293エピソード

風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。

yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらた‪け‬ TOKYO FM

    • 社会/文化
    • 3.9 • 139件の評価

風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。

    第二百九十三話『遊び心を持ち続ける』-【高知篇】漫画家 横山隆一-

    第二百九十三話『遊び心を持ち続ける』-【高知篇】漫画家 横山隆一-

    戦前戦後の激動期、国民に寄り添い、国民に笑顔を届け続けた、高知県出身の偉大な漫画家がいます。

    横山隆一(よこやま・りゅういち)。

    日本の漫画史に名を刻む代表作『フクちゃん』は、『東京朝日新聞』東京版に連載された『江戸っ子健ちゃん』の脇役からスタートしました。

    その腕白ぶりは多くのひとに愛され、主役となり、さまざまな活躍を経て、1956年、ついに全国紙『毎日新聞』で連載がスタートします。

    以来、連載は15年間、5,534回にも及び、終了にあたっては、日本中に惜しむ声があふれました。

    高知市にある「横山隆一記念まんが館」は、来年開館20周年を迎えます。

    常設の「フクちゃん通り」では、ノスタルジックな昭和の世界にタイムスリップすることができます。

    また、漫画を中心におよそ10,000冊以上が無料で閲覧できる「まんがライブラリー」も人気を博しています。

    この記念館は、ただ単に漫画家・横山隆一の多岐にわたる活動の足跡を紹介するだけにとどまらず、漫画王国・高知の中心的な存在として、全国、そして世界に漫画文化を発信しているのです。

    「横山隆一記念まんが館」の“まんが”という言葉が、ひらがなで表記されているのが象徴的に思えます。

    横山が描く漫画は、素朴でシンプル。

    戦争や災害など、有事にあっても、庶民の生活に根差した、あたたかいユーモアに包まれていました。

    一方で人間が持つ哀しさや弱さを鋭く見つめ、シニカルな中にも「それでいいんだよ、そのままでいいんだよ」という視点を忘れなかったのです。

    彼は自叙伝に『わが遊戯的人生』というタイトルをつけました。

    遊ぶこと。

    それこそが彼の人生の最大のテーマでした。

    少年の心を持っていたから、遊び続けられたのか。

    遊び続けたから、少年の心を持ち続けられたのか。

    彼は晩年も、笑顔で語っています。

    「忙しいときこそ、遊ぶ。それが最高に楽しいね」

    漫画家として初の文化功労者に選ばれた、日本漫画界のレジェンド・横山隆一が人生でつかんだ明日へのyes!とは?

    • 13分
    第二百九十二話『自然とつながる』-【高知篇】物理学者・随筆家 寺田寅彦-

    第二百九十二話『自然とつながる』-【高知篇】物理学者・随筆家 寺田寅彦-

    戦前の高名な物理学者でありながら、夏目漱石 門下生として文学にも造詣が深かった、いわば二刀流の賢人がいます。

    寺田寅彦(てらだ・とらひこ)。

    高知県高知市にある寺田寅彦記念館の建物は、寅彦が4歳から19歳まで過ごした旧宅を復元したものです。

    この記念館は、昭和42年に高知市史跡に指定され、当時のたたずまいを残しています。

    最近再び、彼の随筆が脚光を浴びているのをご存知でしょうか。

    テーマは、災害。

    今からおよそ90年前、寅彦は、こんな文章を書いています。



    『津浪と人間』より

    ・・・「非常時」が到来するはずである。

    それは何時だかは分からないが、来ることは来るというだけは確かである。

    今からその時に備えるのが、何よりも肝要である。・・・



    寺田寅彦のこの一節は、昭和8年、「昭和三陸地震」が東北地方を襲った2か月後に発表されました。

    彼はたびたび、災害について、自然とのつき合い方について言及し、近年、『天災と日本人』という随筆集が刊行されました。

    彼は、こう主張しています。

    「文明が進めば進むほど、天然の暴威による災害がその激烈の度を増す」。

    寅彦は、自然と「向き合う」という考え方に疑問を抱いていました。

    むしろ自然とどう「つながる」か、そして、我々人間同士の「つながり」にも注目していたのです。

    物理学者ゆえの冷静な英知と、名随筆家、俳人としての細やかな機微で、世界のしくみを読み説こうと試みた彼だからこそ、今、再評価されているのでしょう。

    寅彦の人生を決定づけたのは、熊本の高校時代に出会った二人の教師でした。

    ひとりは、物理学の田丸卓郎(たまる・たくろう)、もうひとりが英語教師だった夏目漱石です。

    まさしく、ひととのつながりが、稀代の賢人を産んだのです。

    今もファンを魅了する文章の達人・寺田寅彦が人生でつかんだ明日へのyes!とは?

    • 12分
    第二百九十一話『全ては自分の中にある』-【岩手篇】映画監督 相米慎二-

    第二百九十一話『全ては自分の中にある』-【岩手篇】映画監督 相米慎二-

    今もなお、国内外のアーティストに影響を与え続ける映画監督がいます。

    相米慎二(そうまい・しんじ)。

    岩手県盛岡市で生まれた彼は、1980年、薬師丸ひろ子出演の『翔んだカップル』で監督デビュー。

    翌年の『セーラー服と機関銃』で興行的に大成功をおさめ、1985年の『台風クラブ』は、第一回東京国際映画祭でグランプリを受賞し、名実ともに名監督の座にのぼりました。

    その徹底した演技指導は、俳優を追い詰め、時に涙を流しても、相米は容赦しませんでした。

    演技経験のあまりない少年少女にも、何回も何回も繰り返し演じさせました。

    彼は俳優に、自分で考えることを強いたのです。

    「おまえの役なんだから、もっと他にあるだろう! もっと面白いものがあるだろう! 役っていうのはな、役者がゼロからつくるんだ!」

    撮影中、何度も精神的に奈落の底に落とされても、出来上がった映画を観ると、また相米慎二と組みたくなる。

    多くの俳優がそう願い、「相米組」は伝説になりました。

    没後20年の今年、再び相米監督の評価が世界的に高まっています。

    2005年の韓国の映画祭での上映をきっかけに、2012年のフランス、イギリス、2015年のドイツなど、彼のフィルムは海を渡り、多くの若者の心を揺り動かし続けているのです。

    53歳の若さで急逝。

    監督した13作品には、相米の魂が焼き付いています。

    彼は生前、学生たちに話していました。

    キネマ旬報社のシネアストに、講演の様子が掲載されています。

    「フィルムっていうのは、歌や呪いと同じように動物的感覚を持っているものです。私は映画は映し出されているそのものには別に価値はないと思っているんです。そこに映っていないもの、映し出されているものが内に秘めているものに、映画というものの本当の価値があると思っているのです」

    鬼才・相米慎二が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?

    • 12分
    第二百九十話『やりすぎていい』-【岩手篇】アーティスト 大瀧詠一-

    第二百九十話『やりすぎていい』-【岩手篇】アーティスト 大瀧詠一-

    日本のポップミュージック界を牽引し、今なお多くの人々に影響を与え続けている、岩手県出身のアーティストがいます。

    大瀧詠一(おおたき・えいいち)。

    明日3月21日には、伝説のアルバム『A LONG VACATION』の発売40周年を記念して『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』がリリースされます。

    このアルバムにも収められている代表曲『君は天然色』は、昨年公開され、第33回東京国際映画祭で「観客賞」を受賞した映画『私をくいとめて』の挿入歌としても話題になりました。

    この『君は天然色』は、彼のふるさと岩手県のJR水沢江刺駅の発車メロディにも採用されています。

    40年経った今も色あせず、さまざまな世代に支持され続ける大瀧の楽曲や歌声の魅力は、才能という言葉だけでは語りつくせない、圧倒的な知識や独自の音楽理論に裏打ちされています。

    さらに、ラジオのDJ、レコーディングやマスタリングのエンジニア、レコードレーベルのオーナー、音楽プロデューサーなど、まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍で、65年の生涯を駆け抜けました。

    2014年に発売された雑誌『ケトル』2月号の大瀧詠一特集「大瀧詠一が大好き!」に、彼のこんな言葉が掲載されています。

    「10知るには、12まで行く、と。推測だと思うんだよ、8とか9でっていうのは。12までいかないと10分かんない」

    彼の真骨頂は、やり過ぎること、行き過ぎることかもしれません。

    気になるアーティストのレコードを集める、知りたい楽曲があればなんとかテープを取り寄せる。

    日本映画の研究も徹底していて、特に成瀬巳喜男(なるせ・みきお)や小津安二郎に関しては、映画評論家に勝るとも劣らない領域に足を踏み入れました。

    とにかく数多く、聴く、見る、触れる。

    そこから掬いあげられた上質な言葉やメロディは、今も私たちを魅了してやみません。

    岩手が生んだ日本のミュージックシーンのレジェンド・大瀧詠一が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?

    • 12分
    第二百八十九話『己の世界を拡げる』-【岩手篇】政治家 原敬-

    第二百八十九話『己の世界を拡げる』-【岩手篇】政治家 原敬-

    日本初の本格的政党政治を行った、岩手県出身の偉人がいます。

    原敬(はら・たかし)。

    第19代内閣総理大臣として大正デモクラシーを牽引、生涯、爵位を拒み続けたことから、平民宰相と呼ばれました。

    明治維新の荒波にのまれ、裕福な上級武士の家系だった原家は、一気に衰退。

    父も早くに亡くした原は、経済的な逼迫の中、苦学で志を遂げます。

    岩手県盛岡市にある「原敬記念館(はらけいきねんかん)」は、原の生家に隣接して建てられた記念館です。

    民主政治に、文字通り命をかけた偉人の業績をたたえ、政界の貴重な資料や、日々の想いを詳しく書き綴った「原敬日記(はらけいにっき)」などが展示されています。

    敷地内の12本の桜。

    そのうちの1本、生家の池のほとりにある桜の木は、原の父が南部の殿様からいただいた「戴き桜」です。

    65歳のとき、東京駅で暗殺された、原敬。

    今年、没後100年を迎えますが、生家の桜の木は時代を超え、春風に揺れながら花びらを散らしています。

    今の日本を見て、原敬は何を思うのでしょうか?

    記念館に収められている彼の書には、二文字の漢字が書かれています。

    無い、私と書いて、「無私」。

    私利私欲を捨て去るということです。

    原は、総理大臣になっても質素な住居に暮らし、徹頭徹尾、平民として生きました。

    お墓に刻まれた文字にも、勲位の明記はなく、彼の一貫した主義主張をのぞかせます。

    「余は、殖利の考えなしたる事なし、故に多分の財産なし。去りとて、利益さえ考えなければ、損失する愚もなく」

    日本を変えようと藩閥政治に挑んだ賢人、原敬が人生でつかんだ明日へのyes!とは?

    • 14分
    第二百八十八話『ひとに優しく』-【岩手篇】小説家 野村胡堂-

    第二百八十八話『ひとに優しく』-【岩手篇】小説家 野村胡堂-

    『銭形平次捕物控』で流行作家になり、さらに「あらえびす」というペンネームで音楽評論家としても名を成した、小説家がいます。

    野村胡堂(のむら・こどう)。

    彼の生まれ故郷、岩手県紫波町にある「野村胡堂・あらえびす記念館」には、彼の著作や原稿、蒐集したレコードが数多く展示されています。

    記念館の屋根は、岩手県の代表的な建築様式「南部曲がり家」。

    丘の上に立つ壮麗な建物の北には、岩手山が悠然とそびえています。

    彼の名を一躍有名にした『銭形平次捕物控』は、27年にもわたり書き続けられ、383編もの物語が産み出されました。

    なぜ、それほどまでに銭形平次が愛されたのか。

    そこには、作者・胡堂の心を投影した平次の優しさがあったのです。

    「罪を憎んで、ひとを憎まず」

    「行為を罰しても、動機は罰しない」。

    平次はわけありの罪びとの多くを、許してしまいます。

    反対に、罪を犯していなくても、偽善者や、義に反するものには厳しい。

    それがたとえ体制側の役人であっても容赦ありません。

    常に庶民の味方でした。

    吉田茂や司馬遼太郎など、多くの著名人が、愛読書に『銭形平次捕物控』をあげました。

    胡堂が平次を書き始めたのは、49歳のとき。

    新聞社に勤めながら、二足の草鞋を履いていました。

    この作品でようやく作家だけで食べていけるようになっても、会社を辞めず、結局、退社したのは60歳になってからでした。

    生活は質素を貫き、ひとに借金を頼まれれば、決して断らない。

    学費が払えず、東京帝国大学を中退せざるをえなかった経験ゆえ、亡くなる直前、一億円を基金に財団を設立、学資援助の奨学金を交付することを目的に掲げました。

    「ひとに優しく」。

    口に出すのは容易いが、行動に移すのは容易ではないその精神を、生涯守り抜いたのです。

    岩手が生んだ稀代の偉人、野村胡堂が人生でつかんだ明日へのyes!とは?

    • 14分

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あんインストール

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ハンプティ・ダンプティ2019

そうだったのか!

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にゃふかる

第8話芥川の話をラジオで聴きました

ラジオの冒頭の部分がすごく好きです。
第8話をはじめてラジオで聴きました。ホームページをみて過去の話も聞いてみたかったなと思っていたときにPodcastを見つけました。何度も聴きたくなるので助かりました。

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