。かつて荒川が氾濫を繰り返す中で、上流から流されてきた土砂が混ざり合って生まれました。水を含ませて締め固めて、乾かすと、カチカチに硬くなる。でも、ただ硬いだけじゃなくて、適度な弾力がある。しかも、砂が混ざっているから滑りにくい。「硬い・弾む・滑らない」が全部そろった、格闘技の足元にこれ以上ない素材なんです。1日に約300人の力士が上がって、激しくぶつかり合っても、崩れない。 初野建材工業でこの土を扱っているのが、「土のソムリエ」と呼ばれる内田英明(うちだ・ひであき)部長です。 採ってきた土は、木の根などの不純物を取り除くために、約1年かけて自然乾燥させます。一度、サラサラのパウダー状にする。そして出荷のときに、もう一度水分を加えて、強度と粘り気を復活させるんです。このときの水分量が、勝負どころ。 夏場の湿気、冬場の乾燥、さらには開催地までの輸送時間まで計算する。九州場所みたいに遠方なら、道中で乾くことを見越して、水分を多めにする。数%単位の微調整を、機械じゃなくて、職人の感覚でやっている。元横綱の白鵬関も「この土はいい」と絶賛したそうです。 ところが、昔から全国統一だったわけじゃありません。 かつての本場所では、大阪、名古屋、福岡と、それぞれの会場の近くで採れた、別々の地元の土が使われていました。転機は2017年の名古屋場所。力士たちから「土が軟らかい」「滑りやすい」という不満が続出して、土俵が壊れるトラブルまで起きたんです。 これを重く見た日本相撲協会が決断したのが、「本場所の土の全国統一」。そこで白羽の矢が立ったのが、以前から地方巡業で納品実績があり、一流力士たちからの評価も高かった、初野建材工業の「本荒木田」でした。以来、2017年の秋場所から現在まで、全6本場所の土俵は、この一社の土だけで作られています。国技の足元を、埼玉の一企業が一手に引き受けている。ニュースには映らない、でも大相撲は、 この土なしには始まらないんです。 ちなみに、土俵そのものを作るのは、初野建材工業ではありません。日本相撲協会の「呼出(よびだし)」と呼ばれる方々、45名です。 土俵は神様を迎える神聖な場所。だから、重機も機械も計器も、一切使いません。場所前の3日間、45名の呼出が総出で、完全手作業。「タコ」や「たたき」と呼ばれる昔ながらの道具、それから、なんと空のビール瓶まで使って、ピンポイントで土を叩いて、踏み固めていく。アスファルトみたいに硬すぎたら力士が怪我をする。だから、大勢での足踏みで、全身で土俵を感じながら、絶妙な硬さと弾力を見極めていく。川越の土と、呼出の職人技。この二つの手仕事が合わさって、初めて土俵になるんです。 ただ、この話には、続きがあります。荒木田土は、将来的な枯渇が心配されているんです。 もともと荒木田土の産地は、荒川の下流、東京の足立区あたりでした。ところが、川沿いに建物が建って、都市開発が進んで、採れなくなった。採取場所がだんだん上流へ移っていって、行き着いた先が、いまの川越周辺なんです。しかも、関東の土は富士山の火山灰の堆積など、地層が場所ごとに違う。だから、特定の場所の土が尽きたら、まったく同じ土は二度と採れない。初野建材工業では、社員総出で新しい掘削場を常に探していて、現場へ向かう道すがら良さそうな土地を見つけたら、自分で地主さんを調べて直談判しに行くこともあるそうです。限りある資源を、絶やすまいと奔走している。 整理します。荒川の氾濫が生んだ土が、都市開発に追われて足立から川越へたどり着き、昭和35年創業の建材屋さんが品質を磨き上げ、2017年からは全本場所の土俵を一手に支えている。そしていまは、枯渇の危機と向き合いながら、次の土を探し続けている。初野建材工業はずっと、「足元を支える」という価値を持ち続けてきた会社なんです。 土俵の上の勝負は15秒で終わる。でも、その足元には、1年がかりの乾燥と、数%単位の調合と、90年の川の記憶が詰まっている。 次に大相撲中継を見ることがあったら、力士じゃなくて、一度、土俵そのものに注目してみてください。「あの土、ぜんぶ埼玉の川越産で、土のソムリエが水分を数%単位で調合している」──これだけで、あなたは今日から話せます。 そしてもう一つ、身近な楽しみ方があります。荒木田土で泥団子を作ると、「強くて硬い、最強の泥団子」ができるそうです。内田部長いわく、「触れてみるとすごく発見がたくさんある」。300人の力士に耐える土の実力は、子どもの遊びでも証明できる。良い土がある。だから崩れない。だから力士が全力を出せる。だから国技が続く。その因果関係が、土俵の下に、何層も踏み固められているんです。 国技は、偶然では続きません。必ず、支える人がいる。初野建材工業の支えは、荒川が育てた土の力であり、輸送時間まで計算する職人の感覚であり、枯渇と戦いながら土を探し続ける社員たちの足でした。 大相撲というこの国の伝統が、川越の土に支えられている。ちなみに埼玉と相撲の縁は土だけじゃなくて、名横綱・柏戸のしこ名も、埼玉県加須市の地名に由来しています。そういう埼玉は、「ダサい」わけではなくて、むしろ「国技を足元から支えている」土地です。そういう埼玉を、もっと多くの人に知ってほしい。 この番組はSpotifyほか各アプリで配信中。「本荒木田」「初野建材工業」「土俵」 「埼玉」などでも探せるように、文字起こしを出しています。フォローとコメント、ぜひお願いします。 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさでした。 また次回、お会いしましょう。 (リンク) 初野建材工業 https://hatsuno-kk.com/

  4. 7月13日

    国会を支える漆の手仕事、ぬしさ産業と竹俣圭清さん(埼玉県吉川市)

    (文字起こし) 「今日から話せる埼玉自慢」、永谷あきひさです。 このチャンネルでは、「何もない県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダ埼玉」と言われたら、この話を言い返してください。 今日のテーマは、国会中継でテレビに映るあの黒い「指名標」を作っている、吉川市の「ぬしさ産業」さんと、代表の竹俣圭清(たけまた けいせい)さんについてです。 国会の本会議場、議員さんの席に立っている、名前が金色で書かれた黒い札。あれ、どこで作られていると思いますか?答えは、埼玉県吉川市です。しかも、あの札のベースになっているヒノキの木は、国会議事堂が完成した昭和11(1936)年頃から約90年間、一度も新調されずに同じものが使われ続けているんです。削って、漆を塗り直して、また名前を書く。テレビに毎日映っているあの札は、吉川市産なんです。 この仕事を担っているのが、ぬしさ産業(ぬしさ製作所)です。もともとは東京・上野で江戸漆器を手がけていた老舗の工房。そば道具の製造や修理も手がけ、職人の手仕事を守り続けてきました。漆というのは、木の樹液から取れる自然の塗料です。 高い耐久性と機能性: 気温と湿度だけで自然に固まり、一度固まると非常に頑丈になります。抗菌効果や防臭効果まであります。接着剤にもなる: 欠けた器を直して長く使えるため、「塗る」「守る」「治す」が全部できる、日本のものづくりの土台のような素材です。 ぬしさ産業が国会の仕事を請け負い始めたのは、昭和22(1947)年、竹俣さんのおじいさんの代からです。以来、70年以上にわたり、衆議院・参議院の指名標と、記名投票に使う賛成・反対の「木札」の製作と書き換えを一貫して担い続けています。 選挙で議員さんが変わるたびに、前の議員さんの名前を削り落として黒い漆を塗り直す。そこに書家さんたちが毛筆で新しい名前を書き込む。これを「筆耕(ひっこう)」と言います。1本仕上げるのに約30分。竹俣さんは、何度も削って塗り直してきた札だからこそ、「歴代の大物政治家の名前が書かれていたかもしれない」と、国会の歴史の重みを感じながら作業をしているそうです。 ところが、この仕事はのんびりやっていられません。総選挙の投開票日の翌日から、特別国会の招集日まで、準備に使える時間はわずか5日ほどしかないんです。 例えば2021年の衆議院選の後には、新人議員さん101名分の依頼が来ました。指名標や賛成・反対の木札を合わせて、延べ3,805回(枚)もの名前を書いたそうです。 納期は招集日の前日まで。仕上がったものから順番に車に積み込み、国会へ向かう移動時間まで使って、車の中で乾かしながら運ぶ。国会が開くその裏側で、吉川の工房がフル回転している。ニュースには映らなくても、国会はこの手仕事なしには始まらないんです。 そして令和の今、代表の竹又圭成さんはデザイナーであり、工芸家でもあります。自身のルーツである家具製作の経験も活かしながら、吉川市で新たな挑戦を始めています。 「遠く離れてしまった漆と人との距離を近づけたい」 その思いから、「NUSHISA」というブランドで新商品の開発やショップ展開を行い、さらに吉川市内で「ぬしさの台所」という食堂も経営しています。 ここでは実際に、漆塗りのお椀や器で食事ができます。食洗機の普及で家に漆器がない世代でも、漆の口当たりの軽さを日常のご飯で体験できる場所なんです。竹俣さんが語る漆器の魅力は、大きく分けて次の3つです。 1. 口当たりの良さ 木の器に口をつけたときの滑らかさ、ぬくもり、そして持ったときの軽さ。 2. 直して長く使える 漆は接着剤でもあるため、欠けても割れても「金継ぎ」のように修繕して使い続けられる。 3. 安全で高機能 自然の樹液だから安心。固まれば頑丈で、抗菌・防臭の効果もある。さらに、使い込むほどにツヤが増して透明感が深まり、年数を重ねるほど良くなる。老舗の家業と全く同じですよね。 整理します。 江戸漆器の伝統を受け継ぐ工房として始まり、昭和22年からは国会の指名標という「国の裏方」を70年以上支え続け、そして令和の今は、吉川の食堂とブランドで「漆を暮らしに取り戻す」挑戦をしている。ぬしさ産業は、ずっと人の手で「塗り直し、直して届ける」という価値を持ち続けてきた工房なんです。 時代は変わる。でも「人を大切にする」という職人の心だけはずっと変わりません。 聞いてくださっているあなたへ。次に国会中継を見ることがあったら、議員さんの前に立つ黒い札に注目してみてください。「あれは吉川市産で、90年間同じ木を塗り重ねているんだよ」―これだけで、あなたは今日から話せます。 そして吉川市を訪れることがあったら、ぜひ「ぬしさの台所」で漆のお椀のご飯を食べてみてください。 手仕事がある、だから直せる、だから長く続く、だから信頼が積み重なる。その因果関係が、指名標の漆の層のように何十年分も塗り重なっているんです。老舗は偶然では続きません。必ず根拠がある。ぬしさ産業の根拠は、漆という素材の力であり、職人の生活を第一に考える姿勢であり、人を大切にしてきた3代の心でした。 国会というこの国の中枢が、吉川の工房の手仕事に支えられている。そういう埼玉は「ダサい」わけではなく、むしろ「国を支えている土地」です。そういう埼玉をもっと多くの人に知ってほしい。 この番組はSpotifyほか、各アプリで配信中。「ぬしさ産業」「指名標」「吉川」「漆器」などでも探せるように文字起こしを出しています。フォローとコメント、ぜひお願いします。 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさでした。また次回お会いしましょう。

  5. 7月3日

    2026年FIFAワールドカップ日本代表のディフェンダー渡辺剛(わたなべ つよし)選手(埼玉県越谷市)

    【文字起こし】 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。 このチャンネルでは、「何もない県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダ埼玉」と言われたら、ぜひこの話を言い返してください! 今日のテーマは、2026年FIFAワールドカップ日本代表、埼玉県越谷市出身の ディフェンダー・渡辺剛(わたなべ つよし)選手についてです。 今、オランダの強豪フェイエノールトで「鉄人」と呼ばれている渡辺剛選手ですが、中学3年生の時、彼の身長は160センチほどしかありませんでした。しかもその年、ユースへの昇格に失敗。屈辱的なことに、1年生の後輩たちの練習に混ざっていたのです。そこから世界の舞台に立つまで、今日はその「苦難の乗り越え方」に注目します。 1. 中学時代の挫折:「そりゃそうだよね」と現実を受け止める力 渡辺剛選手は越谷市出身。小学校3年生から4年生の時、「電車1本で通えるから」というご両親の判断で、FC東京のサッカースクールに通い始めました。埼玉の地元から、夢のエリート街道を歩み出したわけです。才能を認められ、ジュニアユースのU-15深川へ進み、一見すると順風満帆に見えました。 ところが、中学3年生の時点で身長は160センチ程度と小柄なまま。ポジションもフォワードからボランチ、サイドバックへと下がり、試合にほとんど絡めなくなりました。周りの選手が体格やスピードでどんどん成長していく中、自分だけが取り残されるという恐怖を感じていたそうです。 そして最大の屈辱が訪れます。ユース昇格を逃した中学3年生の自分が、1年生の練習に混じって活動することになったのです。エリート集団の中で「実力不足」という現実を正面から突きつけられました。 ここで多くの人は腐ってしまうかもしれません。でも、渡辺選手は違いました。怒りや被害者意識ではなく、「そりゃそうだよね」と冷静に現実を受け止めたのです。 「ユースだけがすべてじゃない。山梨学院という強豪校で活躍できれば、次にチャンスが来るはず」 そう前向きに気持ちを切り替えて、一度もサッカーを辞めたいとは思うわなかったそうです。この「自分の状況を受け止めて次を見る」という思考が、後の成長の大きな土台になりました。 2. 高校時代の転機:環境の変化を自信に変える力 埼玉を離れ、山梨学院高校の寮へ。初めて親元を離れ、全国から集まる猛者たちと実力至上主義の環境に飛び込みました。朝練からハードなフィジカルメニューが続く、Jクラブのアカデミーとはまったく違うタフな毎日です。 最初はきついと感じることもありましたが、仲間と助け合いながら「ワンチーム」の感覚を初めて味わったことが、大きな支えになったと言います。周囲の存在があったからこそ、どんなにきつくても辞めたいとは思わなかった。 そして高校1年生の夏、大きな転機が訪れます。それまで160センチ台だった身長が一気に20センチ以上も伸び、180センチを超えたのです。これを受けて、監督からセンターバックへの転向を打診されます。最初は手探りでしたが、自主練習でヘディングを磨き、体格の変化を自分の自信へと変えていきました。 3. 大学時代の気づき:先輩の言葉から得た「傾聴力」 中央大学に進学すると、今度は大学レベルのパワーとスピードに圧倒され、ミスを重ねて試合に負ける日々が続きます。「このままではプロになれないかもしれない」と、自信を失いかけた時期もあったそうです。 そんな時、選手寮で同部屋だった先輩が毎日励ましてくれました。 「お前は絶対プロになれるから、自信を持ってやり続ければいい。その方が周りから見ていても気持ちがいいし、お前らしいよ」 この言葉をきっかけに、渡辺選手は自分の言動を振り返り、他人の意見を素直に聞く「傾聴力」を身につけていきます。「個人プレーではなく、チームのためにみんなで強くなろう」という姿勢へ。居残り練習も「周りと差をつけるため」ではなく、「みんなと一緒に上手くなろう」という気持ちに変わっていきました。 そして大学最後の年、チームの目標達成とともに、念願だった古巣・FC東京への加入内定を掴み取ります。 まとめ:状況ではなく「受け止め方」 ここで一度整理します。 中学時代:屈辱を「そりゃそうだよね」と受け止め、前を向く力。 高校時代:仲間との「ワンチーム」の感覚と、環境の変化を自信に変える力。 大学時代:先輩の言葉から得た「傾聴力」と、チームのために動く姿勢。 この3つの乗り越え方が積み重なって、今の「鉄人・渡辺剛選手」が生まれたんです。 条件は変わる。でも「受け止めて次を見る」という姿勢だけはずっと変わりませんでした。もし、今思うようにいかない状況にいる方がいたら、ぜひ渡辺選手のこの姿勢を思い出してみてください。小柄で、後輩の練習に混ざる屈辱を味わった少年でも、世界の舞台に立てる。大事なのは「状況」ではなく「受け止め方」、そして一人で抱え込まずに周囲を頼ることです。 地元・越谷市、そして埼玉から世界へ羽ばたいた選手がいる。それを知るだけで、今日を乗り越える力になるはずです。 現在、越谷市では公式に応援ページを開設し、「越谷市出身の渡辺剛選手を応援しよう!」と呼びかけています。地元のレイクタウンではパブリックビューイングも開催され、市長も駆けつけるほどの盛り上がりを見せています。 渡辺剛選手を通じて見える埼玉は、決して「ダサい」わけではありません。むしろ、「苦しさを力に変える人を育てる土地」です。そういう埼玉の魅力を、もっと多くの人に知ってほしいと思っています。 この番組はSpotifyほか、各種音声配信アプリで配信中です。 「渡辺剛」「越谷」「サッカー」「埼玉」「ワールドカップ」などのキーワードでも検索できるように文字起こしも公開しています。ぜひ、フォローとコメントをお願いします! 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさでした。 また次回お会いしましょう!

  6. 6月29日

    「埼玉に400年続く飲食店がある」言ったら誰も信じなかった(埼玉県吉川市)

    今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。 このチャンネルでは、「何もない県」「ダサいたま」などと言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダサい玉」と言われたら、この話を言い返してください。 今日のテーマは、埼玉県で現存する最古の飲食店、吉川市の料亭「糀家(こうじや)」についてです。 埼玉県で現存する最古の飲食店って、何歳だと思いますか? 答えは約400年。江戸の開幕と同じ年に吉川で開店したのが糀家です。ディズニーランドも新幹線もスカイツリーよりも古い。埼玉にはそんな場所があります。 吉川の命運を決めた「2つの川」 吉川市は埼玉県の南東、江戸川と中川という2つの大きな川に東西から挟まれた土地です。この「川に挟まれている」というのが、吉川の命運を決めました。 川があるということは、魚がいるということ。特に吉川で採れたナマズは、江戸時代から珍重されてきた食材でした。川との付き合いが長い土地には、川魚を料理する文化が育つ。そうして生まれたのが糀家というわけです。 江戸開幕、慶長の頃、吉川の地に一軒の料理茶屋が開かれました。それが糀家の始まりです。 歴史を動かした大人物たちが愛した味 面白いことに、この店には歴史を動かした大人物たちが通った記録が残っています。 新選組の近藤勇、幕末の実力者・勝海舟、明治の政治家・板垣退助。こうした著名人がわざわざ吉川を訪ねて、この店で舌鼓を打った。なぜか。 それは、ここにしかない味があったからです。つまり、糀家は「川」という条件が生み出した、唯一無二の料理を持つ店だった。その価値が時代を超えて、権力者たちを呼び寄せたんです。 ところが、ここからが大事です。400年って簡単には続きません。多くの老舗は時代の変化に負けて消えます。江戸から明治へ、明治から大正へ、戦争を挟んで経済成長へ。それでも糀家は川辺に立ち続けた。なぜか。答えは「場所と文化の結合」だと私は思います。 川があり、ナマズがいて、それを料理する技がある。この3つがセットになると、時代が変わっても根っこは変わらない。そのセットを糀家は400年守ってきたんです。 400年の歴史が育んだ「総合的な日本文化体験」 令和の今、糀家に足を運ぶと、最初に目に入るのは建物です。創業当時の面影を残す佇まい、その玄関を入るとロビーには美術品が並んでいます。文化勲章を受賞した作家の作品、そして錦絵の巨匠・谷文晁(たにぶんちょう)が描いた絵、さらには葛飾北斎の肉筆画まで。 なぜ料亭に美術品があるのか。これはオーナーの歴代の人たちが、400年かけて集めてきた品々なんです。つまり、糀家という空間は、食べ物だけでなく美術品を通じても日本文化と向き合える場所になっているわけです。 地元で暮らす人の感覚で言うと、糀家は特別な日のための場所です。「大事な客人を迎えるなら、ここ」「人生の節目を祝うなら、ここ」。そういう位置づけが400年ずっと変わらない。 つまり、糀家は単なる古い店ではなく、時代ごとに「何が大事か」を教えてくれる場所になっているのです。江戸の人も、明治の人も、令和の人も、人生の大事な瞬間に立ち戻る場所。それこそが老舗の正体だと私は思います。 整理します。 江戸時代:川魚の珍味を求めて著名人が訪れる場所 近代: 歴史の転換期を見守る老舗として 令和:美術品を含めた総合的な日本文化体験の場として 糀家はずっと、ここでしか得られない価値を持ち続けてきた店なんです。条件は変わる、でも文化を守る力だけはずっと変わらない。 聞いてくださったあなたへ。もし吉川を訪れることがあったら、立ち寄ってみてください。そしてお庭を眺めながら、「この場所は何を守ってきたんだろう」と考えてみてください。 川がある、だから魚がいた、だから料理がある、だから人が集まる。その簡潔な因果関係が400年分積み重なっているのです。地形を読むと歴史が見える。歴史を知ると場所の価値が変わる。 老舗は偶然では存在しません。必ず根拠がある。その根拠が川であり、文化であり、守り続けた人たちの心だったりする。 糀家を通じて見える埼玉は、ダサいわけではなく、むしろ根の深い土地です。そういう埼玉をもっと多くの人に知ってほしい。 この番組はSpotifyなどのアプリで配信中。糀家、吉川、老舗、ナマズの里などでも探せるように文字起こしを出しています。フォローとコメント、ぜひお願いします。 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさでした。また次回お会いしましょう。

  7. 6月23日

    宿場町からレイクタウンへ(埼玉県埼玉県越谷市)

    【文字起こし】 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。 このチャンネルでは、「何もない県、埼玉県」と言われてきた埼玉県の、地元の人たちに自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダサいたま」と言われたら、この話を言い返してください。 今日のテーマは、東京ディズニーリゾートよりも年間来場者数が多い、越谷のイオンレイクタウンについて話をします。越谷のイオンレイクタウンは、休日にはものすごい数の人が集まります。 一説には、ディズニーリゾートが年間約30,000,000人(3千万人)の来場者である一方、イオンレイクタウンには年間約50,000,000人(5千万人)の来場者があると言われています。そんな越谷ですが、実は400年前にも別の形で人が集まる街でした。 にぎわいには、いつの時代も理由がある。 越谷は埼玉県南東部の街。元荒川や中川といった川が流れ、土地は低く平らです。そしてここに、江戸と日光を結ぶ大動脈、「日光街道」が通っていました。川の道と陸の道、この2つが越谷という街の骨格を作っています。 日光街道には、旅人が泊まる宿場が一定の間隔で置かれていました。越谷にあったのが「越ヶ谷宿(こしがやじゅく)」です。江戸を出て日光へ向かう人々がここで一泊する。本陣や旅籠(はたご)が並び、商店が立ち、大変なにぎわいだったと記録に残っています。 つまり、越谷は人が泊まり、人が通ることで栄えた街だったんです。にぎわいの理由は街道でした。 ところが、時代が変わるとにぎわいの理由も変わります。鉄道の時代になると、人の流れは街道から線路へ移ります。さらに時代が進むと、今度は車の時代。 広い駐車場のある大型店に人々が吸い寄せられていく。同じにぎわいでも、その理由は「街道」から「駅」、そして「巨大モール」へとバトンタッチされてきたわけです。 令和の今、越谷のにぎわいの象徴「イオンレイクタウン」 そして令和の今、越谷のにぎわいの象徴がイオンレイクタウンです。これは本当に巨大で、日本最大級。買い物のほとんどが、ここ1箇所で揃ってしまいます。100円ショップも無印良品も雑貨店も複数あります。映画も食事も何でもある。 面白いのは、この立地です。レイクタウンはもともと水が溜まりやすかった低い土地を、治水(ちすい)のために整備して生まれた街だという背景があります。 詳しい経緯は市の資料で確認してほしいのですが、つまり「水との戦いから生まれたにぎわい」という見方もできるわけです。弱点だった低地が、最先端の街に生まれ変わりました。 地元で暮らす方の感覚で言うと、「車があってレイクタウンの近くに住んでいれば、生活はほぼ完結する」と言われます。日常の買い物は交通費ゼロで、選択肢も豊富。これは、宿場町の時代に「ここに来れば何でもそろう」と言われていた感覚と、実はよく似ているのかもしれません。集まる場所には、いつの時代も「ここに来れば足りる」という安心感があるのです。 街の歴史を知ることは、未来を考えること。 整理します。  江戸時代: 日光街道の宿場町として  近代: 鉄道の街として  令和: 日本最大級のモールの街として 越谷はずっと、人が集まる理由を持ち続けてきた街なんです。理由は移り変わる。でも、引きつける力だけはずっと変わりません。 聞いてくださっているあなたへ。 今度大きなショッピングモールへ行ったら、ちょっとだけ考えてみてください。「このにぎわいは、なぜここに生まれたのだろう?」と。大抵、昔の道や川、地形に理由があります。それがわかると、ただの買い物がちょっとした歴史散歩になる。お金はかかりません。見方を変えるだけです。 街のにぎわいは偶然ではありません。必ず理由があります。そして、理由を知っている人は、街の未来を少し読める。私が地元の歴史を掘るのは、過去を懐かしむためじゃなくて、未来を考えるためなんです。 この番組はSpotifyほか、各種アプリで配信中です。「越ヶ谷宿」「レイクタウン」「歴史」などでも検索できるように、文字起こしを出しています。フォローとコメント、ぜひお願いします。 今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさでした。 また、次回お会いしましょう。

番組について

埼玉県外の人に「何もない県、埼玉県」と言われたら、言い返せるように「今日から話せる埼玉自慢」というテーマで埼玉県の自慢できるところを紹介しているアカウントです。(YouTubeやTikTokでショート動画も作っております) 埼玉県の子供達に、そして、その子供に教える先生たちに埼玉の良いところを伝えていきたいと思っています。 (今日から話せる埼玉自慢) YouTube:https://youtube.com/channel/UCE7wt2lXWjskZq7C0dC0iJg?si=f3J5Adc8w_vP6kKe TikTok:https://www.tiktok.com/@saitama_jiman?_r=1&_t=ZS-97MV9P8FtdH